書評:塩原俊彦『ウクライナ 2・0』(社会評論社)
- 2015年 7月 7日
- 評論・紹介・意見
- 染谷武彦
今日、ウクライナを巡ってはロシアによる力ずくの強攻策が周辺の緊張を高めているという見解が一般的である。そうした理解は米国を発信源とする強大な世界規模でのマスコミの誘導もあずかって余りある。本書はかような一般的風潮にたいして断固たる異議申し立てをするものである。件の問題の本質は米国、とりわけその権力中枢部に伏在するネオコンの野望にあるとして、本書は背景となる諸事情の事実関係から世界金融取引の舞台裏やロビー活動などに至るまで具体的な事柄を丹念なファクトファインディングで追求した著者渾身の成果である。ネオコンの正体暴露という意味では、前著『ウクライナ・ゲート』でかなりのていど著者の主張が述べられており、本書ではネオコンそのものへの接近はかなり省略されている。しかし、本書の狙いはウクライナ危機の本質にはイデオロギー的でさえある欧米のロシア孤立策があること、ロシアはせいぜいそうした欧米の攻勢に抵抗だけで、ほとんど主体的関与はなしえていないことなどを浮き彫りすることにある。また、本書では前著『ウクライナ・ゲート』にはない「ぼくは・・思う」形式で述べられる箇所が随所に見られ、著者の感情移入の度合いがより深化していることが見て取れる。
次いで本書の構成を逐一概観してみよう。本書は序章と終章のあいだに3つの章がもうけてあり、各章は「ウクライナ」、「ロシア」、「米国の地政学的戦略」などに、それぞれ充てられている。さらにタックスヘイブンについて論じた付論も加えられており、全体で6つの構成部分からなっている。
序章は「ウクライナ・ゲートからウクライナ2・0」へと題され、本書が前著『ウクライナ・ゲート』の後継書であることが示されている。そして本章の全体像がわかるように工夫されている。ここではウクライナ問題の内実がロシアでなく、実は米国がしかけた策謀であることが浮き彫りにされる。ロシアはといえば、2014年2月21日のウクライナ政変にかんして、これが民主的な選挙で選ばれた政権が暴力によって倒されたこと、それを追認した上で民主化を呼号する西欧勢力の2重基準に反発し、その暴力から自国民を守るためにクリミア併合に至ったと論じており、上記の一般的風潮の流布には意義申し立ての、この限りではロシア擁護の論陣が張られている。
第1章「ウクライナ情勢」では、ウクライナにおける政情が事実経過とともに詳しく論じられ、議会選挙や内戦の実態が暴かれ、他方で、そもそものウクライナが国家的統一の基盤が極めて脆弱なことが詳述され、国家として立ち行かなくなっている構図も詳しく展開されている。
第2章「ロシア情勢」では、ウクライナ情勢をめぐるロシアの諸政策が扱われている。欧米の経済制裁の攻勢に防戦一方のロシア経済が分析され、それと連動したロシアの対中国依存の内実など、西欧からの孤立化を恐れぬロシアの世界戦略が詳しく展開される。
第3章「世界秩序の混迷:剥き出しのカネと剥き出しのヒト」では、米国の地政学的世界戦略、金融的世界秩序の舞台裏が詳しく分析されている。とくに著者が強調するロビイスト問題に焦点を当てたこの章は、緻密な研鑽の成果として特筆に値する。ロビイストがいかに民主主義を破壊しているか、また、いかに巧妙に擬装されているかなど、ロビイストの定義から始まって、それがいかに現代世界政治に根深く浸透しており、政治情勢における役割の大きさなど、ファクトファインディングを基にした事実経過の徹底した検証がなされる。
終章「新しい世界観」では、著者の考えをさらに進めた、近代主権国家という常識の世界にたいする挑戦がなされている。そこでは地球規模の国際機関が展望され、続編「腐敗の世界史」へと連なる著者年来の構想が予告される。
付論は「タックスヘイブンをめぐる嘘」と題されて、定義の難解なタックスヘイブンを
詳しく分析している。そして著者は「神の正義」の見地に立ってタックスヘイブンの違法性を断罪している。
以上が本書の概略である。
本書は、今日のウクライナ危機はそもそも米国ネオコンによって周到に準備されたものでありながら、巧みな報道誘導によってそれが隠蔽され、あたかもロシア一国が悪玉にされている今日の欧米一般の理解にたいする、少なくとも今日のウクライナ問題にかんしてはファクトファインディングを基にした異議申し立ての書となっている。なお、本書は副題に「地政学・通貨・ロビイスト」と掲げられているように、主題のウクライナ問題に関説するからとはいえ、論旨が非常に多岐にわたって深入りしており、ともすれば読者に主題が何だったかを忘れ去らせるかのごとき構成をとっている。
ウクライナの民族問題を切り口として、そもそも「ナショナル」という語を民族という訳語をあてるか国民という訳語をあてるか、延々と講釈するのを手始めとして、本書は随所に背後事情が丁寧に説明され、本質的定義付けをはじめ、碩学の著者の造詣の深さに引き込まれる。さらに、今日の世界秩序混迷の背後にある米国の地政学的世界戦略をがどのように形成されてきたか、興味ある課題に果敢に挑んでおり、第一級の国際政治分析となっている。また、IMFを中心とする世界的な金融秩序の舞台裏、それに応じた主要各国の通貨政策など、予備知識として必要とされる諸事情がまんべんなく網羅され、しかもそれらを理解するには高度な専門性が要求され、通り一遍の斜め読みを決して許さぬ硬派の内容となっている。また、書名としてはウクライナ問題が挙げられているものの、著者じしんの主張は第3章「世界秩序の混迷」に主眼が据えられ、現代世界を覆う諸問題の背後にある世界秩序の作動様式を網羅的に点検し、一定の方向性を模索する形式をとっている。すなわち、今日の政界秩序はロビイストによるカネの支配が横行し、民主主義がカネの力で犠牲になっており、このことはウクライナについても当てはまり、事態の推移が大きく歪められているとされる。そうして、例えば今日のギリシア通貨危機について、著者は市場によって国家がさまざまな政策の見直しを迫られるという構図自体を民主主義の崩壊と見てとる立場を取っている。
最後に、難点を挙げるとするならば、本書は本質的には注で扱うべきであろうことが主題に並立されて展開されているきらいがあり、本筋を追おうとする読者にはしばしば難渋な解説に付き合わされるという面倒があることだ。主題のウクライナ問題に関して展開されるロシア悪玉論への否定の論拠として、どこまで派生的知識に深入りするか、主論と傍論との境界線をどう引くかについては議論の余地があるかもしれない。
いずれにせよ本書は、本質的には今日の世界政治が米国主導の帝国主義的諸政策に蹂躙されていることを突いており、そのことを丹念な文献渉猟から逐一事実経過が証明される形で全体が構成されている。さらにウクライナ問題を離れて、というか元来の主題を脇に置いた形で、広く国際政治情勢の理解を深めるべく多岐にわたる諸課題に果敢に挑戦しており、その意味で本書は啓蒙書の域を遙かに超越した専門性の高い国際政治情勢分析の書となっており、最新の知の好奇心を満足させるに十分である。そして読者には、政府見解を鵜呑みにして無為無策を通し続けるならば、巧妙な報道誘導などにより、日々に徴収されている税金が途方もなく無益な方向に「投資」されかねないという強い警鐘を乱打している。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion5463:150707〕
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