課題の分解から
- 2015年 3月 29日
- 交流の広場
- 藤澤豊
仕事をしていれば否でも応でもどれから手を付けるか、どれは当面放っておいてもかまいやしないと、経験からなのか自分なりの優先順位をつけられるようになる。優先順位、いくら関係者の立場や状況を考慮に入れたとしても自分なりのもので、しばし関係者から変更の圧力がかかる。圧力があっちからもこっちからも来て言われるがままに変更していたら、それこそ千手観音でもなければ処理できない状態に陥る。圧力に振り回されて千手観音のまねもできないから、よほどのことでもない限り、圧力は圧力として受け止めましたよというくらいの気持ちが必要になる。何を言われたところで、最後にことをするのは自分であって、人に言えば終わりの圧力者ではないくらいの自負をもって対処するしかない。
ところがちょっと周りをみれば、外部からの圧力に引きずられるままのバタバタから抜けない人たちがいる。それこそ“もぐら叩き”のようなことで毎日が過ぎて行く。余計なお節介になりかねない、止せばいいのにと思いながら、見かねてアドバイスの一つもしたくなる。
話を聞いてしばし驚くのだが、自分が何をどこまで誰に対して、誰と協力してあるは支援を仰いでしなければならないのか、それも最悪の場合で何を何時までにという基本的なことの整理がついていない。誰も全てのことを一人でできる人はいない。いるように見えてもそれは個々の課題を要素に分解して、分解したものなら処理できるという組織なり人なりに上手に振り分けることから始まる。振り分けて残ったものが自分自身で処理しなければならないことになる。振り分ければ振り分け先での処理と自分での処理が平行して進む(はず)。
ここで表面的なことまでしか見えない人たちには、つい振り分ける手際のよさに目がゆく。大事なのは課題を分解する能力にある。依頼する先―組織だったり人だったりするが-がほとんど定型業務かそのちょっとした変形で処理できるように課題を分解しなければならない。ここで間違いを犯せば何をどう振り分けたところで振り分け先での処理は期待できない。
しなければならないことをはっきりしなければ、何をするのか決まる訳がない。それは課題の解決を依頼、指示してきた側の責任であって、課題を解決する側の当事者が勝手に自らの考えや責任で決めることではない。課題を抱え込んで優先順位を付けられない人たちを見ていると、あたかも自分の知識や能力がないから依頼や指示に応えられないと自分を追い込んでいるのではないかと思うことがある。依頼してくる側、指示してくる人の前提条件の不備まで背負い込んで二進も三進もゆかなくなると仕事に押しつぶされかねない。
依頼してくる相手も指示してくる上司も多くの場合言葉足らず。ひどいケースではどこかから依頼あるいは指示されたものを理解もせずにたらい回しにしているだけのことすらある。ご自身、何を依頼しているのか、指示しているのか何も知らない。もし、まともに理解すれば(その能力があってのことだが)、たらいまわしにする前にご自身で課題を要素に分解して、個々の要素の処理にはこれこれの条件を整えなければ、本来処理する能力のある組織や人でもその条件の整備から始めることになるだろうくらいのことは、分かるはずなのだが分からない。分からないのか分かろうとしないのか、分かる責任はないとでも思っているとしか思えない人たちすらいる。
分からないだけならまだしも、依頼や指示が不明瞭で何が課題なのかを問い合わせてくる、あるいは課題の処理に必須の条件の整備が必要であることを指摘してくる組織や人を頭ごなしに非難する。分かっていないことを依頼したり指示することで組織や人に迷惑をかけて、非難されて当然の立場にいるにもかかわらず逆に人を非難する。
人として成長しようのない人たちが犯す典型的な、してはならないことなのだが、茶坊主上がりのエライさん、中身のない人に限って手にした権力を振るうしか自分のありようを示し得ないからなのだろう、振ってはいけない権力を振り回す。
組織としての目的は課題を解決することにある。そのために何ができるか、どうやって組織の目的達成のために貢献できるかが本来の視点でなければならない。もし何をどうすべきなのかはっきりしない課題が転がってきたら、勿怪(もっけ)の幸い。課題処理の基本訓練の機会を頂戴したと思えばいい。
課題の処理に必要な能力をもっている組織や人たちはどこなのか?その組織や人たちが定型業務の一環として、あるいはそのちょっと先の延長線の業務として処理できるのは課題のどの部分なのか?あっちの組織にこの部分、こっちの人たちにこの部分の処理を依頼して、そのあっちの処理とこっちの処理が上がってきたときに両者をつなぎ合わせる準備にかかる。
全てを自分で処理できる人はいないし組織もない。課題の解決は課題を人や組織が処理できる要素に分解することから始まる。分解した要素を組織や人に依頼する。その後で自分でしなければならないことに手を付ける。このあたりまえの整理ができれば振り回されたバタバタから自分でコントロールしたバタバタに転換できる。転換でれば、何を持ってきてバタバタするか、何を優先するかというマネージメントはすぐ目の前にある。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
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