モニカ-ジャマイカ人社会へ―はみ出し駐在記(35)
- 2015年 7月 31日
- 評論・紹介・意見
- 藤澤豊
いつものように“扇”行って、がっかりしたというのか気が抜けた。客の顔ぶれも何も変わらないが、ローラがいない。先週まではいたし、いなくなるような感じはなかった。マスターと何かあったのだろう。気にしているのを知っているのに何も言ってこない。ローラはどうしたのって聞いてしまえばいいのだが、なんとなく聞きにくい。あんなの放っておけと言外に言われているような気がした。
ローラの代わりにモニカがいた。年の頃は二十代後半、細身で小柄の端正な顔立ちの女性だった。残念ながら多くの日本人には受けない。ローラとは違う。聡明と言っていい。話がはっきりしているのはいいが、相手は英語の怪しい酔っ払い、フツーの話しでも人によっては生意気ととらえかねない。ローラはアメリカ美人の典型で、ブロンドヘアにブルーアイの自称スウェディッシュ(父親に聞いたらスイスだった)だったが、モニカは漆黒に近かった。日本のバーにはローラのようなダムブロンド(dumb blonde)が合っていた。
英語が怪しいのが言うのも変だが、英語が違う。マンハッタンの水商売でうろちょろしているアメリカ(らしい)人たちにはない、きちんとした英語を話す。ローラやジョニーと話していれば、日常会話の丁々発止の英語は拾えるが、まともな英語は拾えない。それは仕事で接する工場労働者も同じで、意思は通じるというレベルの英語にまでにしかならない。モニカにおかしな英語を話したら、注意してもらえるように頼んだ。それはないという言い方をしたときには、きちんとした説明をつけて直してくれた。
日本のバーで多少なりともまっとうな英語を拾うという筋違いの楽しみが出来た。ローラがどこに行ったのか気にはなるが、モニカとの話にはローラを忘れさせるものがあった。人種差別から始まって痛んだアメリカ社会や増え続ける日本の家電製品や車、さまざまなことを話した。いくら話をしても飽きない。拙い英語で話すと、それをネイティブの英語で言い直してくれた。
“扇”で何度も話をしているうちに、週末に夕飯にでも出かけようという話になった。食の好みは分からない。どこか適当なブラッセリあたりでフツーのアメリカメシでいいかと思いながら、モニカのアパートにピックアップに行った。狭いアパートだったが小奇麗にしていた。というより、物が少なかったからそう見えただけかもしれない。近間に気の利いたダイナーはないかと聞いたら、チャイナタウンに美味しい店があるから、そこに行こうと言う。アメリカ人が好きなチャイニーズは、アメリカ人の好みに合わせていて、できれば避けたいと言ったら、あそこは大丈夫、客のほとんどはチャイニーズだから。。。
チャイナタウンには通い慣れていた。さっさと走っていつもの駐車場に入れて、モニカご推薦の店に行った。豪華さはない。地場の中華系の人たちの食事場といった感じの店だった。狭い店で混んではいたが、時間がちょっと早かったおかげで、待つこともなく入れた。客を見渡したが白人は数えるくらいしかいない。何か食べられない物や嫌いな物があるかと聞かれて、何でも大丈夫と答えたら、モニカがいつものという感じで注文した。いつもの?こっちの好みを気にしたのだろう、定番の料理で何も驚くようなものはでてこなかった。確かに美味いし安いいい店だった。
モニカが箸を上手に使う。何と言ったらいいのか分からない。ここで上手というのは適切ではない。上手というのは使う習慣のなかった人が、何度も使っているうちに、あるいは練習して、それなりに使えるようになった状態をいう。モニカの箸使いは、子供の頃から使ってきた使い方で、箸に関してはネイティブだった。なんでそんなに上手に箸を使えるのかと訊いたら、お爺さんが中華系で子供のころから箸で食べることが多かったからと言われた。四分の一は中国人、箸の使い方どころか、チャイナタウンも駐在員なんかよりよっぽど詳しかった。
そう言われれば、モニカの顔立ちには黒人でもない白人でもない、どこか東洋系を思わせるものがあった。肌色はしっかり黒人なのだが、どことなく東北アジアの血を感じさせる。
チャイナタウンで夕食を済ませて、ブラッセリでコーヒーをすすりながら英語のレッスンのことを話した。毎週土曜の午後にNew York Timesを一緒に読むことになった。
翌週の土曜の午後、モニカのアパートに行って驚いた。小学校に上がる直前くらいの男の子と二十代後半の精悍な黒人がいた。息子と友だちだという。独身だとばっかり思っていたら息子までいた。息子の容姿が黒人でも白人でもない。見ようによってはプエルトリカンにも見えないこともないが、なにか違う。後で聞いたら、イタリア系との混血だった。私生活の細かなことには立ち入れない。息子はいるけど結婚はしていない。それがさもフツーという感じで話されると肯定的がいいとしても、どんな相槌を打っていいのか分からない。文化というのか常識なのか、かなりのところで何かが違う。
友だちの容姿に最初ちょっと腰が引けた。細い髪の毛を三つ編みにしたレゲエヘアだった。大柄でちょっと見上げたところにボブ・マーリーのヘアスタイルがいる。なんでここでレゲエヘアなのか?知らないところで会ったら話しかけることなどありえない。見た目で人と判断してはいけないと思いながらも怖かった。
恐る恐る話し始めれば、いい人だった。そのヘアスタイル、毎日シャンプーするの?毎日、そうして(見上げながら)三つ編みにするの?ちょっと時間もかかるし大変じゃない?初対面にもかかわらず、気になって色々聞いてしまった。あまりに無知な日本人の不躾とも言える話に嫌な顔一つ見せることもなく、丁寧に説明してくれた。細い髪の毛が密集しているので、三つ編みにしないと暑くてしょうがない。毎朝三つ編みにするが、慣れているので大した時間はかからない。ジャマイカではこのヘアスタイルがフツーだと言っていた。
話をしていて、どことなくアメリカ人とはちょっと違う。モニカと共通したところのある、きちんとした英語が気になったのにモニカが気付いて説明してくれた。ジャマイカはイギリスの植民地だったから、モニカもレゲエヘアも母国語はブリティッシュイングリッシュだった。それまで、ブラジルはポルトガル語だが、中南米はみんなスペイン語だとばかり思っていた。レゲエヘアもモニカもアメリカ英語になってはいるが、ジャマイカ人の英語-ブリティッシュイングリッシュが残っていた。
話を聞くまで、英語の違いどころか、モニカがジャマイカ人であることすら知らなかった。モニカにしてみればあまりに当たり前のことで、てっきり知っているものと思っていた。
モニカには感心させられることが多かった。ちょっとした素振りから、相手が何を思っているのかを上手に察した。察してもらって嬉しいうちはいいのだが、度重なると他愛なく乗せられているだけかもしれないと気になる。気になりだすと、プラスがプラスでなくなる。気配りのプラスしかないはずなのに、出来すぎた気配りのプラスが重なってゆくと、どこかでマイナスが顔を出す。モニカには申し訳ないし、そんな自分が情けないのだが、嬉しさが続くと嬉しさを素直に嬉しいととれないことがある。
敷居をまたいだまでだが、モニカのおかげでニューヨークのジャマイカ人社会を垣間見れた。黒人社会まではそのうちと思っていたが、ジャマイカ人社会など考えたこともないどころか、その存在すら知らなかった。
チャイナタウンもあればリトルイタリーもある。プエルトリコ人の社会やジャマイカ人社会もあれば、外れた日本人社会すらある。ごたまぜのシチューのようなニューヨークで、それぞれの具(失礼?)が煮崩れすることなく存在を主張している。
何でもありの、人種のるつぼのニューヨーク。ただ、それがアメリカだと言ったら、大多数のアメリカ人からニューヨークはアメリカじゃない。ニューヨークを見て、それをアメリカと思われちゃ困るという苦言がでてくる。確かにニューヨークは一般的な平均的なアメリカではない。あまりに何でもあるからだろう、人それぞれのアメリカがある。外れた駐在員のアメリカは何でもありのニューヨークだった。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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