最大最高の後方支援は在日米軍基地 ―参院は戦後民主主義の真の検証を―
- 2015年 7月 29日
- 時代をみる
- 半澤健市安保日米同盟
《援蒋ルートは後方支援だった》
衆議院で強行採決された「軍事法案」の審議は7月27日から参議院に移った。
突然ながら、読者は「援蒋ルート」をご記憶であろうか。「大東亜戦争」はABCD包囲陣が原因だとよくいわれる。それは米英中蘭の各国による対日包囲網である。中華民国の蒋介石政権を英米仏ソが支援し物資を送り込む回廊を「援蒋ルート」と呼んだ。仏印ルートはその一つである(仏印=フランス領インドシナ。現ベトナム・ラオス・カンボジャのことで当時はフランスの植民地)。ハイフォン港で陸揚げした物資を中国内部へ輸送した。日本軍はそれを阻止するために、ドイツに敗れた宗主国フランスの無力に乗じた。1940年9月、「合法的」に北部仏印に進駐し援蒋ルートの一つを切断した。
今回の軍事法案審議で「後方支援」というとき、我々は「サマワ派兵」や「インド洋給油」の映像を思いだして、局地戦での支援をイメージしている。しかし北部仏印進駐は、国運を賭ける大作戦であった。翌41年7月に、対比・対英作戦を想定して(マニラ、シンガポールへ近道確保)、日本軍は、南部仏印へ進駐した。これは point of no return となった。米国は直ちに対日石油輸出を禁止したのである。つまり後方支援は、その阻止を喚起し、仏印進駐を強行させた。それが展開して日米開戦の引き金となった。
しかし以上はまだるっこしい話である。
スッキリと「日米同盟」自体が米軍の行動の後方支援であると考えられないか。
《日米安保条約にこう書いてある》
「日米安全保障条約」には、前文に「両国が国際連合憲章に定める個別的又は集団的自衛の固有の権利を有していることを確認し」と書いてある。(下線は半澤)
しかし第三条に「締結国(=日米両国)は、・・・武力攻撃に抵抗するそれぞれの能力を、憲法上の規定に従うことを条件として、維持し発展させる」とある。日本は「憲法上の規定」で「集団的自衛の固有の権利」の行使を自ら行わなかったのである。今回の解釈壊憲は米国好戦派が泣いて喜ぶ決定である。
日米安保は米軍が日本を守り、その代わりに日本が米軍に基地を提供するという構成になっていると説明されてきた。国民の多くはそう信じている。
たしかに、その第五条には「各締結国は、日本の施政の下にある領域におけるいずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続きに従って共通の危険に対処するように行動することを宣言する」と書いてある。
また第六条には「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される。」とうたっている。
要するにポイントは
・自国の憲法上の規定及び手続きに従って共通の危険に対処するように行動すること
・日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため
に米軍基地が存在すること
の二点である。
《「日米同盟」自体が米軍の後方支援》
元外務官僚の孫崎享氏らが強調するように、米国が開戦するためには議会承認が必要である。米国が尖閣列島の紛争解決のために対中戦争を宣言する事態は天が落ちてくるよりもっとあり得ないことだろう。
米軍基地の存在理由は、なるほど「日本国の安全」に寄与するためであるが、それと並んで「極東における国際の平和及び安全の維持」のためでもあるのだ。それはベトナム戦争、イラク戦争、アフガン戦争という米国の侵略戦争において、現実に需要な役割を果たした。これを後方支援と言わずして何と言おう。つまり「日米安保条約」は、日本の米軍基地が後方支援そのものであることを示している。
ここまで書いてきたら、『東京新聞』に先を越された。同紙「私説 論説室から」欄(2015年7月28日)に、長谷川幸洋氏が「米軍基地こそ後方支援だ」と題して次のように書いている。「本当は、日米安保条約で米軍基地の存在を認めた時点で、日本は後方支援も含めて日本自身のみならず極東全体の平和と安定維持にコミットしているのだ」。
長谷川氏は、そのコミットメントの是非には言及していないが、「後方支援が問題となるのは〈他国との武力行使一体化〉が違憲とされてきたからだ。だが、そんな議論はミサイル時代に基地の存在を認める以上、意味はない。参院では空虚な形式論議ではなく、安保体制の根幹に迫る議論を聞きたい」と結んでいる。同感である。
《「戦後民主主義」の真の検証へ》
参院が良識の府であれば、戦争法案論議は、日米同盟の虚妄性をあぶり出してもらいたい。それは同時に「戦後民主主義」に対する真の検証に至らなければならない。
「戦後民主主義」は実像なのか。あるいは虚妄であったのか。それを真面目に論ずること。
戦後70年目を、そういう年にしなければ、310万人の魂はアジアの土とわだつみのうちを彷徨い続けることになるのである。(2015/07/27)
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