21世紀の価値形態論~Was ist das?
- 2015年 4月 25日
- 交流の広場
- 青山雫
中野英夫さんから早速私のレジュメに対してのコメントいただけて、有難い限りである。
その趣旨の部分を下記コピペする。
quite
商品経済は貨幣を絶対に必要とすること」、「貨幣が直接的交換可能性(流動性)を独占すること」を論証する場だと思うのです。マルクスはそれを貨幣の商品起源説に託して論証したのだと思います(これは時代的制約だから仕方がない)。
実は、商品起源であろうと、「お上」が制定するものであろうと、経済人類学が想定するような「呪物」起源であろうと、「商品経済は、直接的交換可能性(流動性)を独占するものを絶対に必要とする」ということが明らかになればそれでいいのではないでしょうか。
unquote
まずもってマルクスの真意を詮索するのは、私の流儀じゃないので、あくまで文言だけたどれば、
労働生産物として商品の価値は抽象的人間労働という社会的実体だから、それを商品の社会的関係として現象させる必然性がある。それが価値形態論で、その現象の極点に商品の価値を一般的排他的に表現する商品=貨幣が存立する。
マルクスの戦略は、プルードンの貨幣廃絶~労働証書による代理とベイリーの実体なき相対主義価値論批判にも配視していた。だから価値実体~価値形態の推移はマルクにとって絶対外せない。
であるので、中野さんの価値形態論解釈は妥当性を欠く。むしろそれは現実の資本主義を観察して、それを価値形態論に主観的願望を交えて読みこんでいるにすぎない。
観察自体は極めて妥当で、それを貨幣の定義としておけばよいだけ。ややこしい価値形態論など端からお呼びでない。
どうしても、何か足掻きたいなら、19世紀ではない「21世紀の価値形態論」を提起されるのが宜しいのではないか。
大いに期待しておるよ、中野さん!
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。