ナショナルトレセン(トレーニングセンター)での喫煙に見るスポーツ界の意識の低さ
- 2015年 6月 6日
- カルチャー
- スポーツ喫煙盛田常夫
ハンドボール日本男子代表選手が宿泊室で喫煙し、トレセン使用禁止処分が下された。トレセンには喫煙所が設置されており、指定場所ではなく、部屋で喫煙したことが問題視されたようだ。ハンドボールのように激しいスポーツの代表選手が喫煙常習者だというのは驚きだが、処分の基準がイマイチ分からない。トレセンに喫煙所があるということ自体が驚きだが、指定場所以外で喫煙したことがルール違反に問われたのか、それとも喫煙そのものが問題視されたのか。というのも、その後のニュースでは、トレセン全体に禁煙措置が取られたと報道されているからである。
プロ野球選手でも、入団前の高卒選手が喫煙して、球団から謹慎処分が出されることがたびたび報道される。ダルヴィッシュもそうだった。「スポーツ選手にあるまじき行為」というのではなく、「未成年だから」というのが理由である。要するに、成年になるまで喫煙は待てということだ。中身のない、なんとも形式的な話だ。
プロ野球選手に喫煙者は多い。持久力ではなく、短時間の瞬発力が要求されるスポーツで喫煙者の割合が高い。相撲取りの喫煙しかりである。しかし、喫煙が心肺機能を低下させることは説明を要しないほど自明なことで、紙一重の実力で競っている第一線の選手やプロスポーツ選手が喫煙を常習としているのは、スポーツ選手としてのプロ意識に欠けると言わざるをえない。
現ソフトバンク監督の工藤公康氏は、現役時代、選手の体調管理の態勢確立を厳しく球団に要求することで知られていた。ところが、その工藤氏ですら、喫煙の常習者である。以前、同僚が自然食に凝っていて、しつこく「体に良い」と勧めるので、「たばこをやめる方が、お金もかからず、もっと体に良いのでは」とからかったことがある。工藤氏にも同じことが言える。しかし、日本のプロ野球選手は、喫煙の弊害に無頓着である。
人間は矛盾した存在だから、すべてのことについて合理的に振る舞うことはできないが、プロのスポーツ選手であれば、喫煙を慎むことは最低限の自己管理のはずだが、日本の選手にその意識はきわめて薄い。高校や大学の合宿所時代から、上級生が酒を飲んだり、たばこを吸ったりするのは、上に立つ者の特権とされているからなおさらである。指導者にも喫煙者が多いから、喫煙の弊害を教えることができない。喫煙容認は、日本のスポーツ界の封建的体質の一つでもある。
ヤンキースに移った伊良部投手も、「俺はマラソン選手じゃないから、走る必要がない」とうそぶき、ぷかぷかタバコの煙を蒸かしていた。彼も相撲取りならまだ勤まったかもしれないが、これ程度の意識では、世界の第一線で戦えない。
心肺機能を激しく使う陸上競技に、喫煙者はほとんどいない。百%いないと言い切れないのはどの競技も同じで、どこにも例外はいる。しかし、真の王者に喫煙者はいない。1秒あるいは百分の1秒を争う競技で、喫煙による心肺機能の低下というハンディキャップを背負って、世界で戦えるわけがない。そういう自覚のない選手が世界の舞台で戦えるはずがないのだ。
軽音楽や歌謡曲は別として、肺活量や声帯が命のクラシックの歌手のなかにも、稀にヘヴィースモーカーがいる。プロの合唱団でも喫煙常習者は少なくない。プロの音楽家の自覚が足りない。生活のストレスがあっても、プロの仕事をしようとすれば、禁煙するのが最低限の自己管理である。それができない人に、良い仕事は期待できない。
日本のスポーツ界は、選手の故障と喫煙にかんして、きわめて意識が低い。指導者の意識の低さが、選手の甘い考えを生み、その負の連鎖が再生産されている。未成年だから喫煙してはいけないのではなく、喫煙がもたらすハンディを自覚し、自己管理を徹底することの重要性を教えなければならないはずだ。この面で、日本はまだ後進国だが、トレセンが全面禁煙になったことは最初の一歩として歓迎したい。ただ、たんにトレセンを禁煙にして終わりではなく、スポーツ選手に喫煙の弊害を教え、選手としての自己管理の重要性を教えることも、トレセンの一つの課題にすべきだろう。
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