変貌するキューバ(下) -活気づく観光業-
- 2015年 5月 24日
- 評論・紹介・意見
- キューバ岩垂 弘
キューバを1年ぶりに訪れてみて印象に残った点の一つは、この国の観光業が前年より一層活気を呈していることだった。
私は昨年3月、16年ぶりにキューバを再訪した。帰国後、本ブログに「16年ぶりに見たカリブ海の赤い島」と題する印象記を発表したが、その中で、首都ハバナのホセ・マルティ国際空港や地方のサンチャゴ・デ・クーバの空港が、16年前と比べて見違えるような大規模な空港に変わっていたこと、どちらの空港も多数の外国人観光客でにぎわい、出発ロビーでは外国人の長い列ができ、免税の売店も外国人で混雑していたことを紹介した。
さらに、外国人観光客向けのホテルがハバナや地方都市で増え、目を見張るようなモダンな高層ホテルに出合ったことも紹介した。
1930年に建てられた、キューバ最高のホテルといわれる「ナシオナル・デ・クーバ」(ハバナ市内)
首都ハバナの旧市街は、16世紀に建造された街並みで、まるごとユネスコの世界遺産に登録されている。16年前にそこを訪れた時は、煤けたり一部崩れた建物が目につき、いかにも古色蒼然といった感じだったが、昨年は石壁が塗り替えられたり、やぐらを組んで修復中の建物が目につき、旧市街全体がきれいになっていたことも紹介した。
空港の拡張と整備、ホテルの増設と近代化、旧市街のお化粧直し……これらは、いずれもキューバ政府が進めてきた「観光業振興政策」によってもたらされたものだった。
苦境脱出で観光業の振興へ
キューバでフィデル・カストロ氏らの革命が成功したのは1959年だが、キューバ危機後の1962年から米国による対キューバ経済制裁が始まった(これはまだ続いている)。これだけでも、キューバにとっては大打撃だったが、1991年のソ連崩壊は、この国に決定的な苦境をもたらした。
それまで、キューバはソ連に特産の砂糖を高く買ってもらい、その代金で石油や肥料、農薬を安い価格でソ連から輸入し国の経済を維持していた。が、ソ連の崩壊で、キューバは「85%の市場、50%強の燃料、そして70%の輸入品を突然失った」(カルメン・R・アルフォンソ著、神代修訳『キューバガイド』、1997年、海風書房)。1998年に私がハバナで会ったセルヒオ・コリエリ・エルナンデスICAP(キューバ諸国民友好協会)総裁は「我が国の経済は、1990年から94年までの5年間に34%もダウンした」と言明した。西林万寿夫・前駐キューバ大使著の『したたかな国キューバ』(2013年、アーバン・コネクション)には「キューバ国民は……1990年代前半こそ飢餓寸前のどん底状態にあった」とある。
危機に陥ったキューバ政府は経済再建政策を打ち出すが、その一つが観光業の振興だった。外貨獲得にはこれが一番手っ取り早いと考えたものと思われる。それに、自国はその条件に恵まれていると考えたのだろう。何しろ世界に誇る美しい自然と歴史的遺跡に恵まれているのだから。
その狙いは当たったとみていいのではないか。今や、観光業はニッケル、医薬品、葉巻、ラム酒などの輸出品と並んでキューバ経済を支える柱となっている。
2011年から始まった本格的な「経済改革」でも、観光業の推進は重点施策の一つとなっている。対外債務を減らすには外貨を獲得しなければならないが、それには観光業がうってつけだからである。
観光客に人気のある、1704年建立の「カテドラル」(ハバナ市内)
では、キューバを訪れている外国人観光客はいったいどのくらいの数なのか。。西林万寿夫・前駐キューバ大使の『したたかな国キューバ』には、こんな記述がある。
「キューバを訪れる日本人は年間6000人程度。カナダからの100万人、イギリス、スペイン、フランス、ドイツ、イタリアといった欧州諸国からのそれぞれ10万~20万人に比べると数字ははるかに小さい」
とすると、キューバにはカナダ人とヨーロッパ人を中心に年間、150万~200万の外国人観光客が訪れているということになる。私が17年前にキューバ政府関係者から聞いたところでは、1996年の外国人観光客は100万人であった。であれば、この約20年間にキューバを訪れる外国人観光客はざっと倍増したことになる。キューバの人口は1100万人だから、人口比ではかなりの高率と言っていいだろう。
増加する外国人観光客
さて、今度のキューバ・ツアー中に受けた印象だが、外国人観光客が昨年より増えたように思われた。私たちツアー一行との会談に応じたICAPのアリシア・コレデラ副総裁も「外国人観光客が前年より4%増えた」と語った。
それを裏付けるような経験をした。
まず、キューバ滞在中に私たちが泊まるのホテルがなかなか決まらなかった。ホテルの予約は現地の旅行会社に頼んだのだが、なかなかホテル決定の連絡がこなかった。連絡があったのは、日本出発の直前。「ホテルが観光客で混んでいて、なかなかとれない」ということだった。
ハバナで、たびたびキューバを訪れることがあるという国際NGOスタッフの日本人女性から話を聞く機会があった。彼女が言った。「米国人を見かけるようになった。中国人も目立つようになった。そのせいか、日本人の私も『中国人か』と声をかけられる」「外国人観光客が増えたため、旅行社は観光バスの確保と手配に苦労している、と聞いた」
ハバナの繁華街のホテルの周辺には、「TAXI」が群がり、客待ちしていた。それも、さまざまの「TAXI」である。まず、人力タクシー。運転手がお椀状の幌を取り付けた自転車をこいで人を運ぶ。「輪タク」である。次は馬車を使ったタクシー。そして、乗用車のタクシー。“最高級”のタクシーは1950年代から60年代の米国製クラシックカーだ。これらのタクシーのお目当ては、もちろん外国人観光客である。外国人観光客には、とりわけ米国製クラシックカーが人気があるようだった。
ハバナの旧市街の路地の一部で、路面の石畳を掘り返す工事が行われていた。下水道の修復工事とのことだった。これも、観光推進のためのお化粧直しの一端か、と思った。
私は、今度のツアーで、中部の観光地、トリニダーを初めて訪れた。1500年代に建設された古都で、1988年にユネスコの世界遺産に登録された。オレンジ色の瓦屋根の家並みや、石畳の路地が続き、街全体がまるで博物館のようだった。人口約3万5000。ここでも、あちこちで外国人観光客の集団に会った。街頭で、キューバ人ミュージシャンのバンドを見かけた。外国人観光客を歓迎するために街頭に出てきたのだろう。街のシンボルとされるサンティシマ教会の前で休んでいたら、外国人男性が話しかけてきた。日本人だと名乗ると、男性は「スロベニアからきた」と言った。
短期間のキューバ旅行を通じてこの国の観光業の一端に触れたわけだが、外国人観光客受け入れ態勢という点では、課題もあると感じた。その一つは、私たちが利用したホテルは、いずれもホテル内の表示がすべてスペイン語だったことである。これからは英語圏の観光客が増えるだろうから、英語の表示も併記した方がいいのでは、と思った次第だ。
初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion5369:150524〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。