翁長知事と産経・前ソウル支局長
- 2015年 4月 17日
- 時代をみる
- 醍醐聰
2015年4月17日
片や3ヶ月、片や翌日
今年の1月6日以来、翁長知事が求めていた安倍首相との会談が今日(17日)、ようやく実現することになった。ただし、予定時間は30分。
他方、安倍首相は14日に帰国した産経新聞前ソウル支局長・加藤達也氏と翌日(15日)官邸で会い、「ご苦労様でした。裁判が続くようなので体に気をつけて」とねぎらったとのことである。
「首相、産経前ソウル支局長と面会 『ご苦労様でした』」
(「朝日新聞デジタル」2015年4月15日10時55分)
http://www.asahi.com/articles/ASH4H3HBBH4HUTFK002.html
加藤氏が手がけた朴槿恵・韓国大統領の動静に関する取材・報道に公益性があったのか、取材の自由と倫理の境界をどのように判断すべきかなど、慎重に検討されるべき問題がある。ただ、これらの点を考慮しても、加藤氏を8回の延長を経て、8か月間、出国禁止措置にする合理的理由があったのか、疑わしい。
しかし、そうした出国禁止が解かれた1人の新聞記者を帰国の翌日、時の首相が官邸に招いて、労をねぎらうのは異例の対応である。しかも、当の記者は8ヶ月間に及ぶ出国禁止で心労が重なっていたとはいえ、他国の大統領の名誉を毀損した疑いで裁判が継続中の人物である。
そんな中、安倍首相と沖縄県の翁長知事との面会がようやく今日(17日)実現することになった。翁長知事は今年の1月6日以降、安倍首相との面会を希望していたから、それから約3ヶ月余を経て、ようやく実現したことになる。
面会の用件は
しかも、3ヶ月間、安倍首相との面会を待ち続けた翁長知事が求めた用件とは、目下、政府が沖縄県民の民意に背いて強行している普天間基地の辺野古への「移設」――正しくは「移設」というより、軍港機能を備えた新基地建設――が無理筋であることを訴えるという喫緊の課題である。
さらに、会談が実現しないまま3ヶ月が経過する間に、沖縄防衛局は翁長知事の工事中止指示に見向きもせず、「粛々と」ボーリング調査の開始に向けた海上作業を進めた。既成事実の積み上げそのものである。
片や慰労のための帰国「翌日」の面会、片や日本全体の抑止力の維持を名分にした基地建設の是非をテーマにした会談の実現までに要した3ヶ月。これが沖縄差別でなくて何なのか?
あからさまな沖縄差別、それを許すのが本土の民意なのか
加藤・前ソウル支局長が出国禁止措置を受けて韓国で過ごした8ヶ月間、その間どのような処遇を受けたのか、詳しくは分からないが、心身の疲労が積もったことは想像に難くない。
しかし、翁長知事が安倍首相に直接訴えようとする沖縄の基地問題は沖縄県民が戦中戦後70年以上、本土防衛の捨て石として、あるいは植民地同然の日米地位協定・アメリカ軍駐留の下で、屈辱をなめてきた体験に根差すものであり、目下の辺野古基地問題もそうした体験を背負った課題である。
政府首脳は折に触れて、普天間基地の危険性除去は一刻の猶予も許さないという。ならば、解決の糸口を探る会談を実現するまでに3ヶ月を空費したのは誰の責任なのか? 安全保障は一地方の民意で決める問題ではなく、国の専権事項だ、などと「上から目線」の物言いをしながら、日米地位協定の見直しはおろか、普天間基地の5年以内の返還という「国内向けの口約束」をアメリカに面と向かった要求すらしない日本政府に「専権」を口にする資格と能力があるのか?
その間も、普天間基地や嘉手納基地周辺では、米軍機からの部品落下が相次いだ。その中には、200キロものミサイル発射装置の部品の落下など、一歩間違えば大惨事となった事例もあった。
このような政府の二枚舌とあからさまな沖縄差別をなすがままにさせている「本土」の有権者の政治意識が厳しく問われている。
沖縄県平和祈念資料館(旧館)運営協議会 作)Photo
戦争をおこすのは たしかに 人間です
しかし それ以上に
戦争を許さない努力のできるのも
私たち 人間 ではないでしょうか
初出:醍醐聰のブログから許可を得て転載
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔eye2962:10418〕
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