はみ出しの根っこ―はみ出し駐在記(16)
- 2015年 5月 10日
- 評論・紹介・意見
- 藤澤豊
多分海外経験を買われてだろう、四十をちょっとでた歳の係長が応援に来た。買われた海外経験、聞こえてくることからは展示会か何かの出張で行ったことがある程度としか思えない。サービス部隊のマネージャも二人の先輩も係長に何をしてもらえるのか分からないでいるようだった。仕事でメリハリがないと人間関係までがギクシャクしてくる。先輩駐在員からすれば、偉そうにしているだけで何もできない、うっとうしいから早く帰れという感じだったと思う。
フィールドサービスにも行かないと言うと失礼?になるのだが、誰も彼を連れて出張に行こうしなかった。ましてや一人での出張などありえなかったのだろう。技術的な知識では駐在員の方がよほど上だったし、誰もその係長から何か意味のあるものを拾えるとは思っていなかった。来た当初はゴシップのようなものまで含めて日本の状況やら何やらを聞いてはいたが、二度も三度も聞くものでもなし、早々に話題が枯れてしまった。
話題がなくなってしまうと苦しい。歳がいっているということだけで先輩面されて、はいそうですかと持ち上げ続けるような駐在員はいない。機械の障害状態をできるだけ詳しく聞きだして、それなりの準備をして客に行くが、聞いていた話と全く違うなどというのはいつものこと。出たとこ勝負のフィールドサービスで戦っている猛者連中が何もない人の相手などしない。最初と最後の公費のメシのときぐらいに限られる。
事務所を背負っている先輩たち、出張に行く前の準備や帰ってきてからの事後処理で、事務所にいても忙しい。相手をしている精神的な余裕がない。猛者連中に相手にされないことが精神的な負い目になったのだろう。憂さを晴らす相手は端にも棒にもかからない新米しかいない。
聞き飽きた世間話で止まっていてくれれば、まだ聞き流せる。人間関係を上下関係でしか見れないというより見たい人だったのだろう。何かにつけてああだのこうだの言ってくる。言ってくるのはいいが、いくら贔屓目に見ても後進の指導というようなものではなかった。上には知らないが、下には言いたい放題、好き勝手で我侭な、人として寂しい人だった。
思いつくまま何でも言ってくる。昨日はイタリアンだったから今日は和食がいい。和食だったら“さっぽろ”より“横浜”の方がいい。“さっぽろ“までなら三十分程度で着くが、”横浜”となると小一時間、行きも帰りもだから移動だけで二時間近くかかる。モーテルに送り届けて下宿に帰るのにまた三十分。酒を買いに行けば値切れと言ってくる。(こっちは下戸で酒屋とは縁がない。)赴任して何ヶ月も経っていない。英語もなんとか片言で通じるかというレベルで係長と大して変わらない。自分で値切ればいいのに、人に押し付けておいて、値切れなかったのはお前の英語がなってないからだと叱られる。
事務所にいるときは、毎晩のようにご希望されるメシ屋や飲み屋にお連れして、その度に「オレは出張手当がでるから、こんなことしててもなんとでもなるが、お前は駐在員だろう。大した給料でもないのに、こんなことしててどうするんだ。金がもたないだろう。」とお小言を頂戴する。好き好んであんたと一緒にメシを食ってる訳じゃない。あんたの足のこともあるし、一人じゃメシを食えないってんで毎晩のように嫌々ながらも義理でお付き合いしてるだけだ。ふざけるなって蹴飛ばしてやろうかと何度思ったことか。それでも何を言われても聞き流すしかなかった。
毎日のように車で送り迎えしていたが、乗るたびに、「なんでこんな車にしたんだ。お客さまを乗せることもあるから四ドアじゃなきゃだめだろう。こんな二ドアでは仕事にならんだろうが。。。」余計なお世話だ、バカ野郎と言いたかった。
昔のように会社が融資してくれて買った車じゃない。確かに会社に保証人にはなってもらった。外貨持ち出し規制で、三千ドルと十万円までしか持ち出せない。ちょっとした車を買うにも一万ドルくらいはする。自分の金で買おうにも日本からは持って来れない。銀行ローンを個人で組もうとしても居住期間が短すぎる、クレジットレコードがないことを理由に断られる。駐在員に仕事をさせたいのなら、車を買える状況を会社が用意するしかない。その用意するしかない条件の下で自分で買った車。一介のサービスマンがちょっとしたことで客を乗せることがあるにせよ、格式ばった席など在り得ない。自分の好きな車を買って何が悪い。気に食わないんだったら、ここで降りてくれと啖呵の一つも切ってみたかった。
新米駐在員、一人前の仕事ができず毎日苦しんでいた。人一倍長時間働いていたが、立ち上がるにはかなりの時間がかかるのが分かっている。一人前以上の仕事をして一匹狼のような立場にいる先輩駐在員とは立場が違う。
事務所にいれば苗字もよばれず、「おい、」「おまえ、」「バカ、」、「お前は外した」、「バカ、なにやってんだ」と言われ続けた身、肩身の狭さもあって、言って当然、言わなければならないことも言えなかった。
そんなことからも拾うことは多かった。「おい、xxxに行くぞ」と夕飯のお達しが下る。こっちが行きたいとか行きたくないとか、何かの都合あるかないか、何も考えることもなく命令がでる。
この類のことはしたくない。年齢なのか立場なのかいろいろあるだろうが、下にいると思っている人たちに、強制になりかねないことを言ってはならない。後年、若い人を昼飯に誘うにも、もしよかったら、負担に思われると困るんだけど、どうせ行くなら一緒にどうかと、いや強制じゃない、もしよかったら。。。お願いできますかね?という言い方になった。どこに行くかは相手任せ、できれば遠慮したい店でも、こっちからどこへとは言わなかった。
人間関係を上下関係でしか見れない会社の日本人とは駐在員であろうと出張者であろうと、必要最低限の付き合いしかしなかった。マンハッタンの水商売の人たちとは付き合ったが、メシ屋や飲み屋で居合わせたどこかの会社の駐在員はお断り。会社名が、役職が人の上下を決めると考えて話をする人たちとは世間話もしたくない。今になって思えば、はみ出しの根っこがここにあった。フツーの日本人社会からはみ出さなければ自分がない自分がいた。
仕事では外した駐在員だったが、はみ出した自分には誇りがある。この誇り何人もの反面教師のおかげと感謝している。二十代半ばで得た誇りが、その後の人生も仕事も、人との係わり合いのありようも決めた。
どんなに年齢の離れた若い人も“さん付け”で呼ぶ。人間、何が違ったとしても基本は平等。年齢なのか職責なのか上に見られる立場になってしまってからはそれまで以上に気を使った。それを弱腰、あるいは自信のなさの表れとしか見えない寂しい人たちも多いが、そっちが間違っているだけでしかない。人間関係を上下関係でしか見れない人は人としてのありようからして認めない。頭ごなしの命令になってしまう人たち、なぜそこまで阿るかと怒鳴りたくなる人たち、仕事の関係でしょうがないから付き合うが、できるだけ距離をあける。同じ人種と思われたくない。
説得には努めるが命令はしない。人は命令で、あるいはその背後にある恐怖のようなものから動いていたのでは本来の能力を発揮できない。自由闊達に貢献しえる環境を整えることに腐心する。
はみ出さざるを得なかったところから得た教訓、誇りに思う。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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