テント日誌5月22日…いろいろの人がくる、それだけでも存在理由がある/紫陽花の季節
- 2015年 5月 24日
- 交流の広場
- 経産省前テントひろば
経産省前テントひろば1350日商業用原発停止614日
テントには本当にいろいろの人がくる、それだけでも存在理由がある…
1時少し前テントについてびっくり!テーブルの上にお弁当が山積みになっていた。先週から何度かやって来て汚いテントを撤去して欲しい、高レベル放射性廃棄物 の処理は3年後に出来るなどと言っていた人がまた来たそうだ。
今回はお弁当とお茶を差し入れて一緒に食べながら話しましょうと言いながら自分は食べずに一時間くらいしゃべって行ったそうだ。
テントには本当に色々な方が来ます。
3時過ぎアスベスト被害を訴えるデモが通った。
日比谷の野音に3500人集まったそうだ。
テントにいた人たちでエールを送る。
なかにはテント前で原発反対のシュプレヒコールをあげてくれる一団もあって嬉 しかった。私が驚いたのは警備だ。交通整理の警官が数人居ただけ、原発反対や辺野古基地 反対のときは数え切れないほどの警備体制なのに、
妨害するやからがいないからなのか?
デモ隊から男性がテントに寄ってきて双葉町のものです頑張りましょうと握手を 求められた。
双葉町の人あとから来ますよと教えてあげたらではまた来ます!といって隊列に 戻って行った。
そして言葉通り5時ごろまたやって来て、たまたま居合わせた会津の方とKさんの 3人で会話が弾んだようだ。
デモの通り過ぎる中、ピースサイクルの人たちが寄ってくださり、テント前で記 念写真を撮って官邸前へと向かって行った。
夕方いつものようにテーブルを出し受付を始めた。
今日も色々な方がカンパして下さって感謝です。
テントは反原発を願う皆さんの力で支えられていることを実感します。(I・K)
・・・・・・・・・・・・・・・
紫陽花の季節が近いことにこころは動いて
まだ、少し早いのだけど紫陽花の季節が近づいてきた。雨に濡れた紫陽花がいつの間にか好きになったのだが、子供のころから好きだったという記憶はない。いつ頃からなのだろうかと思うのだが、それらしいものは思いつかない。家じゅうが賑やかだった田植えのころはそういえばどんな花が好きだったのだろうか。梅雨になれば田植えの合間に川でナマズや鮒を追っかけていたのだから、花など興味はなかったのか。でも、山に咲くみつばつつじや藤の花のこと、また、みかんの花のことはよく覚えているから花のことに興味はあったに違いないのだが…
紫陽花の花の最盛のころ、≪紫陽花革命>として官邸前抗議行動が盛り上がったことがあった。そのころに比すれば今の官邸前行動は寂しくはなっているが、人数に関係なく、こちらは重ねられて時間の中でそれなりに形をなしていると思う。テントについても同じような感想がある。形をなしているというのがいい表現かどうかわからないがそんな言葉が頭をよぎる。テントから官邸の方に歩いてのことである。
3・11と原発事故は多くのことを人々に投げかけ、多くの人が考えるところとなった。その一部は脱原発や反原発の運動として表現された。この運動は現在も様々に表現されているし、続いている。しかし、どんなに見積もっても運動なで表現されたものは極一部であり、それらに現れない人々の意識や考えが大部分として存在している。原発について人々が心に呼び起こしたこと、こころをかすめたことを事故が生み出した原発の存在基盤というなら、そのほとんどは運動などには直接に現れない意識の流れとしてあると言えるだろう。僕らの目の前にあらわれたもの、運動として表現されたものが一部であり、その背後に表現にあらわれない方がずっと多い部分をなしているのだ。原発の存在に対する疑念から、それでも原発は必要だということまで含めて大きな幅と多様性のあるものだ。あるいは原発の存在についての直観から深い考察にいたるもの、その現在から未来のあり方についてあれこれ考えたものが含まれるだろう。この人々の意識は無意識の領域に移行したり、表面から消えたりしながら、存続しているものだ。それはわだかまりの意識としてあるというが実情かもしれない。
何気なく気になること、それ以上にはなかなか発展しなく、停滞しているわだかまりのように見えても、この原発の基盤は巨大な基盤であり、僕らはこれにこころを寄せ、果たしなく考え続けて行くことで付き合えばいい。この付き合いを続けていくことが自分にとつてだけでなく、他者にとっても今一番大事なことだ。これは僕らが、現在の社会と、そのあり方への問いとして関わっていることでもある。
原発への疑念というか、わだかまっている意識は政府や官僚たちの原発再稼働、あるいは存続によっては解消されることも、解体されることもないといえるだろう。確かに政府や官僚たちの再稼働や保存の動きは一つの対応であり、答えかもしれないが、疑念に応えたもの、それに向き合ったものではない。その意味では事故を解決したものでも、それを踏まえてのものではないし、政府や官僚の所業はどんなに大きなものに見えてもたいしたことではない。権力の力を過信しているだけだ。人々の意識に生じた疑念に答えることのない独善的な所業で出来て行くものに未来はない。その弱さや矛盾はちょっとしたことで露呈するにちがいない。本当の政府や官僚や電力業界は原発を存続させ運用して行く担当能力がないのだと言える。そのことは彼らもよくわかっていることなのだろう。僕らは原発の基盤を見据え、その動きに寄り添い考え続ければよい。これが非力で徒労に似た歩みに見えても、そこには大きな力と未来の道が準備されている。 (三上治)
・・・・・・・・・・
From: “南方新社” <mukohara@nanpou.com>
311キロリレーデモの通信6号の配信>
鹿児島~福岡九電本店、311キロ・リレーデモ報告、転送します。 今日21日は、9:00宇土市役所前集合→12:00スシロー熊本冨合店前→16:50熊本駅東口前
明日22日(土)は、9:00熊本駅東口前→12:00坪井川公園前→16:50山鹿市役所
明日昼から崩れそうです。
ストップ再稼働!3.11鹿児島集会実行委員会 http://kagoshimashukai.chesuto.jp/
バックナンバーは上記のURLにあります。
岩下です
鹿児島~九電本店313キロの全行程中、今日で半分を越えました。
5/21号(第6日目)の報告をお送りします。
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。