樺さんを偲ぶ!6月15日(月)国会南通用門にて
- 2015年 6月 5日
- 催し物案内
- 樺さんを追悼する会
やはりというか、当たり前のことというか、やっと紫陽花が目につくようになってきました。梅雨前線も近づいているらしいですが、もう6月なのですね。
今年は戦後70年ということが喧伝されています。ひと口に70年と言っても様々で、濃厚な、日付のある事件や日々と忘れ去られ、記憶からも消えて行ったもので形成されているのでしよう。記憶された時間には濃淡があるのですが、ぼくには1960年安保闘争の日々が忘れがたくあります。とりわけ、あの6月15日を前後する日々は特にそうという他ありません。そして、そのときいつも想起するのは樺美智子さんのことです。
1960年の安保闘争は岸というか、権力者たちの「日本が戦争をできる国」にするという野望を打ち砕いたというか、押しとどめたということだったと思います。ベトナム戦争をはじめとする戦争への参加を押しとどめる歴史的な力として後世まで影響力を持ったものでした。今、僕らは岸の孫の安倍首相と引き続く闘いをやっています。その意味では僕の中では安保闘争は今も生きております。現在までその闘いは続いているのですが、最近はあらためてそれを実感しています。
僕は過ぎし日々の中で何かにつけて安保闘争のことを想い出してきたのですが、そのとき、いつも想起するのは樺さんのことでした。彼女が生きていたら、この歳月をどう生きたのだろう、あるいは生きているのだろうということです。
僕らは気が付けば時間に追っかけられるように経てきただけで、どのように生きてきたのかなどが考えられないというのが実情かもしれません。どう生きるか、生きるべきかそれこそ気も狂わんと思うほどに考えたつもりだったのですが、ぼんやり考えて来た以上ではなかったのか、と茫然とすることも多いのです。どう生きるべきかを考えた断片を想起し、回想しているのが精一杯というところでしょうか。でも、樺さんのことを思うとき、僕はまた、生きられた可能性ということを考えます。僕にとっては失われた時間を意味するのかもしれないのですが、樺さんはそれを思い起こさせてくれるのです。
樺さん、もしも生きることが許されていたら、あなたはどういきたのでしようか。こういう問いは許されないことなのかもしれませんが、あなたの微笑みをみるとそういうことが許されるように思ってしまいます。あなたにこういう問いかけをしてしまうのは、あなたが僕らの生きられた可能性であり、夢のような存在だったからでしようか。そんなことはないのよ、あなたたちと同じように、生きられるようにしか、私も生きはしなかったのよ、と答えられるのかもしれませんね。でも、僕はあなたの写真に触れるとき、また、あなたのことを想像するとき、どうしても生きられた可能性について考えてしまいます。勝手に想像しなさいよ、とあなたにはいわれるかもしれないのですが、そんなことを想起する機会も段々と少なくなっているのです。
樺さん、あの1960年の6月15日はこの国会の南通用門のところを多くに人がいました。そして、直接、現場にいた人も、こころの中でそこ加わった人など本当に多くの人がそこを経ました。そして、またまた多くのことを考えたのだとおもいます。長い歳月の中で、それは消えていったり、ここの奥深く残ったりしたものでしよう。さらに、多くの人が1960年の6月のことを語り、作品にもしました。でもそれは、どんなに多くても、人々が考えたことから見れば、極一部にしか過ぎません。多くは沈黙の中にあるのです。今は何の傷痕も残さぬよう消し去られたこの場所の背後にはこうした思いや意識が残っています。そして、それはあなたへの記憶と分かちがたく結びついています。この場所に僕がくるのは、あなたに何か問いかけ、あなたの微笑み返しが欲しいからからかももしれません。そんな思いを持つ人たちとあなたにあいにいきます。(三上治)
今年も樺さんを偲んで国会前に集まろう。
・時:6月15日(月)午後1時~
・場所:国会南通用門
・読経、献花、思いの語り等を行います。
主催:樺さんを追悼する会(9条改憲阻止の会などで構成されています。責任者は三上治、連絡先は03-6201-1011・9条改憲阻止の会の事務所か、090-3908-7330・三上の携帯)
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