オレの息子じゃない―はみ出し駐在記(36)
- 2015年 8月 3日
- 評論・紹介・意見
- 藤澤豊
応援者のテイクケアなど野暮用にさく時間を調整して、週末モニカのアパートに行って英語を教えてもらっていた。一時間もNew York Timesを読んで、発音を直されて、分からない言葉や文章の意味を聞いていれば疲れてしまう。疲れて世間話になりそうになるとNew York Timesに戻された。一時間も過ぎて、もう緊張を保てなくなって初めて世間話になった。とはいっても、New York Timesを使わなくなっただけで、しょっちゅう言い方を直されたから、レッスンが続いているようなものだった。もう今日はここまでというところまでいって、早めの夕食に近くのダイナーに行った。
モニカは、ストイックと言っても言い過ぎではないほどしっかりしていた。お腹がすいている方が勉強に身が入って記憶力も冴えると考えていて、勉強中は水しか飲ませてもらなかった。喉が渇くから行くたびにソーダの類を買ってゆくのだが、New York Timesが終わるまでは水道水で我慢させられた。
勉強の邪魔にならないように言っていたのだろう、男の子は別の部屋に入ったきり、モニカが呼ぶまで出てこなかった。たまにレゲエヘアがひょいと顔を出すことはあっても、二言三言モニカと話してそくさくと帰っていった。
結婚していないとは聞いていたが、一緒に住んでいても籍を入れてないだけのカップルも多いし、旦那は?と思っていた。何度行っても旦那の姿がない。一緒に暮らしているようには見えない。聞いていいものか気にしながら、できるだけ明るい言い方でモニカに「旦那はどこ?」と聞いた。旦那はイタリア系のはず。レゲエヘアの前でレゲエヘアはただの友だちだと言っていたし、そう言ったときレゲエヘアもそうだという顔をしていた。
必要以上に明るくもなく、何も問題と思っていないフツー口調で、「いない」「この子の父親はイタリア系だけど、いない」という。未婚の母なのか、離婚したのかなどとは聞けない。余計なことを言い出してしまった。苦しくなって、不器用に話題をそらした。「大人しくていい子じゃない。素直だし、躾もしっかりしているし。。。」世事ではなく本心だった。
小一時間のレッスンが終わって、男の子も部屋からでてきたが大人しい。たまにモニカに何かを話すことはあっても、大人の会話を遮るようなことはしない。部屋は狭いし、テーブルも小さい。その小さいテーブルの隅に大人しく座っている。一目で男の子がジャマイカ人ではないことが分かる。白人の血が混じっている。
男の子も一緒にたわいのない世間話をして、そろそろいい時間になった。三人で夕食に行こう、折角だから、いつものダイナーより、もうちょっと気の利いた店に行こうよと言ったら、男の子が恥ずかしがりながらも、ちょっと明るくなった。どこにするかという話になって、あれこれ店をモニカが上げていったが、何をどこに言われたところで何も分からない。子供連れにチャイナタウンは喧騒すぎる。結局ちょっと走ったところのイタリアンになった。
躾がしっかりしすぎているだろう、男の子は嬉しいのをストレートに出さない。メニューを見ても自分から何がいいとは言い出さない。ウェイターが飲み物のオーダーを取りに来てもモニカは水しか頼まない。おかげでこっちもガラにもなく水で我慢だった。食事に何を頼んだか忘れてしまったが、いつもスパゲティかなにか質素なものしか選ばない。フツーだったらビールの一杯も飲むところなのに、食後はデザートもなくコーヒーだけだった。コーヒーもいらないというのを、せめてコーヒーぐらいと言ってのコーヒーで、男の子には水だけだった。
メインディッシュの注文を取りにきたウェイターが、ニコニコしながら世事もあってだろうが「お前の息子、いい男の子でいいね」と言った。確かによくしつけられたいい男の子だし、大きくなったらイケメンになるだろうという顔立ちだった。メニューを見ていて、即座に何を言われたのか気が付かなかった。はっと気が付いて、まるで台詞を度忘れした大根役者のように慌てて、よしてくれという語調で「いや、オレの息子じゃない。」と言ってしまった。
モニカも男の子も表情になんの変化もなかったが、食事をしながら、話しながら、そこで「そうだろう、いい子だろう、オレの息子だから」くらいの本気とも冗談ともつかない一言を言う余裕のない自分が情けなかった。もし、そんなことを言えたら、人生も変わっていただろうし、もしかしたらモニカの人生も男の子の人生も変わっていたかもしれない。
モニカには英語だけでなく、母親としてあり方のようなものを見せられた。しっかり者のモニカに対してローラを引き合いにだすことすらモニカには失礼なのだが、ローラは母親としての責任は果たしてますというレベルまでだった。レオナが欲しがればいつでもソーダを与えていた。たかがソーダだが、しっかりした母親はソーダを避けて水だった。それは、そこそこの生活レベルだとか貧しいからというのとはちょっと違う。貧しくても子供をしっかりしつけ、育てなければと思う母親は、母親としてだけでなく、何かにつけてしっかりしている。レゲエヘアも、二人の会話を聞いる限りではモニカには頭があがらない。
モニカのアパートに勉強に行けば三人で食事にでかけた。食事をしながらの、とりとめのない世間話が週末の楽しみになった。結婚など考えたこともなかったのが、モニカと男の子に家庭というもののありようを、ささやかながらも味あわせてもらった。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion5548:150803〕
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