2015年ドイツ逗留日記(1)
- 2015年 7月 5日
- カルチャー
- 合澤清
1.1日目(7月1日)―くれぐれもドイツの列車に精確な時刻を求めないことです
今回はいつものSAS(スカンジナビア航空)の便を使わなかった。というのは、成田からコペンハーゲン経由でドイツのハノーファーに行く便に乗り継ぐのに、今まではコペンハーゲン空港で1時間程度の乗り換え時間の後、更に1時間の飛行時間でハノーファーに到着していた。その乗り換え便がなくなって、コペンハーゲンで一泊しなければならなくなったからだ。これではわざわざSASを使うメリット(料金が割安であるという)は無い。前にも報告したことがあるが、SASは機内サービスが悪い。私などの使うエコノミークラスでは、飲み物は食事時に缶ビールか小瓶のワインが1本つくだけで、それ以外はすべて有料である。食事もお粗末だ。また座席も非常に狭い。帰国時には、コペンハーゲン空港で5時間以上も待たされなければならない。その間、空港内のバカ高い値段の食事や飲み物をやむなく消費させられるのである。しかもユーロで支払ったおつりは、すべてデンマークのクローネでしか返されない。なるべくぎりぎりで支払わないと、クローネの使い道に困ってしまうことになる。
その点、今回使ったドイツのルフトハンザはサービスが行き届いていると思った。絶えず飲み物のサービスが回ってきたし、勿論ビールやワインなどはお代わり自由である。食事も割に良かったし、座席が前席との間を広くとっているため、のびのびと足を投げ出すことができた。
成田からフランクフルトまでは直行で約11時間、この日は20分ほど早くついた。以前に何度もこの空港を利用したことがあったので、空港内の要領は大体分かっているつもりだったが、それでもかなり様子が違っていた。今まで経験しなかった長い通路を歩き、やっと入国審査場に着く。そこをパスして、階下の荷物受取場へ降りて行く。預けた荷物を受け取り、それを引きずりながら再び階下のSバーン(電車)の切符売場へ行く。ここでも様子が少し変わっていたため、インフォで確認したうえで切符売場の大勢の人の列の尻につく。
空港駅からフランクフルト中央駅までは電車で12分程度。この日の気温は31℃(機内放送)だそうだが、ドイツの日差しは焼けつくように強い。東京の様に大気がよどんでいないせいだろうか。しかし、途中まで地下を走るSバーンの中の暑ささえ我慢すれば、フランクフルト中央駅までは順調だった。
ところがである、かなり時間的にゆとりを持たせて旅行プランを立て、ゆっくり乗車できるはずのドイツ新幹線(ICE)がフランクフルト中央駅に一向に現れないのだ。最初は10分遅れの放送、それから15分遅れという放送に変更、しかし30分ぐらいたってもその姿は見えない。10分遅れから更に15分の遅れということ(都合25分の遅れということ)なのかもしれないと思っていた。そして遅れること40分ぐらいしてからやっと目指す列車が入ってきた。しかし、列車の番号は当初予定していたのとは違っている。念のため、駅員を探してこの列車でよいのかどうかを確認する。それから重い荷物を引っ張って乗車し、空いた席を探して車内をうろつく。やっと空きを探し当てて、この重いトランクを座席上の荷物置き場に乗せようとするが、少しばて気味で力が思うように入らない。ドイツ人の若者がすかさず手伝ってくれて、彼一人でこの荷物を上にあげてくれた。こちらはやっとの思いで女房の荷物(これもかなり重い)を上にあげる。ところが、話はこれで終わらない。
再び車内放送が響き渡る。語学力のなさと疲れから、よく聞き取れない。仕方なしに周辺の人にこの列車はゲッティンゲンに行くのかどうか尋ねた。何人かに聞いて見たが、どうも埒が明かない。ゲッティンゲンがどこかも良く知らないようだ。その内、突然また車内放送があり、ハンブルク行きは○○線ホームへ、ベルリン行きは○○線のホームへ変更になったという。そして周囲の人達はぞろぞろと降り始めた。僕らも慌てて重い荷物を今度は自力で下し、時間を気にしながら乗り換え準備に下車した。しかし、はてどこに行けばよいのやらさっぱり見当もつかないので、再び駅員をつかまえて聞く。今降りたこの電車でもよいという。不安だ。また別の駅員に尋ねる。やはりこの電車はでゲッティンゲンに行くという。既に1時間は遅れている。ゲッティンゲンの駅で出迎えの約束がある。このままではその約束時間を1時間は超過するに違いない。電話をしなければならない。しかし、携帯電話を持っていない(ドイツだけで使用可能な携帯電話を持っているのだが、充電しなければ使えないのだ)。勿論ホームには備え付けの電話などない。焦って来るが仕方がないので、再び同じ新幹線の列車に乗り込む。向こうに着いてから改めて電話をかけて、事情を説明して来てもらうしか手は無いだろう。肉体的にもまた心労も重なってもうくたくただ。幸いにも座席はすぐにとれた。重い手荷物も、今度は近くの荷物専用台に乗せることができた。
こうして何とか目的のゲッティンゲン駅にたどり着いた。出迎えてくれたのは、ホームステイ先の友人の娘さんだった。友人は、腰を痛めて安静状態だとか。しかし、われわれが到着した時には二人の孫たち(先ほどの娘さんの子供)と腰痛を抱えたままで夕食の支度をしていた。早速、みんなでお茶にする。その後われわれは軽食を取りに外出したが、生憎この田舎町に数軒あるレストランは既にしまっていたため、スーパーマーケットでビールとつまみを買って、それを飲みながら疲れをいやす。このビールは最高だった。KrombacherのDunkel(クロムバッハという銘柄のビールの黒)で、これは黒ビールに付きものの甘さを控えた大変おいしいビールである。
2.2日目(7月2日)―行きつけの居酒屋(レストラン)の女主人の誕生パーティ
僕らが住むハーデクセン(Hardegsen)という小さな町からゲッティンゲンまでは、バスで約40分かかる。この日はゲッティンゲンの件の店で3時30頃からそこの女主人の誕生祝いをすることになっている。われわれの住まいの女主人は、この居酒屋で週に2回働いているから、顔を出さないわけにはいかないが、腰痛のため、顔を出してすぐに帰る事にしているとのこと。われわれも彼女の車に同乗させていただく。外は昨日以上の猛暑である。車のクーラーはそれほど効いていない。じっとりと汗がにじみ出て来る。
車だと15分ぐらいでゲッティンゲンの目的場所に着く。この日は既に常連客が何人も集まってきていた。店の入り口の側の座席に常連客で顔見知りの老人夫婦がいて、「久しぶりだね、いつこちらに来たのか?」と握手しながら声をかけてきた。この店で働いている人たち、また今日の主人公の女性やすっかり顔馴染みになったお客たちと次々に挨拶を交わす。僕の悩みは、久しぶりに聞くネイティヴのドイツ語がうまく聞き取れないことだが、そこは生来いい加減にできているせいか、生返事を交えて適当に話を進める。
この店は、去年までは中が狭くて、二階の住まいの一部をも改装して客を入れていたのだが、それでも大勢の客をさばききれず、ついに今年は隣接していたキオスクの店を買い取って、旧来の店舗とつなげて拡張していた。それでも、午後のこの時間からかなりの人が入っていた。ウェイターないしウェイトレスは、当初は一人だけだったが、だんだん客が増えてきてそのうち二人になり、今は三人になっている。
建物は1500年ごろ建てられたものらしく、典型的なFachwerkhaus(木骨家屋)である。ドイツの古い建物にはほとんど例外なく、どこかにいつごろのものかという表示が残されている。この家は、表の一階と二階をつなぐ大きな梁にerbaut um 1500と刻印されている。おそらくゲッティンゲンでも有数に古い建物であろう。
誕生祝いは誠に簡素なものだった。昨年は彼女をとり囲んで『ハッピーバースデイ テューユー』とみんなで歌い、カードにサインし、彼女の奢りのケーキを食べた。今年も同じようなものだった。従業員が総出で彼女を囲んで、祝いを述べ、プレゼントを渡し、彼女は一人一人とハグしながらお礼を言い、そしてケーキとシャンパンを振舞って終わった。
われわれは、そのまま10時頃まで居残ってから帰宅した。疲れからか、歳のせいか、2リットル程度のビールと少量のシャンパンと、おちょこ2杯のシュナップス(仕上げに飲む少し強い酒)ですっかり出来上がってしまった。
3.お天気のこと―ドイツの天気は急に変化する
これも以前に何度か触れたことがあるが、ドイツの天候の気まぐれさは、日常的に持ち歩く雨傘と着るものによくあらわれている。今まで快晴だったと思っていたら、「天空にわかにかき曇り、たちまち凄まじい土砂降り状態」が現出する。と、再びすぐに元の晴天に戻る。こういうお天気が日に何度か繰り返すことがある。そして、その都度気温が大きく変わるのである。T-シャツ一枚で往来を闊歩していて、こういう羽目に出くわすと寒さで震え上がることがある。
また、つい昨日まではヒーターを点けなければいられないほどの寒さだったのが、今日は一転して30℃以上の猛暑となる。実は今年の天候がまさにこういう気象状態であったようだ。われわれがここに到着する直前まで(前週末まで)は、実際にヒーターを点けていたそうだが、来独以来、連日30℃以上の真夏日に見舞われているわれわれには全く信じられない思いである。7月4日には、ついに40℃を記録したらしい。
この4日の早朝、この家の主人に誘われてゲッティンゲンのマルクト(毎週土曜日に立つ市場)に出掛けた。周囲の田舎から持ち寄られた農産物、野菜や花やチーズやハム、パン、ジュース、果物、などなどが所狭しと並べられ、既に大勢の人たちが市場の立つ広場の中を行き交っていた。前に一度この市場でイチゴを買ったことがあった。確か2~3キログラム程を手提げかごに入れたもので、10ユーロほどだったと思う。こんな大量のイチゴを買った事はかつてない。家に持ち帰って、何人かに配って食べたことがあった。凄く甘かった印象だけが残る。今回もまたのはずだったのだが、実際は、前日に家の近くのイチゴ畑にイチゴ摘みに誘われていき、1キロほどもある新鮮なものをわずか2ユーロで買ってきている。これがまた、甘くて味が濃いのだ。東京では、「ン千円」はするだろうと女房が言う。結局この日は、カリフラワーと生ハム(Schinken)300グラムを買う。夜のビールのつまみだ。
少しゲッティンゲンの旧市街地を散歩する。有名なゲンゼリーゼル(Gänseliesel)の像―ガチョウ娘のリーゼルが実はお姫様だったというグリム童話に基づく―を眺め、ぶらぶらと歩く。東京ではほとんどありえないが、この小さな町では不思議に知った人に出会い、挨拶される。ここはドイツのはずだが…。
最後にドイツ人との真面目な話を少し書く。やはり一番のニュースは、ギリシャ問題のようだ。5日ごろにはどうなるか分かるだろうというものの、予想をつけるのは難しい。この後EUがどうなるかということの予測は、更に困難だ。こちらももう少し勉強していかなければならない。もう一つの話題は、この暑さゆえであろうが、「ウォーター・ビジネス」問題だった。20数カ国の関係者がスイスのジュネーヴで密かな会議をやっている。勿論日本も参加している。日本でのこのビジネスの中心は、「JR東日本」だとか。中村靖彦氏の書かれた『ウォーター・ビジネス』という本が岩波新書で出されている事は知ってはいたが、不勉強でまだ読んでいない。われわれにとって、また多くの貧困層にとって誠に深刻で由々しき問題であると思う。
(2015.7.4記)
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