自国の利益が統治国の良心?!―コソヴォ戦争から見えるもの
- 2010年 12月 29日
- 時代をみる
- スケープ・ゴートポリティカ紙の特集記事岩田昌征非人道問題処理
ベオグラードのポリティカ紙は、12月16日、17日、 18日の3日間続けて一つのテーマを報道している。合計9ページ余。しかも、18日(土)は10ページの別刷り付録まで。ここ20年間で初めて自分たちの主張が然るべきヨーロッパの権威ある機関によって真面目に受け止めてもらえた、という喜びが滲み出ている。その喜びは、どちらかというと、セルビア常民社会のそれであって、ヨーロッパ市民社会による人権論的・人道論的セルビア批判を100%引き受けることをもって自己の良心としてきたセルビア市民社会のそれではない。後者は複雑な気持ちであろう。
ポリティカ紙のかかる異例な関心の焦点は、欧州評議会(47カ国が加盟)の法問題・人権委員会が欧州評議会の議員会議に提出する報告書「コソヴォにおける人々に対する非人道的行為と人間臓器の不法売買」(別刷り付録)である。報告書の執筆者は、委員会から調査責任者に任命されたスイス人のディック・マーティー(本職は検事)である。これまで、コソヴォにおける非人道的行為に関するマスメディア情報は、ほとんどセルビア人による悪事についてと相場が決まっており、それ故に「悪逆非道」なセルビア支配からの完全解放として、北米・西欧の市民社会的国際政治は、コソヴォ共和国の完全独立を強力に推進したのである。その舞台上の立役者こそフィンランドの元首相アハティサーリであり、その成功(2008年2月)を最大の功績として2008年度ノーベル平和賞を受賞した次第であった。
そのような反セルビア的内容であれば、ポリティカ紙がこれほど超大々的にこの調査報告書を取り上げるわけがない。ディック・マーティーは、かつてヨーロッパにおけるCIAの秘密収容所と被収容者の国家間移送を表面化させた報告書を作成した人物である。だからこそというべきか、今回の報告書の内容は、まさにセルビアが長年訴え続け、かつ北米・西欧の市民社会によって黙殺されてきた事件=犯罪そのものである。
独立コソヴォの首相ハシム・タチは、1999年2月のランブィエ会議でアメリカ国務長官オルブライト女史に引き立てられて、コソヴォ政治の表舞台に登場したコソヴォ解放軍指揮官であった。タチを要とする解放軍内のドレニツァ・グループが1999年以来、数多くの悪逆無残な犯罪、西欧へのヘロイン密輸、コソヴォ内と北部アルバニアにおける秘密収容所設置、生体からの臓器摘出と西欧・北米への密輸等々を行っていたとされている。被害者は主にセルビア人捕虜であり、また対敵協力者とみなされたコソヴォ・アルバニア人、そしてドレニツァ・グループの政敵のコソヴォ・アルバニア人である。
欧州評議会がかかる深刻なテーマの調査に動いた契機は、勿論、バルカンの小国の訴えではなく、ハーグの旧ユーゴスラヴィア戦争犯罪法廷首席検事(1999-2007年)カルラ・デル・ポンテ女史の著書『女性検察官:最悪の戦争犯罪と無罰の文化との対決』(2008年)である。それは最初イタリア語で出版された。その出版の故に、コソヴォ問題を自分たちの国益にかなう方向―例えば、コソヴォ内にボンドスティール巨大米軍基地建設を容易化するなど―で一件落着させるために、ハシム・タチの勢力を活用したいNATO的政治意思にうとまれて、カルラ・デル・ポンテは、ヨーロッパから遠いアルゼンチンへスイス大使の形で島流しにされた。私、岩田は本書のセルビア語訳(2009年第2版)を入手して、その第11章「コソヴォとの緊張:1999年から2007年まで」を読んでいた。そこで、カルラ・デル・ポンテは、コソヴォ・アルバニア人ジャーナリストからの情報として次のように書いている。セルビア人捕虜を主とする100人から300人が、1999年夏に国境を越えてコソヴォ・アルバニア人によってトラックで北部アルバニアへ搬送された。それらのうち若く健康な捕虜は良い食事を与えられ、医師の診察を受けて、ブレルという町(コソヴォ国境からアルバニアの首都ティラナに向かって3分の2ほど行ったところにある:岩田)に連れて行かれた。「黄色の家(ブレルから南へ20㎞:岩田)の一つの部屋が手ごろな外科医院として整備されており、そこで医師たちが捕虜たちから内臓を摘出した。臓器はその後、ティラナ近くのリナス空港から密輸され、外国の外科病院で金持ちの患者に移植される。・・・・。外科医は、最初に腎臓を取られた犠牲者の傷口を縫い合わせる。彼らは再びある小屋に閉じ込められ、次の生きた臓器が摘出されて死ぬことになる」(p.269)。
カルラ・デル・ポンテは、調査報告書の完成を聞いて、EU、アメリカ、そして国連がEULEX(コソヴォにおける法の支配、EUミッション)に金銭的・物理的支援を提供し、臓器売買の有無とコソヴォ・アルバニア人有力政治家関与の有無に関する調査を実現するようにと要請した。岩田の見る所、これは実現困難であろう。全176項目からなる報告書の第6項で「一方でセルビア人は悪の抑圧者であり、他方でコソヴォ・アルバニア人は無実の犠牲者であると表現されてきた。・・・・しかし、正義の基本的本質は、万人が同一のやり方で取り扱われることにある」と書かれ、第7項で「西側諸国は空からの攻撃をめざした。そしてコソヴォ解放軍KLAは陸上作戦を担う西側諸国の同盟軍であった。国際的諸アクターは、KLAの戦争犯罪に目を閉ざすことを決意した」とも書かれ、まさしく、ヨーロッパ市民社会の良心の発言であろう。2011年1月25日に欧州評議会の議員会議は、報告書を討議し、採決にかける予定である。たとえ採択されたとしても、実効性はどれほどあるのであろうか。ドレニツァ・グループの戦争犯罪やそれを越えた諸悪行を深く追求すれば、コソヴォを統治していた国際共同体の代表機関、すなわちUNMIK(UN暫定行政ミッション)やKFOR(コソヴォ治安維持機構)、そしてまたコソヴォ独立に向けて指導的役割を果たした文明社会の特命全権アハティサーリ等の黙殺責任に及ぶだろうからである。
私、岩田は、かつて1999年1月に、スターリン主義の歴史歪曲とヨーロッパ市民社会の歴史歪曲の相違について次のように明記した。「ソ連邦のコミュニストは、いったん白を黒と決定したならば、未来永劫にわたって黒を歴史的事実としておく。それに対して、欧米諸国のデモクラットは、必要な限り白を黒と主張し宣伝するが、目的―ここではスロヴェニアとクロアチアの国家独立―を達成してしまえば、後になって誰かが「実は白でした」と真実を語ることを妨げない」(『21世紀フォーラム』1991年1月、政策科学研究所。『社会主義崩壊から多民族戦争へ』2003年、御茶の水書房、p.322)。見られるとおり、「スロヴェニアとクロアチア」が「コソヴォ」に、「後になって誰かが」が「ディック・マーティー」となっただけで、構造は不変である。仮にヨーロッパ人個々人の良心は純であっても、ヨーロッパ市民社会の集合的良心は極度に戦略的である。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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