アホノミクスと「あんぽんたん」法制が国を滅ぼす
- 2015年 8月 24日
- 時代をみる
- アベノミクス盛田常夫
日本社会の特殊性
公共インフラや社会保障の拡充を図ろうとすれば、必然的に国家財政の規模が膨らむ。ヨーロッパのほとんどの国では、国家財政の規模はGDPの5割前後で、フランスや北欧諸国のそれは50%を超える。単純化して言えば、所得の半分が各種国税地方税や医療・年金の社会保障負担として、財政や基金に集中される。福祉国家を建設しようとすれば、当然のこととして、個人所得から個人消費に回す部分を犠牲にして、公共サービスの維持に拠出しなければならない。個人所得が小さくなる分だけ、個人消費市場の規模は拡大しない。しかし、北欧の諸国は個人消費を犠牲にして、公共福祉を維持している。たとえば、大きな集合住宅では、個別の家庭が洗濯機を保有することは稀で、いわばコインランドリーのようなシステムで、日常の洗濯を行っている。こうすることで、個人消費が抑えられ、その分だけ公共福祉へ所得が回される。他方、個人消費が抑制されれば、消費財市場の規模も抑制され、消費財産業が日本やアメリカの様には発展しない。しかし、そうやって、質素な生活を維持しながら、公共福祉を維持しているのが北欧諸国である。
こういう状況をみると、アメリカと日本はヨーロッパの諸国と異なる社会だということが分かる。税収が国家財政に締める割合は15%前後で、地方税や社会保険負担を含めても、それらの総額の対GDP比は3割前後である。経済活動に占める個人消費の割合が大きいから、消費市場経済が非常に発達している。
しかし、日本とアメリカは根本的なところで異なっている。アメリカ人に社会保険という発想はない。国民皆保険をなかなか導入できないように、「社会保障の拡大は社会主義」という観念が強い。「国家が経済を掌握すると民間経済が弱まり、自由な経済活動が制限され、金儲けが出来なくなるから、社会保障の拡充には絶対反対」というのが、中・上流階級の基本的な考えである。一攫千金を狙って相互に競い合い、経済的利益のぶんどり合戦を行うのがアメリカである。最初から社会連帯という発想は希薄である。もともと、アメリカは世界の各地から移民してきた人々が構築した国だから、この国是を否定するのは難しい。
こうやってみると、日本は非常に興味深い国で、アメリカ的な消費経済とヨーロッパ的な福祉国家の両方を追及している、世界でも希有な国である。日本は海に囲まれた島国。しかも厳しい自然環境で四季を過ごす日本人は、社会連帯がなければ社会を平和的に維持するのが難しい。だから、アメリカ的な消費経済の影響を受けながら、他方で社会連帯の絆が強く、強固な社会保障制度を構築して社会維持が図られてきた。日本ではよく西欧の社会保障の充実が話題になるが、日本の社会保障の水準は、ヨーロッパ諸国のそれと比べてもひけをとらないばかりか、かなりレベルが高い。高度な市場経済を土台にしているから、福祉サービスのベースも高くならざるを得ない。この面では、日本は高度に発達した社会主義と言っても過言ではない。旧社会主義国の社会保障など、比較対象にもならないほど日本のレベルは高い。
しかし、個人所得への課税を抑えながら、他方で社会保障を充実させるという離れ業はどうやって実現できるのだろうか。政治家や官僚が、無駄を極限まで削減し、国庫に集中した各種税や基金を効率的に運用しているからだろうか。そうではないだろう。
麻痺する政治家と官僚の金銭感覚
社会保障制度の維持や公共インフラの維持整備に巨額の費用がかかる。ところが、日本の税収はGDPに比して極端に低い。歴代自民党政府は有権者の票目当てのポピュリスト政策と成長促進一本槍の経済政策で、税率を上げて税収を増やすことに消極的である。当然、足りない部分は国債発行に頼る。その結果、政府の累積債務は増え続け、1000兆円を超えている。この借金経営はいずれ絶対的な限界にぶつかる。イデオロギーで解決できない問題だ。破綻する前に、政治家・官僚の綱紀粛正と制度全体の再構築が必要だ。
すでに団塊世代が年金生活に入り、社会保障支出が増大しているのに、労働人口は減少するばかりだ。少ない労働人口で、膨れ上がった年金生活者を支えなければならない。中長期的に日本の財政は崖っぷちに立っている。年金基金の枯渇も迫っている。人口が減るのに、拡大を続けるインフラ(高速道路網や新幹線網)の維持管理費用は増え続ける。しかし、右も左も政治家の財政にたいする危機感は乏しい。国のお金は地中から沸いてくるような感覚でいる。
新国立競技場の見直しで、「国がたった2500億円のお金もだせないのか」、「オリンピックは5兆円かかる」などという発言が簡単に口から出るのは、金銭感覚が麻痺している証拠だ。2500億円は国民1人当たり2500円、5兆円は国民1人当たり5万円である。もし「1人5万円、4人家族で20万円の東京五輪実行特別税を払ってくれますか」と問えば、ほとんど国民はそんなにかかるなら五輪は不要と答えるだろう。しかし、政治家だけでなく、国民もすぐに自分の腹を痛めるわけではないし、あまりに金額が大きすぎて現実感覚がないから無関心になる。
ここに財政が肥大化した現代国家の問題がある。日本のみならず、西欧でも旧社会主義国でも、財政規模が大きくなった諸国では、政権政党の政治家と一部の高級官僚が財政のおこぼれを最大限に享受している。補助金支出や業務委託などを通して、政権政党の関係者に国のお金が流れている。日本ではあからさまなインサイダーの利益供与は厳しく罰せられるから、高級官僚が省庁の外郭団体を作り、補助金や企業からの会費で運営される財団や基金などを増やして、天下って役得を得るシステムが構築されている。1000兆円を超える借金があるのに、政治家も官僚も口だけの「財政改革」で、実行がまったく伴わない。
国立競技場の建設で責任の所在が議論されているが、本来の責任組織である日本スポーツ振興センター(JSC)は文科省管轄の独立行政法人で、文科省関係者の天下り先である。こういう組織の代表は、たいした仕事もしないのに、専用車の送り迎えがある「ごっつあん」仕事だ。だから、国立競技場の建設問題の責任と言われてもピンとこないほど感覚が鈍っていて、「責任」観念すら失った組織なのだ。
欧州ではOECDのルーティン的な会合への出席に、欧米諸国の大臣が空港からタクシーで駆けつけることがある。日本の大臣が外遊しようものなら、ベンツの借り上げ車が何台も用意され大名行列になる。こういう感覚だから、私的なゴルフへ行くにも公(社)用車を使ったり、ハイヤーを利用してその請求書を組織や会社に回したりすることに疑問すら感じない。
この種の天下りのために作られた組織は数え切れないほどある。これをすべて整理すれば、数兆円はすぐに節約できる。しかし、官僚にも政治家にも、自らの役得を消滅させようとする決意などない。だいたい、料亭で飯を食いながら財政改革などできるはずがない。財政改革などはたんに任期を全うするまでの、お題目にすぎない。
知性の偏差値が低い宰相
ヨーロッパと違い、日本の官僚の多くは地方出身で、格式ある家系の出身者は少ない。どちらかと言えば、家庭が貧しく苦学して立身出世を遂げた人が多い。政治家も「良家」の出身者は少数派だろう。ところが、現在の日本の内閣を構成している主要な政治家は、経済的に豊かな家系の出身で、たいして勉強や苦労もせずに、付属校をエスカレーターで上がってきた連中だ。要するに、「ぼんぼん政治家」である。
余談になるが、どの私立大学でも付属校出身者の学力が低く、英語などの基本学力の差をどう埋めるかは常に教授会のテーマになっている。中学や高校の受験競争は熾烈だが、いったん付属校に入学してしまうと勉強しなくなる。3年間の高校時代にしのぎを削って勉強してきた学生と、遊んできた学生では、大きな学力の差が生まれる。
幼稚園や小学校から大学まで付属で過ごした学生の学力など言うに及ばない。だから、漫画は読めるが、難しい漢字が読めない学力不足の宰相がいても、なんの不思議もない。こういう「良家」出身の政治家は箔を付けるために留学させてもらっているが、きちんと学業を修めたわけではない。経歴にアメリカやイギリスの大学に留学と書いてあるが、学業を終えた形跡はない。中身がゼロの短期留学である。だから、よせばいいものを、アメリカ議会で英語演説すると、英語力を露呈してしまう。単語を発音するだけでは、英語のスピーチにならないことが理解できない。やはり、坊ちゃん留学は使い物にならない。
かくように、今の政治を主導する政治家の知性のレベルは極めて低い。この程度の政治家を高く評価し、ヨイショする御仁もご主人様と同類である。安倍政治の太鼓持ち百田尚樹、安倍様のネトウヨ歴史観に感動する男芸者橋下徹、安倍メディア監視の小間使い籾井勝人をみれば、皆五十歩百歩だ。麻生派に属する放言議員の知性の程度も、親分と同じかそれ以下だろう。こういう連中に国家の将来を任せると、日本は破滅する。だから、心ある知性人は皆、安倍政治に声を上げ始めている。
ぼんぼん宰相の浅知恵が国を滅ぼす
知性の偏差値が低い政治家は、歴史的視野も狭い。心情的に、過去の日本が犯した過ちを認めたくない、口に出したくないというのは、子供と一緒だ。いつまでも高度経済成長の夢を見続け、景気高揚のために何でもありと考えるのも、馬鹿の一つ覚えだ。日銀がふんだんに通貨を供給してバブルを煽っているが、実体経済が1%も成長しないのに、株式市場だけが何十%も上昇するのはバブル以外の何でもない。しかも、そのバブルを支えるために、国民の年金資産や簡保の資産が投入されている。バブルが崩壊して、これらの資産が毀損した場合、誰が責任をとるのか。誰も責任を取らないだろう。原発しかり、国立競技場しかり、金融緩和しかり、国民資産の株式運用しかりだ。
垂れ流した日銀資金をどうやって回収するのか。アメリカでさえ禁じている年金基金の株式運用という禁じ手を使った罪は大きい。安倍一族や麻生一族の資産をすべてつぎ込んでも、賄いきれないほどの損失がでる。バブル崩壊による国民資産の毀損は万死に値する。それが分からないほど、知性の偏差値が低い。
「隣の家が火事になった時に助けるのは当たり前」という集団的自衛権の例えも間違っている。すでに日本は、この70年間、米軍にひさしを貸して母屋を取られている。アメリカが日本から遙か遠方で起こす戦争に、荷担する義務が追加されるだけの話だ。ヴェトナム侵略戦争で国内のアメリカ軍基地の使用に抗議すら出来なかった日本政府だ。あんぽんたんのぼんぼん宰相が推進する安保法制は「あんぽんたん法制」だ。
知性の偏差値が低い宰相の浅知恵は、日本国民に大きな禍根と犠牲を強いるものになろう。しかし、毀損や犠牲が生じてからでは遅いのだ。
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