対談記事翻訳: いま世界が注目するポデモスの代表者 パブロ・イグレシアスが語る
- 2015年 7月 9日
- 評論・紹介・意見
- 童子丸開
ギリシャのシリザ党代表のアレクシス・チプラスとならんで、いま世界が最も注目する人物、スペインの政党ポデモスの党首パブロ・イグレシアスの対談記事を和訳(仮訳)しましたので、お知らせします。
ただ、この翻訳記事はかなり長く、またスペインの現在の政治状況を知らないと全く理解できないために非常に多くの注釈を施しています。ですから、このメール配信では私からの前置と翻訳後記を中心にして、対談翻訳の部分は、注釈を省いて、一部のみとさせていただきます。
対談の部分を通してお読みになりたい方は、申し訳ありませんが、
http://bcndoujimaru.web.fc2.com/spain-2/Who_is_Pablo_Iglesias.html
の方をご訪問ください。
ご拡散のほど、よろしくお願いいたします。
2015年7月8日 童子丸開
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http://bcndoujimaru.web.fc2.com/spain-2/Who_is_Pablo_Iglesias.html
対談記事翻訳:
いま世界が注目するポデモスの代表者
パブロ・イグレシアスが語る
《ギリシャからスペインへ》
2015年7月5日は世界の歴史に永遠に残るだろう。欧州の弱小国ギリシャの国民が、恐竜のようなIMF・欧州中銀・EUの「トロイカ」による“ファイナンシャル・テロ”に対して、圧倒的な“OXI!(No!)”を叩きつけたのだ。感動的なまでの圧勝だった。これでギリシャはユーロ圏とEUから出ていくのだろうか。私はそうは思わないし、そうなってはならない。変わらなければならないのはギリシャではなく、欧州なのだ。
いまスペインのラホイ国民党政府は声も出せないでいる。イベリア半島のノーテンキ男マリアノ・ラホイは6月30日に「(ギリシャに対するトロイカの融資案)賛成が勝てば、それはすばらしいことで、他の新しい政権と交渉できるだろう」と、ギリシャのシリザ政権が消えて無くなることを前提にするような軽率な発言でひんしゅくを買っていたのだ。そしてトロイカの勝利とギリシャ国民の敗北への確信(熱望)を高言してきた立場が丸つぶれにされたうえに、いままで目の前にありながら見ようともしなかった「地獄絵」に気づき、慌てふためいて閣僚と額を寄せ合っている。惨めな姿だ。時すでに遅し。
その「地獄絵」とは、「支援」の名目で直接・間接にギリシャに出資してきた 総額260億ユーロ(約3兆5千億円)が戻ってくるのかどうかという問題もあるが、それ以上に、いや必然的にそれに伴って発生する「ギリシャの次はスペイン」という危機の連鎖である。この国には経済危機が間髪を置かず政治危機に転化するための舞台装置が、今までに十分に形作られているのだ。一つにはマドリッド政府に愛想を尽かすカタルーニャやバスク(ナバラ州を含む)の分離独立運動の激化があるのだが、何よりもスペイン政府が恐れているものは、ギリシャのシリザと同じ方向性を持つポデモスの存在だろう。
巨人ゴリアテに立ち向かうダビデのようにギリシャの英雄となった青年チプラスは、早くからポデモスの党首パブロ・イグレシアスと意気投合している。国民投票の結果を見定めて後の交渉を有利にするためにさっさと辞任したギリシャの財務大臣ヤニス・ヴァロウファキスは投票前日の 7月4日に「ギリシャを取り扱っているものは“テロリズム”という名前を持っている」と述べ、またベネズエラのマドゥーロ大統領も国民投票の結果を知って「IMFのファイナンシャル・テロリズムに対する偉大な勝利」とギリシャ国民を称えた。一方でパブロ・イグレシアスはすでに6月27日に「トロイカはギリシャに対してファイナンシャル・テロリズムの作戦を立ちあげている」と警告していたのである。
【写真:イグレシアスは2015年1月22日にアテネを訪問しチプラスとともに演壇に立った。】
そのイグレシアスはギリシャ国民投票での“OXI!(No!)”の勝利を確信してすぐに「今日、ギリシャで民主主義が勝利した」と語って、自らのツイッターの写真をチプラスと一緒に写したものに取り換えた。彼の胸の中ではすでに「ギリシャの次はスペイン」の計画が立てられている。それは決して「皮算用」でも「絵に描いた餅」でもない。ギリシャで起こり、スペインで進行中であり、いずれ欧州全土を揺り動かす巨大な「地下変動」、人々が、目の前の「利益・不利益」を振りかざした嘘と脅迫の正体を見抜いて巨大な権力に対して自ら立ち向かう、本物の民主主義の芽生えに対する確信である。(スペインの権力者どもはこれを「ポピュリズム」と呼んで非難しているが。)
なお、外部サイトでギリシャ情勢に関して正当な見方をしている記事として、田中ニュース:「 ふんばるギリシャ」、マスコミに載らない海外記事:「 ギリシャはいかにして “エコノミック・ヒットマン”の犠牲となったか 」、「他のNATO加盟諸国を待ち受けるギリシャ危機」をお勧めする。また、スペインもその同じ“融資テロ”によって国土と人々の生活と人心を悲惨なまでに破壊されてきたのだが、これは当サイトのシリーズ:「『スペイン経済危機』の正体」を参照のこと。さらにスペイン国内の“テロ実行犯”どもについては「スペイン:崩壊する主権国家」。
《パブロ・イグレシアスへのインタビュー記事の和訳》
ところで、スペインのポデモスとその党首イグレシアスについては、日本でも少しずつ知られ始めただろうが、その生の声を知る人は少ないだろう。そこで、先日(2015年6月24日)にスペインの新聞(インターネット版)であるプブリコ(Público:スペイン語)およびクリティック(Crític:カタルーニャ語)に掲載されたインタビュー記事を和訳(仮訳)してお目にかけることにしたい。翻訳の原本はプブリコ紙の次のスペイン語記事を用いた。
http://www.publico.es/politica/pablo-iglesias-queden-bandera-roja.html
Pablo Iglesias: “Que se queden con la bandera roja y nos dejen en paz. Yo quiero ganar”(パブロ・イグレシアス:“赤旗を保持して我々のことは放っておいてくれればいい。私は勝利したいのだ。”)
ポデモスとイグレシアスについての一般的な情報はこちらのWikipedia日本語版およびこちらのWikipedia日本語版で知ることができる。しかしその登場の背景については当サイト「幻想のパティオ(スペインの庭)」にある多数の記事の情報を参照してほしい。直接にポデモスについて書いているのは『ポデモスの台頭と新たな政治潮流』である。
ただし、この翻訳記事に書かれている内容は、スペインの現代史と現在のスペイン社会と政治状況について詳しく知らない人にとっては全く理解できないことが多いだろう。段落ごとにできる限り詳しい訳注を施しておいたのだが、それでもスペインの社会に生きてその空気を吸っている人でなければ理解は非常に難しいかもしれない。しかしそれでも、この翻訳を通して、少しでもポデモスとイグレシアス、そして現在のスペインについて知る人が増えるなら、翻訳作業の意義があったのかもしれない。
なお、この記事の中で数多く登場するIU(統一左翼党:Izquierda Unida)について最初に説明しておきたい。これは旧スペイン共産党を軸に作られた左翼政党で、フランコ独裁が終了した後、30年間以上も少数政党として一定程度の勢力を保ち続けてきたが、いま、ポデモスの台頭によってその存在意義が問われている。イグレシアスはIUに対して非常に厳しい態度を取っているのだが、その理由についてはこのインタビュー記事の中で十分に説明されているだろう。
また、このインタビュー記事の後ろに訳者からの「翻訳後記 」を掲げ、和訳への補足としておきたいので、ぜひお読みいただきたい。
2015年7月8日 バルセロナにて 童子丸開
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【以下、翻訳記事は長く、注釈が非常に多いため、その一部のみ(注釈は省略)を掲げておく。全文は冒頭のUrlから私のサイトをご訪問いただきたい。】
プブリコ 2015年6月24日
パブロ・イグレシアス:“赤旗を保持して我々のことは放っておいてくれればいい。私は勝利したいのだ。”
【中略】
《問》以前にスペインの政権を執る候補者として立ちあがったパブロ・イグレシアスのイメージは、バジェカスの青年でした。労働者街の、高く掲げる拳と左翼の大学教師の言論と…。あなたが政治に目覚めたのはその場でだったのですか?
私は家庭で政治を学びました。政治に目覚めたこととその結果について語るのは簡単ではありません。私の祖父や曾祖父などと同時に見なければなりません。私の母方の祖父は内戦 での敗者たちの父親で、彼らの一部は非常に将来有望な者たちでした。私の父方の祖父は内戦中はインダレシオ・プリエトの部下でした。死刑判決を受けたのですが、最終的に30年の懲役に減刑されました。
12歳のときに私は、バクーニンやドゥルッティの肖像画とかそんなもので表を飾った紙入れを持って学校に通い、大学進学過程の2年目で、括弧つきですが「共産主義」に親近感を覚えて、学校の友人の何人かと連れだって共産主義青年同盟に所属しました。そこに7~8年いたのですが、学生運動に参加し、学校や教育メディアと同時に法学部の中でも活動しました。イタリアとの交換留学のコースのためにイタリアに行ったのですが、そのことが私を大きく変えました。
《問》ボローニャ大学で一緒にいたのが、まさしく、カタルーニャのプデムの指導者ジェンマ・ウバサールだった…。
そう。赤い都市ボローニャで…。我々が来たときに、かつてのPCIは、いまはPDSになっていますが、市政を失っていました。そして我々はイタリアの自治制度に興味を持つスペイン人学生のグループでした。そこの自主管理社会センター での経験は印象深いものでした。私がボローニャから戻ったときに、マドリッドで世界抵抗運動の創設に参加しました。ジェンマもバルセロナとカタルーニャで全く同じようにしました。我々はプラハでの活動でも一緒で、ツッティ・ビアンキにも参加しましたが、そこで我々二人は白い服で写真に写っています。そして、ジェンマ・ウバサールはあるインタビューに登場しました。何年も昔のことですが白いつなぎ服にくるまれた姿はとても美人でした。いや今でもそうですけどね…。その時期にマドリッドのある社会センター…、研究所ですが、共産主義青年同盟が出て行った後、そこでアダ・クラウやジャウマ・アセンスと知り合ったことを思いだします。またそこで出会った者達の一部はいま市会議員となっているのですが、かつていろんな場所を訪れたときの仲間だった者たちもその中にいて、驚くことがあります。またその時期に、ロックグループのエチョス・コントラ・エル・デロコで歌っていたナチョ・ムルギに出会い、統一地方選挙の前にもまた合ったのですが、やはりいまは市会議員です。またその何年か後になって、ギジェ・サパタもその社会センターの研究所に行っていました。彼は後にパティオ・マラビージャスに行き着くのですが、たまたまそこで出会い、後にそちらでも合って、今に至っています。
【中略】
《問》ポデモスとは何ですか?
ハコボ・リベロがある本の中で編集したインタビューの中で、あなたはポデモスが政党ではないと繰り返しました。プブリコ紙のディレクターとのインタビューで、あなたは、ポデモスは法的な正当性に基づいた政党であると言いました。モネデロは1年前に我々にこう言いました。ポデモスの本質は理論化に基づくものだと語りました。では、ポデモスとは何でしょうか?
ポデモスはビスタ・アレグレ集会の後で政党になりました。それまでは我々は政党ではなく、政党としての機構も構造も持っていませんでした。ビスタ・アレグレで、間違いなく我々は政党に、非常に特殊な政党になりました。他の政党とは異なる特徴を持っていますが、市民社会の他の部分に開かれている小学校の課程のような明らかな特徴や、指導的組織の選挙といったあらゆることがあります。決定的に重要な特徴は、我々が勝利するためのものだということです。それは、我々が普通の政党に変質してしまわないための、また、有効に働く頑強な組織化された仕組みに見るべき効率性と、組織化され効率良いと同時に市民が主人公となることや大衆的な単位を保証するために役立つようや仕組みを持つ手段とを、両立させるための特徴です。
【中略】
《問》統一左翼党についてですが、スペイン総選挙に向けてある協定を結ぶ余地はありますか?
ありえません。ゼロです。最後まで。別の党名を添えるなどできません。
こういうことです。その理由を説明しましょう。善意を持つ人々、左翼系の人々は言います。あなた方は左翼の中でいつもケンカをする、どうして一緒になれないのか、そうすれば右翼に勝つことはもっと簡単だろうに、と。そのように言う人たちはみな最高の善意でそう言っているのです。心からそう言います。考えてくれ、私が…、ガルソンと一緒に進んでくれ、と。しかし、そのことは総選挙で勝利するためには何の役にもたちません。左翼戦線、人民戦線は、多くの人々に一夜の夢を見させてくれるかもしれません。つまり、ああ、1936年2月のように、もう一度いっしょに…、と。これは左翼の一部の人々が持つある種の夢想にとってすばらしいものでしょうが、しかし選挙にとっては何の役も果たしません。無意味でしょう…。それは右翼が、国民党が、そして社会労働党が、望んでいるようなことでしょう。社会労働党は大喜びで、自分の敵はポデモスと統一左翼党の合体したものだと言うでしょう…。すばらしい。マスコミは、その見地に立って、そのようなことへの疑問を止めようとしないでしょう。エル・パイスとエル・ムンドは、我々が統一左翼党と一体化して人民連合を形作ることを非常に心配しています。それは実にセンセーショナルなことです。
昔からの左翼主義者たちや左翼の友人たちは、いつも我々にこう言って注意してくれます。君たちの統一左翼党に対する態度は間違っている、なぜ彼らと一緒にならないのか…。しかし、あらゆる点から見て、機能することが明らかになっていると思えるのは、人々の連合です。党の連合ではないのです。上からやってくる合意ではありません。エリートの中の合意ではありません。政党間の同盟は、選挙にとって役に立たないと我々は考えています。その逆にあるのが、多くの場からやってくる全ての人々に我々が手を差し伸ばすことです。私は、統一左翼党からやってくる人たちが我々の計画に協力して働くことを歓迎します。ポデモスの幹部の一部は過去に統一左翼党の中で活動した経験を持っています。しかし、我々に対して提案されていることは、振り返ってみるならば…、我々がすべてを下手にやったと言いながら1年間を過ごした後でのものです。アルベルト・ガルソンがこの1年間で言ってきたのは、ポデモスは間違いをしでかしたということです。どうしてあなた方は何もかも間違ってきたような者達と一緒に選挙戦を望んでいるのか? 統一地方選でまずい結果になったから…。ということはつまり、あなたたちが抱えている問題を我々に投影してない、というわけだ。
我々がやってきたことの全ては、左翼たちの全員の側から激しい非難を受けています。左翼系のすべての新聞を含みます。チラシの面も議論も、全て悪かった…、と。その結果、新しい場所を勝ち取ることになりました。我々は総選挙に顔を向けた道程表をデザインしています。そしてその道程表に沿って進みます。他のことをデザインした人たちは、首尾一貫してくれればいい。その人らに言わせれば、たいして意味を持っていないのは提案することで、いまや選挙で我々が為さねばならないことは私にとって非常に悪い…、と。そして我々に対して次のように提案する…、君たちは君たちの名前を諦め、我々は我々の名前を諦めて、左翼の共同戦線を持つのだ…、と。我々が、左や右の軸はこの国にある物事を変えるための鍵にはならないと、能動的にも受動的にも語ってきたというのに、そういうふうに提案をします。我々が異なる政治的な計画を持つ以上は、異なる政治的選択肢を我々は公表することでしょう。
【後略】
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《翻訳後記》
1939年のフランシスコ・フランコによる軍事独裁の開始から1976年のフランコの死を経て78年の親憲法制定まで、40年間続いた苛酷な独裁政治は、スペインの大地と人間の心を殺すことができなかった。奪われ破壊されたカタルーニャやバスク、ガリシアの言語と文化は、中央政府に押し付けられた表面的な様々の舗装と装飾とは裏腹に、その地下で延々と生き続けた。同時に、スペイン共産党と社会労働党による左翼活動もまた「地下水脈」を形作って常に新鮮な水を流し続けた。
78年以降、スペイン社会労働党執行部は米欧支配層による帝国主義政策の下僕と化し、長期間にわたって自分たちを下から支えてきた大地と人間を見失ってしまった。かつてのフランコ独裁主義の舗装と装飾が欧米化したマスコミと「中道(左・右)」の支配的な論調によるそれに取って代わられただけであり、その新しい舗装と装飾がスペイン社会の表面を上から覆い尽くした。しかし、騙され搾り取られながらも、大地と人間は生き続け、「地下水脈」は流れ続けている。
大地とそこに生きる人間は国と社会にとって生命の源である。ポデモスという変革を求める新しい党派は決して「新しいもの」ではない。親から子へ、子から孫へと、延々と受け継がれる自由と変革を求める命とエネルギーの一端が表面化しただけである。このパブロ・イグレシアスとの対談記事から最も強く感じるのはこの点だ。しかも、その「地下水脈」はスペインだけではなく、イタリア、フランス、ドイツ、そしてギリシャと、欧州中にそのネットワークを作っている。その点を理解できない人にとっては、パブロ・イグレシアスとアレックス・チプラスの握手がたまたま現われた「似た者同士」、ポピュリストのご都合主義に映るのかもしれない。
また2011年の「15M(キンセ・デ・エメ)運動(参照:当サイトより)」とポデモスの関係にしても多くの人々が様々に言う。ポデモスは15Mから現われたものなのか、それとも無関係に作られたのか…。しかし、《国と社会にとっての生命の源である大地と人間》という視点から眺めるなら、はっきり言ってそんなことはどうでもよい議論である。生命の最後の一滴まで搾り取ろうとするIMFとその手先ども、“ファイナンシャル・テロリズム”と国内の“テロ実行犯”どもの正体を見切り、それに「No!」を叩きつける膨大な人間の塊が、様々な形を取って、社会を上から覆い隠す虚構の舗装や装飾を突き破って現われてくる。その一つが15Mでありポデモスなのだ。
このパブロ・イグレシアスの対談記事で、伝統的な左翼政党、特にイグレシアスが最も近い立場を取ってきた統一左翼党(旧スペイン共産党)に対する異常なまでの厳しい態度に驚く人がいるかもしれない。しかし彼は、国と社会にとって最も大切な、自由と変革を求める命とエネルギーの源から遠ざかり、国と社会に変革をもたらすことのない「残りかす」として組織の維持に汲々とする党派に、断固として三行半を叩きつける。そして、旧来の左翼主義者たちが夢にまで見る「左翼連合戦線」を打ち棄てる。次のイグレシアスの言葉が、最も的確にその考えを示しているだろう。彼にとって大切なものは「右」でも「左」でもない。「下」である。
「しかし、あらゆる点から見て、機能することが明らかになっていると思えるのは、人々の連合です。党の連合ではないのです。上からやってくる合意ではありません。エリートの中の合意ではありません。政党間の同盟は、選挙にとって役に立たないと我々は考えています。」
しかし彼はカタルーニャの左翼政党ICVやEUiAとは共闘できると考えており、実際にこの「変革の道程」で立ち寄ったバルセロナで、6月26日に、ICVのジュアン・アレラ党首や幹部と語り合い、9月27日のカタルーニャ州議会選挙での統一会派結成で合意を結んだ。またポデモスNo.2のイニゴ・エレホンは7月3日にバルセロナで、ICV‐EUiAとともに、「憲法制定プロセス」の代表タレザ・フルカダスと会い、同様に一つにまとまる道を付けた。この合意が遅れたのは、フルカダスが「パレスチナ支援船団」に参加していたために、パブロ・イグレシアスと会うことができなかったためだ。しかしこうして、カタルーニャの中で、民族独立派、独立反対派、そしてプデム(カタルーニャのポデモス)を中心とする全面改革派の3種類の勢力が争うことになるだろう。
対談の中でもイグレシアスは、カタルーニャだけではなく、ガリシアやバレンシアにある左翼系の政党との協力を固めていく予定を持っているのだが、こういった異民族地域で左翼政党は常に、大地とそこに住む人間からわき上がる自由と変革を求めるエネルギーに直面し、マドリッドの党中央とはまた違った要素を持たざるを得ないのだろう。ただ、彼も言うように、テロ集団ETAの影を引きずるバスクではこれは難しいかもしれない。もう少し時間が必要だろう。
2015年の総選挙は、注釈[26]で書いたとおり、9月26日に前倒しされるかもしれない。何とかしてポデモスの攻勢をしのぎ「スペインのギリシャ化」を防ぎたい与党国民党の中にその意見が強く、そうなれば社会労働党もそれに同調するだろう。今のところラホイ首相は、「選挙に向けた大盤振る舞い」を盛り込んだ来年度予算案を示してから、11月28日に行いたい意向を持っているが、ギリシャ情勢のいかんによって、どうなるか予想はつかない。
しかしいずれにせよ、スペインと欧州はこれから数年間、大きな嵐の中に放り込まれるだろう。また折を見てはその様子を私のサイトを使ってご報告する予定である。
【以上】
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion5470:150709〕
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