(報告)まちづくり連続講座(第4回):私たちはどのように21世紀のまちをつくっていくべきか (五十嵐敬喜名誉教授・金子勝教授他)
- 2015年 7月 30日
- 評論・紹介・意見
- 田中一郎
さる7月25日(土)に、法政大学校舎にて「まちづくり連続講座(第4回):私たちはどのように21世紀のまちをつくっていくべきか」が開催されました。当日は、メインスピーカーの五十嵐敬喜法政大学名誉教授(都市政策)に加えて、金子勝慶應義塾大学教授他の講師が招かれ、かつ講演後は会場との意見交換が行われました。今回は「まちづくり連続講座」の第4回目=最終回でしたが、これまで3回と併せて大変興味深い有意義な「社会人向け一般講座」でしたので、以下、簡単にご報告申し上げます。
なお、五十嵐敬喜法政大学名誉教授(都市政策)の方では、五十嵐氏の自論である「総有都市」論(*)も含めてこの4回の「連続まちづくり講座」を踏まえての新しい著書出版を予定されていると聞いております。みなさま、ご期待ください。
(*)人口減少社会へ突入していくこれからの日本における「まちづくり」=都市計画の在り方を考える場合に、日本の法制度において欧米諸国等と比較して突出して強く保護されている土地所有権による「排他的占有・利用」の「壁」(建築自由を掲げる日本の絶対的土地所有権」)を乗り越えるための新らしい「法規制の基礎概念」として、「土地総有」(分割請求権のない共有)が提唱されている。詳しくは、下記の2冊の五十嵐敬喜氏の著書、並びに別添PDFファイルの同氏レポートをご覧ください。
<イベント案内>
(1)景観と住環境を考える全国ネットワーク
(2)イベントちらし
http://machi-kaeru.com/_src/sc2016/82dc82bf82c382ad82e898a91b18du8dc091s8el89f120150518.pdf
(1)まちづくり連続講座(第4回)プログラム(2015年7月25日)
(2)21世紀『総有都市』の形成(五十嵐敬喜法政大学名誉教授 2015.7.25)
(3)新しい時代の街作りの課題(金子勝慶應義塾大学教授 2015.7.25)
<これまでの1回~3回までの連続講座の録画>
●「ユーチューブ まちづくり連続講座」の検索結果 – Yahoo!検索
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(順不同ですが、ここに1回~3回の「まちづくり連続講座」の録画があります。なお、今回の第4回分もいずれユーチューブなどにアップされると思われます:田中一郎)
<参考サイト>
(1)「五十嵐敬喜 総有」の検索結果 本・コミック : オンライン書店e-hon
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(2)都市改革・都市計画制度等改革基本法(五十嵐敬喜・野口和雄:2014年11月)
(3)都市改革・都市計画制度等改革基本法(案)に注目しよう (画期的な都市計画制度(まちづくり)改革法案ができました)
<当日、会場との意見交換の場で私が発言した質問&意見>
(1)土地総有を基礎にした「まちづくり」を、上記(2)「都市改革・都市計画制度等改革基本法(五十嵐敬喜・野口和雄:2014年11月)」で展開されている新しい都市計画法・建築基準法に沿ってやっていくとした場合に、何らかの民主主義的な参加や意思決定の適正化の仕組みや、住民・市民の主体性確立への不断の取組努力がないと、いわゆる(地域やまちづくりの)「ボス支配」につながるのではないかという懸念がある。「まちづくり」ではないが、「総有」における典型的な事例は、いわゆる「浜の総有」に基づいて漁業権運営がなされている我が国の沿岸漁協(漁業協同組合)に見られる「組合のボス支配(私物化)」だ。そうしたことにならないための対策として何かお考えのことがおありか?
(2)地方における強い「開発指向」が非常に心配だ。「開発指向」とは、簡単に言えば「人からコンクリートへ」で表現される、いわゆる「鉄とコンクリート」を大量に使う公共土建事業をやりたがる性癖のことである。たとえば、山に大きな穴をぶち抜いては鉄とコンクリートで道路やダムなどの構築物をつくり、海を土砂で埋め立てては、そこを工業地帯という空き地にしてしまっている、そういう時代遅れ丸出しの税金無駄づかい事業をどこまでもやりたがる地方の根強い指向のことをいう。これをどう抑制し、どう食い止め、転換させるのか、策があればお聞きしたい。
(3)上記(1)の「ボス支配」と密接に関連するが、都市計画や地域の計画において、企業=資本=事業者をどう位置づけ、これを民主主義的にどのようにコントロールしていくかという視点が必要不可欠なのではないか。今日では、地域住民に対して対峙してくる企業=資本=事業者は「強大」で、自然態で放置しておくと、企業=資本=事業者による実質的な地域住民支配が出来上がってしまいかねない(原発城下町がその一例)。都市計画論、あるいは「まちづくり」における企業と住民という問題意識をお聞かせ願いたい。
(上記については、金子勝慶應義塾大学教授から、非常に鋭いご指摘の回答をいただきました。詳しくは、まもなくアップされる予定の当日のVTRをご覧ください)
以下資料のレジュメ
まちづくり連続講座「私たちはどのように21世紀のまちをつくっていくべきか」
第四回21世紀『総有都市』の形成
201 5年7月25日
法政大学名誉教授 五十嵐敬喜
第一 これまでの経過
私たちの連続4回の主題は21世紀、つまりこれまでの15年を踏まえて今後日5年を、都市の観点からどのようにとらえ、また今後どう作っていくかを考えようというものである。というのも21世紀に入って日本は過去に全く経験したことのない、人口減少と高齢化というこれまでの拡大路線とは全く次元の異なる社会を迎える(ほかに国の膨大な借金と財政危機および原発事故の被害があるがここではこの論点に触れない)からに他ならない。この事態を明確にしたのはいわゆる「増田レポート」であり、これによれば、今から30年後の2040年には、現在の日本のほぼ半数の自治体が「消滅する」という。これはこれまで日本を支えてきた都市を巡る意識、構造、あるいは社会状況を一変させる。これに対する有効な手立てはあるのか。おりしも安倍政権はこの「危機」に対して地方版アベノミクスとして「地方創生」戦略を立て、実験を開始し始めた。この政策によって私たちは未来に希望を持てるのか。これが4回の連続シンポの問題意識である。問題は構造的・政治的であり根深い。第一回は「少子高齢化社会」の現在と近未来について、人口論、都市・建築学、安倍地方創生の下での実践論、被災地の復興過程に見られる縮小社会と現実の復興の矛盾など様ざまな角度から、活発な議論を行った。そこで共有されたのは、この人口減社会の到来は、世界中でもまったく経験したことのない、「新しい事態」を生じさせ、現在の安倍政権の「地方創生」(その有効性を含め賛否双方あるが)は、その大変革の中でのほんのとば口の政策にしか過ぎない、と位置付ける必要があるということである。
それを前提に、日本はこれまでどのようにして都市や国土をつくってきたか。これを家庭、地域、都市と農山村、そして国土の全体を歴史的に振り返りながら、未来について考えてみようというのが第二回の「戦後国土政策はどのようにつくられてきたか。田中角栄の功罪」というテーマであった。田中角栄は良くも悪しくも、戦後開発の象徴であり、その著「都市政策大綱」及び「日本列島改造論」は日本社会に圧倒的な影響を与えた。講演及びパネルィデスカッションでは、その成果を認めるもの、かなり否定的にみる意見などもちろんさまざまであったが、総じて経済がデフレに突入し人口減少社会にある現時点では、重化学工業化の下で大量生産・大量消費によってもたらされた高度経済成長時代の田中開発路線は「終わった」という点では一致した結論である。しかし、田中路線とは対極的な立場にあった大平田園都市構想(三全総定住圏構想)に少子高齢化時代の都市への手がかりを見ようという意見もあったが、これはまだ深くは掘り下げられてはいない。なお五十嵐の個人的な意見では大平の田園都市論にはのちに見るように私たちの「現代総有」と基層において共通するものがある、と感じていることを付け加えておきたい。
第3回の「魅力的な都市とその制度的な保障。都市法改革の提案」は、この2回のシンポジウムの成果を踏まえ、それでは私たちにとって魅力的な都市とは何か、またそのためには何をなすべきか、何ができるのか。特に都市法改革を巡って、国レベルでの議員立法、自治体の条例、さらに建築基本法の制定及び都市法改革案、そしてヨーロッパ・バルセロナの経験などが検討された。この3回の議論の中で収穫はもちろん大きかったが宿題もまたいくつも見つかった。それは端的に私たちの目指す都市はどのようなものか、ということである。それらを受けて最終回・4回目のシンポジウムは21世紀都市ビジョンともいうべき「総有都市j の形成とした。これは手探りながら、21世紀人口減社会に対する私たちなりの回答を探そうというものである。そこからどのような希望を私たちは持つことが出きるであろうか。
第二 現代総有の理論
都市や国土は「土地」あってのものであり、その土地所有権のあり方は、「都市の形」に決定的な影響を与える。周知のように、ヨーロッパやアメリカの諸都市(以下「欧米型の都市」という)は、それが歴史的都市であれ近代都市であれ、また低層の町であれ、超高層の都市であれ、さらには中心都市であれ周辺都市であれ、日本の都市と比べると、私たちはある種の「秩序の存在」を感じることができる。この「秩序」は自然に形成されたわけではなく、あくまで,人為的に形成された。端的には土地所有の在り方とそこでの地域形成に対する考え方(強い市民意識)の差がそれをつくったのである。土地所有について、原理的にいえば、これまで多くの人々が指摘してきたように「建築の自由(絶対的土地所有権)と建築不自由(相対的所有権)」の差であり、それは制度的には建築確認と建築許可の差となって表れているのである。前者は土地所有の自由のもと、土地利用は都市の縦と横に自由に拡大され、不要となったときは捨てられる。市民は都市に参加できない。建築不自由の国では、建築や開発は住民自治(地域民主主義)のもとでコントロールされ、そこに秩序が形成されるのである。
この日本の世界で類例のない、建築自由を掲げる日本の絶対的土地所有権はどのようにして作られているか。
所有権を位置づける最高の規範は憲法である。周知のとおり日本の憲法は明治憲法と現行憲法では天皇主権から国民主権へと革命といわれる劇的な変化を遂げた。しかし、こと所有権に関しては、マッカサー草案の相対的所有権を否認し、明治憲法と全く同じ「財産権は、これを侵しではならない」を継続(ただし29条3項の「正当な補償」は昭和憲法で追加)したまま、明治から今日まで続き、その内容について民法206条は「所有者は、法令の制限内において、自由にその所有物の使用、収益および性分する権利を有する」としているのである。
田中角栄も、大平正芳は正反対の国土イメージを提案したが、この所有権についてだけはそれぞれの国土イメージを実現するにあたって著しく障害となるとして一致して修正を求めていたことを記憶にとどめておきたい。
現在東京の超高層群に見られるように所有権は無限大化しているのに対し、他方、空地、空室という形で所有権の死が目立ち始めた。絶対的土地所有権の二極分解が始まっているのであり、これは人口減社会のもと劇的に進行していくであろう。
2 1世紀日本の都市を考えるにあたって、本質的にはこの絶対的所有権に対する対応を考えなければならず、私たちの「現代総有論」は現行憲法体系から導かれる解釈の範囲内で最大の対応を考慮したものである。以下その概略を示しておきたい。
1 所有権には所有と利用の二つの機能がある。上に見た日本と西欧の差は、このうち利用権の自由か不自由かの差異である。
2 総有論は所有部分については西欧あるいは日本での考え方と同様なものとし、利用部分については個別利用ではなく共同利用を行うという点に特質がある。
3 このような利用形態は日本ではこれまで民法の入会権や漁業法の漁業権のような「総有」
と位置づけられたものとして、ヨーロッパではコモンズなどとして知られてきたが、「現代」総有は、これを都市の中で建築や開発を含むまちづくりの中に発展させようというものである。具体的には、志を同じくする土地所有権者が、自らも主体者となる「総有」(組合、株式会社、NPO,公社など。地権者以外に専門家、企業あるいは自治体なども参加してよし、)と「貸貸借契約」を締結し、個別所有権はそのまま維持しながら、その利用については、自治体の策定するマスタープランのもと、共同利用することにし、自ら「まちづくり事業」を営む。組織の内容はそれぞれ定款や規約などによってきめられる。
4 主体者は出資する土地の大小や経済的価値の多寡にかかわらず、一人一票の権限を持ち、
総有主体から外れるときにはその出資分を回収した上で構成員としての地位を失う。共有における「持分権」という概念はとらず、また、「分割請求権」は認められない。これは大きくは、個人利用を原則とする資本主義的な土地利用とも、また国有を原則とする社会主義的な土地利用とも違って、双方のマイナス部分を乗り越えるものである。すなわち、経済社会のあり方として市場メカニズムのもとで、地域住民による民主主義的統制のもとに権利行使を行うというものである。
思想的には世界中どこでもまた誰でも「人は一人では生きられない」という観点に立ち、土地利用(まちづくり)について、相互に助け合わなければ、美しく安心で安全な都市は作れないと考えるものである。これは少子高齢化社会にとって不可欠なものとなる。またこの現代総有論による都市づくりの最大の特徴はまちづくりの主体はまさしく主権者である地域住民であるということであり、住民はもはや行政がつくった計画の被統治者ではなく、自ら地域の文化や歴史を反映したまちを作り上げる統治者であるということを確認しておきたい。
第三 現代的まちづくりのこつのイメージと方法論
この総有型まちづくりを制度的に保証するものとして、私たちは第三回魅力ある都市とその制度的保障で「都市法改革案」(プラス建築基本法)を紹介した。これは日本の現行の都市法制を欧米型の建築許可性に切り替えようというものである。自治体は議会の議決を経て自己の町の行く末を決める「ビジョンとマスタープラン」 を策定する。このマスタープランには従来の用途地域や線引きという近代的な定量的な基準をベースに、景観、緑、歴史と文化といった定性的な基準(言語基準)を導入し、個別建築や開発をこれに適合するように誘導していこうとするものである。イメージとしては日本の大平の田園都市あるいは、かのハワードのそれが原型であり、現代的には四国丸亀での実験、あるいはやや傾向は異なるが東京、大・丸・有や日本橋の商唐街などもそれに近いものとして想定してよい。とりあえずこのような実験を住民に身近なこれを市町村から始め、同時並行的に都市そして全国国土計画などに広げていこうというものである。このような思想と手法による都市づくりを私たちは「総有都市j と呼ぼう。なお安倍政権では、高齢化社会の特効薬としての「都市再生」、いわゆるコンパクトシティ構想(立地適正化計画により市街化の中にさらに線引きをして住宅と病院、学校などの都市施設を集約する)が打ち出され、国土交通省によれば現在70%の自治体が賛同しているという。コンパクトシティ構想は、個別利用ではなく、一定のビジョンのもと、土地利用を集約していくという部分で、部現代総有、総有都市と共通する部分も見受けられるが、そこにあるまちづくりの基本理念は従前と同じ国⇒都道府県⇒市町村という官治的発想であり、補助金と勧告という方法で実現するという手法は、旧来型の都市づくりをそのまま継承しているように思われる。
私たちの総有都市と都市再生は、どこがどう違いその優劣はどのようにして決められるか?
そうした相違点、特徴を通じて、現代総有の概念を明らかにし、その具体化に向けた論点の整理をしていくことが、第4回目のメーンテーマである。
第四 様々な視点からの検鉦と今後
総有都市と都市再生。これはイメージも方法論も全く異なるが、人々は今後個別・分散的に生活するのではなく、棺互に密に依存しあって生活していくという点については、形式的、外形的には、多くの共通点も有している。そこで今回はこれを経済学、農業論、被災地などから検証してもらい「2 1世紀のまちをどのようなまちをつく。ていくか」という問いに対する、確かな手がかりを構築していきたい。これには当然のことながら多様な論点がありうる。
そこで議論があまり拡散しないようにもう一度この連続シンポの前提を共有しておきたい。
1 田中角栄の都市政策・日本列島改造論は10年後の都市や国土の目標をすべて数字で明確
に示している。また「全総」も15年くらいの単位で国土のありようを計画した。増田レポートは2040年、現在から25年後の姿を提示している。なお2100年、つまり22世紀には人口で見れば日本は現在の3分の一に縮小するという予測もある。私たちも、21世紀のまちを考えるにあたって今日と明日という短期的なものではなくこのような長期スパンで考えたい。
2 たぶん日本には劇的な革命はなく(大災害や戦争は除く)、物事はすべて漸進的な改良とし
てしか進まない。したがって今後2ないし30年先の都市や国土も、現在のシステムの改良の中で、理想や希望を共有しつつ、かつリアリテイを有していなければ実現できない。しかしそうはいっても、例えば2040年までに現在の自治体の過半数が消滅するというような事態の急激な展開の中でその対応もドラステックなものとなることも射程の中に入れなければならない。
3 今回の連続、ンンポでは、可能な限り多くの論者を招いて、多様な論点を探ってきた。しかしいろいろな制約の中でいまだ思想、技術、国際化あるいは情報の進展などと総有都市の関係には触れられていない。これらもまちづくりを考えるにあたって極めて重要なファクターであり、いずれこのような「知」 も導入されて、現代総有論がより豊饒なものになることを期待したい。
※「総有都市」について
2040年、日本では人口の継続的減少とそれに伴う空き家・空地の増加などが否応なく起こり、自治体が消滅するというような衝撃的なレポートが発表されました。2100年には日本の人口は現在の約3分のlになるという予測もあります。そのような状況にあって現代総有は、土地・空間を個別に利用するのではなく市民が中心となって共同利用を行い、それによって地域、自治体(都市・農村)そして国土などの全体を変えていこうというものであり、次の世代に大切な社会資本として引き渡そうとするものです。「総有都市」とは、このようにして作られる、都市を言い、これまで人類が育んできた協同と共生の哲学のもと、美しい都市をめざし、市民と専門家の参加により実現されていくものです。
キーワード。不規則に続く人口、無秩序な空間、世代(今の世代、次の世代)間の維持、土地の共同利用 市民と専門家による主体的な取り組み、利益の分配、都市・農村の併存、美しい都市、持続可能な社会、協同、共生、経済、哲学
以上
新しい時代の街作りの課題
金子勝(慶慮義塾大学経済学部)
1.高度成長時代になぜ街作りが政策課題となったか
▼大都市への人口集中
▼都市のスプロール化
▼雇用と所得の増加→ 「中」間層の拡大と要求→革新自治体の誕生
2.1990年代のパブル崩壊以降に起きたこと
▼パブルの本格的崩壊→職業の喪失:若者の雇用流動化→家族の形成がない
▼少子高齢化→東京へ人口が吸い寄せられる→そして人口減少社会へ
▼日本製品の国際競争力の低下→地方における産業空洞化
3 未方策が街作りか
▼人口減少とコンパクトシティ→日本創生会議の「地方消滅」と発想は同じ「効率化」
▼空き家対策や耕作放棄地は重要になるが、職と結びつかない対策は意味が小さい
4. ただし公共空間と私的空間の組み替えは必要になっている。
▼変化は住宅から建築家たちの試み
・難波和彦:「箱の家」
・山本理顕集合住宅と「地域経済圏」
・大月敏雄住宅計画における多様性と雑味(住、医、職、食の近接)
▼コンパクトシティの意味:欧州との違いは何か?
5. 環境・エネルギーの問題
▼産業構造の転換集中メインフレーム型→地域分散ネットワーク型へ
・重化学工業・長期雇用・核家族モテツレの崩壊
・小規模分散型・地域資源、に密着した産業・地域ごとの意思決定
▼省エネ、IoTによって、インフラ(スマートグリッド)、建物、スマートシティー、耐
久消費財のあり方が大きく変わっていく
▼電力システム改革を突破口に、FDCを軸に分散型へ
▼大都市の人口分散、都市と農村の交流のあり方
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion5533:150730〕
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