沖縄からみた東アジア -問われる日本の「決意と誠意」-
- 2015年 4月 24日
- 評論・紹介・意見
- 沖縄河野道夫
2015年度の編集方針
翁長知事誕生の運動に参加した人々が、候補者のメイン・スローガン「誇りある豊かさ」に応えようと様々な活動を始めています。国際法市民研究会は2014年8月8日号から、週刊「沖縄の誇りと自立を愛する皆さまへ」をお届けしてきましたが、2015年4月から月刊にし、2016年3月号まで次の三大方針に基づいて編集します。
★あまり知られていない重要な事実について情報提供することに専念する。必要と思われる場合には、ひとことコメントを加える。
★沖縄からみた東アジア、つまりかつて琉球国の交易・交流対象だった広義の東アジア[1]を中心に平和創出と沖縄経済の自立を考える。
★日本国憲法の「破壊・改悪」と「活用・復元」の対抗関係が鮮明になってきたのを踏まえ、後者の立場から憲法政策を追求する。
なぜいま「沖縄からみた東アジア」か
<事実1>翁長知事の選挙公約:翁長さんが「誇りある豊かさ」を掲げて勝ち取った2014年秋の県知事選の公約には、「成長著しい東アジア経済とのネットワークとなる『アジア経済戦略構想』の策定」が謳われています。アジア経済との連携による沖縄経済の自立こそ‟基地はいらない沖縄”の裏づけと考えられているのです。
<コメント>東南アジアは沖縄にとって、地理的な近さに加えて文化的親和性があるため「ネットワーク」のベースとなるでしょう。たとえば、金融・流通ビジネスの世界的センターであるシンガポールは、英国植民地時代の西欧文化に中国・イスラム・ヒンドゥーの文化が混じり合っています。歩いてみて感じるくったくのなさは、那覇の街で感じる「万国津梁」と“チャンプルー文化”のおおらかさに通じています。
<事実2>外国基地を恒久化させなかったASEAN:インドネシア・マレーシア・フィリピン・シンガポール・タイの5ヵ国が結成したASEANは、1967年の設立宣言で「すべての外国基地は暫定的なものであり…諸国の秩序ある発展を阻害する目的で用いられるべきではない」としました(前文)。これを受けた形で同年、英国軍の「スエズ以東撤退」が始まり、またフィリピンの米軍基地は1991年になって全面返還されました。クラーク空軍基地はピナツボ火山噴火で使用困難となり、スービック海軍基地はフィリピン側が存続を拒否したのです。
<コメント>日米両国による沖縄差別がなければ存在できない米軍基地の集中は、日本と沖縄の「秩序ある発展を阻害」します。たとえこのような偏在がなくても、米軍基地はすべて「暫定的なもの」と考えるべきです。実際、1970年以降は「条約を終了させる意思を通告」すると、1年後に効力を失うことになっています(1960年日米安保条約第10条)。当時の岸総理には、これほど長期にわたって米軍を駐留させる意図はなかったかもしれません。
<事実3>先例のない東アジアの平和のテーブル:ASEAN5ヵ国[2]は1976年東南アジア友好協力条約を締結し、加盟国は「武力による威嚇または武力の行使の放棄」(第2条)を基本とし、紛争の防止と平和的解決に向けた「決意と誠意」(第13条)を誓約させられます。
またASEAN諸国すべてが同意すれば、東南アジア域外からの加盟が可能―という独特のシステムを持っています(第18条)。その結果21世紀になって、東アジアにおける国際紛争当事国すべてが加盟するという先例のない態勢ができあがりました。つまり中国(2003年)、日本(04)、韓国(同)、ロシア(同)、北朝鮮(08)、アメリカ(09)が条約に加盟したのです。このことは、日米両国がこの態勢を活用するかどうか、諸外国は注目せざるをえない特異な構造ということができます。
この条約は以上のほか、インド(03)・パキスタン(04)・ニュージーランド(05)・オーストラリア(同)・東チモール(07)・バングラディシュ(同)・スリランカ(同)・ブラジル(2011)など、全27ヵ国とEUで構成されています。
<コメント>日米両国にとって、中国も北朝鮮も平和をめざす同じ条約の仲間ですから、‟脅威”として対応するわけにはいきません。
<事実4>ムスリム諸国との信頼関係の重点:ムスリム人口が多いのは、①インドネシア=約2億人、②パキスタン=約1.7億人、③インド=約1.6億人、④バングラディシュ=約1.5億人(以上は東南アジア友好協力条約加盟国)、⑤イラン=約0.7億人、⑥トルコ=約0.7億人。
<コメント>日本が東南アジア友好協力条約の「紛争防止と平和的解決に向けた決意と誠意」のモデルになれば、人質が殺されるようなことにはならないでしょう。
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