参議院で廃案に追い込もう
- 2015年 8月 1日
- 評論・紹介・意見
- 安保小澤俊夫
メール通信「昔あったづもな」第50号
安倍首相は、議席数だけを頼りに強行採決をした。彼は、国会での審議が進むごとに支持が落ちてきていることに不安を感じたのであろう。新国立競技場の建設計画を修正することを、採決当日に間に合わせて発表したことにも、その不安は表れている。国民の声に耳を傾けていることをアピールしたかったのである。
安倍首相の国会答弁はいつも抽象的で、言葉の中身がない。戦地の場面の説明は稚拙で、とても現代の戦争に通用する想定ではない。そして傲慢である。それにもかかわらず、一定程度の支持があり、選挙になると勝つ。それは何故なのか。安倍政治に反対するわれわれは、この問題を真正面から考えてみなければならないと思う。
安倍首相は「わが国の安全を守ることが、政府の役割だ」という。だが、その「守る」方法は、軍事力ばかり考えている。「後方支援」とか「駆けつけ警護」。そして、「わが国が十分な抑止力を持つことが、相手の攻撃意図をくじくのだ」という。だが、この考え方はまさに「軍拡競争」の考え方である。どの国も、相手が抑止力を増強すれば、対抗してそれを抑止する力を増強しようとする。米ソ対立時代は、まさこの考え方で軍備拡大競争をしたのである。
だが、国を守る力は軍事力だけではないはずだ。外交力があるはずではないか。一連の国会での論議を見ていると、軍事力の話ばかりだった。安倍首相がホルムズ海峡の機雷の話をしたり、後方支援の話をすると、野党側はそれにつられて、その批判に追われてしまう。軍事力以外で日本を守る論点がほとんど出てこなかった。
「平和国家」として生きていくことを、もう一度確認しよう
日本は「戦争放棄」の憲法を掲げている国である。そのおかげで、世界の諸国、特にアジア・アフリカで、「戦争を仕掛けてこない国」としての安心感を得ている。そして、経済力、技術力、医学力、文化・芸術力で各国の生活安定に寄与している。この「平和力」で他国を幸せにし、自国をも守ることを政治家たちはまともに考えないようである。それは絵空事とでも思っているのであろう。
その「平和力」は、いわゆるアメリカの勢力下にある国ぐにだけでなく、あらゆる国ぐにに及ぼすことができるはずである。これは、「同盟国が攻撃されたら日本への攻撃とみなして攻撃する」という「集団的自衛権」の逆の考え方である。300万人の日本人の命と、3000万人のアジア人の命を犠牲にしてやっと獲得した「平和憲法」を掲げる日本としては、こういう「平和力」を行使すべきなのである。
アメリカから見て敵である国が、皆、日本にとって敵なのではない。そこは落ち着いて、冷静に考えるべきなのである。ロシアはウクライナ問題があるから、アメリカにとって半分敵国である。だが、日本にとっては隣国であり、北方領土問題については友好的に相談していかなければ絶対に希望通りに解決しない。
アメリカは、アフガン、シリア、イラク、イランなどイスラム諸国を引っ掻き回して、収拾のつかない戦乱状態にしてしまった。その悪い結果があの残忍な「「イスラム国」である。アメリカが大軍隊でイスラム諸国の国民を苦しめている、その苦しみの中から生まれた残忍な集団なのである。日本は「イスラム国」を含め、怒れるイスラムの人たちと友好的につきあえる国なのである。今まで、援助はしたけれど、攻撃したことはないのだから。その「平和国家」の心棒である「平和憲法」を掲げて、世界に平和を築くことこそ、日本の世界史的役割なのである。
国会審議を通じて、野党もこの大きな観点からの論議を展開できなかったことに、ぼくは失望している。そして、国民の中にも、「国を守るのは軍事力だけだ」という思い込みがあるから、自民党に票が流れるのではないかと思う。われわれ国民が、平和憲法の力に自信をもち、「平和国家」として生きていくことに確信を持とう。われわれの日本を守るのは、軍事力ではなくて「平和の力」なのであることに確信を持とう。そして、政治家たちに「平和の力で国を守ること」に全力を挙げることを要求しよう。それが「戦争法制」を廃案に持ち込む道なのである。(2015,7.22)
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