トラベラーズチェックとID―はみ出し駐在記(19)
- 2015年 5月 25日
- 評論・紹介・意見
- 藤澤豊
七十年代後半から八十年代初頭、日本ではクレジットカードなどその存在すら知らなかった。海外出張と言えばトーマスクックのトラベラーズチェックが必需品だった。応援者は誰もが多少の現金にトーマスクックのトラベラーズチェックを持ってきた。トレベラーズチェック、小さな額面にすると枚数が多くなってかさばる。それを嫌って、額面百ドルがほとんどというのもいたし、中にはご丁寧に現金も百ドル紙幣で持ってきたのがいた。駄菓子屋で百円かそこらのものに一万円札を出すようなもので、額面が大きくて使い難い。
米国に支社を開いて既に二十年以上経っていたし、初期の頃の駐在員は帰国してそこそこの立場いる。それにもかかわらず持ってくる金の額面のアドバイスもなかった。知識や経験が人に残って、組織に残せる文化がなかった。
インフレが進んではいたものの日常生活で百ドル札を目にすることはなかった。夕食のメニューでも二十ドルを超えるものはいくつもない時代、現金は二十ドル札が最も高額な紙幣だった。マンハッタンでにわか雨にあって、傘を捜して土産物屋に飛び込んだ。手ごろな折りたたみ傘を見つけて応援者が百ドル札を出したら、店員が怪訝な顔をしてちょっと奥に入っていった。店長らしき人と何か話している。応援者が出した百ドル札が本物かという話になっていた。持ってきたのは言葉も通じない貧相な東洋系。見たこともないどころか、その存在すら知らない百ドル紙幣。真贋などつけようがない。店長が出した結論、本当かどうかは別としてよくあるお断り「釣りがない。」だった。
応援者と一緒に食べに行っても飲みに行っても、トラベラーズチェックでも紙幣でも百ドルを出せば、つり銭がないと断られた。どこに行っても割り勘はいいのだが、百ドルは使いようがなかった。しょうがないから、こっちのクレジットカードでの支払いが続く。
銀行に行ってトラベラーズチェックを現金に換えて、どんぶり勘定の精算をするのだが、プライベートバンクのおかげで銀行に行く機会が減ってしまって、ついツケが溜まってしまう。
ちょっと溜まってくるとお互いに気になりだす。お互い精算するのなら、きちんとしたい気持ちがある。百ドル単位で中途半端に返してもらって差し引きいくらの貸しが残っているのも、余計にもらってこっちが借りている状態もいやだしということで、ついつい精算は今度、そのうちということになる。それが一人や二人ならまだしも、四人五人が二週間、三週間になると、とても覚えきれない。なかには貸したのは覚えているが、借りたのは忘れるのが上手な幸せな性格の人もいる。アッシーやって、通訳して、応援者のように出張手当という余禄もないのに、人の分まで面倒みちゃいられない。出張旅費精算と同じで溜めれば抜ける。記録も何もないが何人かはとりそこなったと思う。
金がないことはないのだが、どうにも使える金がない応援者を連れて出張した。使える現金がないからちょっとした飲み物でもタバコでも買うに買えない。支払いはクレジットカードが当たり前になってはいても、小銭がないと不便でしょうがない。
トラベラーズチェックを使ってお釣りの現金が欲しいということで、まともなモーテルに泊まればという話になった。客に相談してHoward Johnsonなら大丈夫だろうということで予約してもらった。
カウンターに行って、「We have reservations.」と言いながら、いつものようにマスターチャージ(今はマスターカード)を出した。応援者に、クレジットカードがないのならIDとしてドライバーズライセンス(運転免許証)を見せろと言う。運転免許証ではなくIDとしてパスポートを出した。国家が発行したパスポート、運転免許証よりIDとしての信用がある(はず)。国際運転免許証は小冊子の体でバッグからの出し入れが面倒だった。パスポートも当時は大きくて扱いにくかったが、国際運転免許証よりはまだいい。
カウンターの女性がパスポートを見て、これ何?という顔をして、パスポートはIDにならない。ドライバーズライセンスを見せろと繰り返した。おいおい、パスポートは国家が発行したもので入国審査に使うID。ドライバーズライセンスは(ここでは)高々州が発行したものじゃないか。パスポートの方がドライバーズラインスなんかよりIDとして信頼がおけるの分かってんのかと言い返した。マネージャからドライバーズライセンスでIDを確認しろと言われているからドライバーズライセンスでなければダメと言って聞かない。
応援者がバッグのなかを引っかき回して国際運転免許証を出した。小冊子のような国際免許証をパラパラとめくって、これは何だと聞いてきた。パスポートのときは、まだそれがパスポートであることは分かったが、小冊子になっている国際運転免許証はそれが運転免許証-ドライバーズライセンスであることすら分からない。International Drivers’ Licenseだと言っても、これじゃダメだと言う。
クレジットカードの大きさのアメリカ風ドライバーズライセンスでないとドライバーズライセンスに見えないというだけのオツム。ちょっと言い合いかけたが、これ以上言ってもしょうがないと諦めた。マネージャと話すしかない。曲がりなりにもHoward Johnsonのマネージャ、IDに関して最低限の知識はもっているだろう。マネージャはどこだときいたら、ダイナーの方に言っているという。それじゃそっちへ行ってメシでも食って帰ってくる。Reservationをキャンセルするなよと言い残してダイナーに行った。
Howard Johnsonのダイナー、朝飯や昼飯には十分だが、夕食はろくな物がない。地場のちゃちなチャイニーズの方が余程気が利いている。でもチャイニーズに行けば、また貸しが増える。食い物を我慢してでも現金が欲しい。
ダイナーに行って席につくなりマネージャを呼べといったら、口調もきつかったのだろう、ウェイトレスが慌ててキッチンに行ってマネージャが出てきた。マネージャに経緯を説明して。Howard Johnsonでは日本政府が発行したパスポートはIDとして認めないのか、国際運転免許証はDrivers’ Licenseとして認めないのかと言った。一日の仕事を終えて疲れていたところにカウンターの女性でうんざりしていたため、ちょっと気が立っていた。日本人に対する人種差別Segregationかとまで言ってしまった。
マネージャがレセプションカウンターまで行って宿泊者記入用紙(名称?)を持って帰ってきた。そこでわざわざHoward Johnsonではと前置きして、トーマスクックのトラベラーズチェックでの支払いは受け付けるのかと聞いた。現金がなくて困っている。百ドル余分に現金化してもらえないかと冷静にお願いした。断れっこない。
どこでもそうだろうが、指示する方は何のためという目的を伝えずに、指示を受ける方は目的を理解せずに形ながらの仕事をするだけになる。
ちょっと説明すれば誰でも出来るように業務を定型化したい。定型化してしまえば、決まったことを決まったやり方で決まったように処理するだけになる。そうすれば特別な人材はいらない。安い給料の従業員で十分。作業者には決まったように処理することだけしか求めない。作業者も決まったことしかしない。定型化から外してしまった業務は宙に浮いたままになる。
日本でもそうしたケースが増えているが、アメリカではヘンリーフォード以来脈々と続けられてきたことで、それがアメリカの文化にまでなっている。能力のある一部の人たちがフツーの人たちがフツーの結果を得られるシステムを作る。大多数のフツーの人たちは特別何も考えることもなく、フツーにやってフツーの結果を得る。
人の能力をもってしかできないと考えられてきた煩雑な作業を、単純な定型作業に分解してシステム作ることで生産性の向上を求めてきた。システムを作る知的生産領域ですら単純な定型作業の組み合わせに置き換える開発が進んでいる。システムを開発する一部の能力のある人たちにしかシステムが何をどう処理しているのか分からない。システムを使う人たち-勤労者や消費者-は簡単に使えるように作れたシステムを使うだけで、それ以上は分からない。それをして人々は便利になったと言う。便利にしているのは、フツーの人たち-大衆を衆愚に落とし込みかねない紙一重のところのシステム。あまりに当たり前になりすぎて、紙一重の危険すら感じなくなってしまった。
p.s.
アメリカのモーテルでは現金があってもIDがないと泊めてくれない。高々三十ドル(当時の相場)程度の宿泊代で三百ドルするテレビを持って行かれては割りに合わない。ピックアップトラックも多いから、その気になればソファーはおろかベッドですら持って行ける。
現金払いの方がいいじゃないかと思われるだろうが、現金はつり銭を出す手間や銀行に持っていって入金するなど人手も食う。その点クレジットカードなら口座の勘定が動くだけで人手は食わない。その上クレジットカードならカード会社が支払いを保証している安心もあるし、記録も残る。
出来れば現金ではなく、クレジットカードでお願いしたいというのが多くなったが、いつもニコニコ現金払いというところもなくならない。記録が残らないから足もつかない。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion5371:150525〕
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