70年談話―錯綜する「評価」と「批判」の声― 論理破たんした内容から見える「嘘」と本当の狙い
- 2015年 8月 28日
- 評論・紹介・意見
- 青木泰
<70年談話をめぐる状況と問われていたこと>
戦後70年安倍首相談話が発表された現在、安倍首相は、憲法上認められないとされてきた、集団的自衛権の閣議決定を強行し、そのための法整備、安保法制案を今国会に提案している。その中で、国民の理解が進んでいないことを表明しておきながら、衆議院では強行採決に踏み切った。安倍首相は、「理解が進んでいない」ので採決は控えるのではなく、「それでも参議院でも強行採決しようとしている」のである。彼の中では、どのような論理的一貫性があるのかは闇の中である。
いまこの時期に、安倍首相が、これまでの憲法9条の枠を崩し、普通の国並みの戦争ができる国に法整備する背景には、中国や北朝鮮の軍備増強やミサイル整備による国際情勢の変化があると国会でも本人が説明している。
安倍首相は言葉の上では「積極的平和主義」を語るが、裏を返せば戦争のできるという点を「平和主義」の言葉で隠しているに過ぎない。明らかに、米国の武力行使にいつでも同盟国として協力できる自衛隊、国軍への脱皮を図るという陣立てだ。
今回の70年談話は、安倍&官僚による日本政府が、現行の憲法の下の戦争放棄をかなぐり捨て、国家的破局への道を選択しようとしていることを意味する。どこに向かってゆこうとしているのか。また向かう先について国民による手綱によるコントロールが働く形になっているのか否か、そこには何の歯止めも,保証もない。
日本はかつて「欧米列強の植民地主義に対抗するため」という大義をかかげた。だがこれは擬制の大義に過ぎなかった。自ら新興帝国主義として、アジアで覇権を振い、侵略による植民地支配を拡大し、その権益の維持・拡大のために軍国主義を進めていった。はたして、日本やアジア民衆2300万人の命は何を代償にして払った犠牲なのか。それは政治的抑圧や圧政からの解放のための反植民地戦争の結果とはほど遠く、覇権をめざす大国間戦争の犠牲に過ぎなかった。
この歴史における本質的な問題点にふれないで、欺瞞を糊塗し、取りつくろい、政治的に装いを凝らしたのが、世界注視の中で発表された70年談話である。国内外を問わず、警戒感が高まるのは当然である。
<70年談話の内容の概要>
通常の文章では、起承転結によって、一つの流れがある。その点から考えると週刊新潮が「ぬえ」と表現しているように、この談話は、一つの流れを持たない。今回の70年談話は、安倍首相からするとポツダム体制に象徴される戦後レジームを修正し、現在進める普通の国への体制を内外に宣言するものであった。
その意味で70年談話は、過去の村山談話や小泉談話との違いが、どのように表現されるかで注目されてきた。そこで必然的に、これまで記載されてきた「植民地」「侵略」「反省」「おわび」の4つのキーワードが記載されるかに焦点が当たっていた。結局、文言だけは記載されていた。
その理由は、この間の国会論議やそれによる国民の各界、各層からの反対の声が上がり、取り上げざるを得なくなったからである。実際、安倍首相の集団的自衛権や安保法制をめぐる国会論議の中で次の点が明らかになった。
・集団的自衛権や安保法制が、憲法違反であること
・一内閣による憲法解釈の変更が法治国家として許されないこと
・自民党の支持者までもが、今回のやり方に疑問を持っていること。
・公明党の支持団体、創価学会内で反対の声が噴出し始めていること。
・大手メディアの調査でも、内閣不支持率が、50%前後となり、支持率が、30%台に急落したこと。
その結果、70年談話は、周囲の政治的社会的状況を考えながら配慮した文章になり、4つのキーワードは盛り込む形式をとることになった。だが、なぜ植民地支配、侵略反対を盛り込んだのか、その論拠については曖昧な表現をとり、その一方で積極的平和主義という現行の与党にしか通じない主張を展開するという、パッチワークのような談話になっている。以下問題点を具体的に見たい。
<日本の侵略―植民地支配は、外部環境によって引き起こされた>
70年談話は、「力の行使、国の方針を誤った」と「歴代内閣の立場揺るぎない」そして最後のまとめの3部に分けている。
まず、前段の「力の行使、国の方針を誤った」では、
・70年前の敗戦に至る先の大戦の経過
・先の大戦がもたらした被害の評価
を行ったうえで、
「2度と戦争の惨禍を繰り返してはいけない」「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇も行使も国際紛争を解決する手段としては、もう2度と用いてはいけない」と記載している。
ところがこの「70年前の敗戦に至る先の大戦の経過」での記載内容を見ると驚く他はない。
先の大戦、すなわち第2次世界大戦、太平洋戦争についての記述が
「世界恐慌が発生し、欧米諸国が植民地経済を巻き込んだ経済のブロック化を進めると日本経済は大きな打撃を受けました。」
「その中で・・・力の行使によって解決をしようと試みました。」
「満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は・・・・進むべき道を誤り戦争への道を進んでゆきました。」
と記載し、進むべき道をなぜ誤ったのか、その結果軍部の独走が始まり、どのように植民地支配を広げ、戦争による惨禍をもたらしたのかについての肝心な記載はない。要因としての恐慌や経済ブロック化という外的要因だけで、軍国化による誤った内的動機による転落への道については、一言も触れていない。
しかも被害についての評価については、
「先の大戦では300万余の同胞の命が失われました」
「・・・戦陣に散った方々。遠い異郷の地にあって、飢えや病気に苦しみ、亡くなられた方々、広島長崎での原爆投下、東京をはじめとした各都市での爆撃、沖縄による地上戦などによって…たくさんの市井の人が犠牲になりました。」
と描きながらも、
日本が大東亜共栄圏、八紘一宇構想の下に侵略と植民地支配をつづけ、その挙句太平洋戦争では日本の支配地域をめぐる戦争で、300万同胞をはるかに超える2000万人もの犠牲者を出したことについては、以下のような申し訳程度の一般的記述をしているに過ぎない。
「戦火を交えた国々でも将来ある若者たちの命が数知れず失われました。」「中国、東南アジア、太平洋の島々など戦場となった地域では・・・多くの無辜の民が苦しみ犠牲になりました。」
70年談話の核心的課題は、戦争を起こした責任、反省、謝罪である。だとしたら、まず、戦争によって迷惑をかけた加害事実と、それに対する国家的な責任を明らかにして謝罪することが過去の歴史に対する、真の反省の証しである。その後に自国民の戦争犠牲者を追悼し、戦争の惨禍を反省すべきである。70年談話ではそのことがすっぽり抜け落ち、自国民の被害事実について、詳しく書くという逆転した叙述になっている。
たとえば、日本の軍国主義がもたらした加害事実については、植民地支配地域である台湾、朝鮮も含め、日本軍として参戦させていった事実は、意図的に隠されている。また国内でも、軍国化によって立憲主義がはぎとられ、全体主義へと進んでいった反省が抽出されない分析になっている。
その上、「百年以上前の世界には、西洋諸国を中心にした国々の植民地が、広がっていました。・・・・日露戦争は植民地支配の下にあった多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。」と侵略戦争を自己弁明し、正当化を図っている。この居直りは、「いかなる武力の威嚇も行使も国際紛争を解決する手段としては、もう2度と用いてはいけない」とする反省を込めた憲法の精神が口先だけに過ぎないことを露呈している。
<反省とおわびが、「今後も揺るぎない」と説明される背景>
中段の「歴代内閣の立場揺るぎない」には、「我が国は先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明してきました。」と「反省」と「おわび」を述べている。この論理の虚妄性については、すでにふれた通りである。
通常は、戦争によってどのような迷惑をかけたのかを記述し、その上で、加害者としての反省やおわびを記述するのが、まともな理路というものである。ところが戦争による加害事実を省略したために、反省やおわびは「繰り返し…表明してきた」という過去形の記述に置きかえて、「こうした歴代内閣の立場は、今後も揺るぎのものであります。」と結んでいる。
これでは、歴代首相談話からの借り物になってしまい、安倍首相の主体的談話の意味がなくなる。
このように、反省とおわびに関連した記述は、論理的に無茶苦茶である。例をあげてみよう。
① 「日本は隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫してその平和と繁栄のために力を尽くしてきた。」としている。
(注釈*1)
② 「日本再建の原動力」となったのは、「600万人を超える引揚者」であると植民・移民政策の回顧録をもち出して、戦後復興を語っている。だが、引き揚げ者は、犠牲者であり、加害者でもあることの認識が抜け落ちている。
③ そのあとなぜか捕虜の話が唐突に出され、米国、英国、オランダ、豪州などの捕虜の皆さんが、「互いの戦死者のために慰霊を続け」たと、その寛容の心を称えている。
そうした寛容心によって、「日本は戦後国際社会に復帰することができた」と記載しているが、ここではいったい何が言いたいのか?なぜ日本の復興や国際社会への復帰が、「捕虜だった人々の寛容な心」と持ち上げるのか、それを盛り込むことの意味は、理解が困難である。70年談話を執筆した当人ですら説明できないのではないか。
だが、政府や官僚機構が、政策や事業の説明において論理性を欠き、強引に押し付けるときには、その背後には利権や隠された狙いがあることが一般的である。
おそらく、ここで言いたいことは、日本の経済復興が条件となって、迷惑をかけた国々の「平和と繁栄のために力を尽くしてきた」という弁明を意図したのかも知れない。しかしその最後が「捕虜論」では、論理が龍頭蛇尾に終わっている。
日本が国際社会への復帰を図り、「平和と繁栄」への寄与を語ることができるとすれば、平和憲法を持ち、非核三原則、武器輸出3原則という条件の下、非軍事分野における経済復興に、曲がりなりにも専念してきたからである。(注釈*2)ところが、安倍首相が今やろうとしている現実に戻ると、その日本の「平和と繁栄」の条件となったものを壊そうとしていると言えないか。
日本の「平和と繁栄」論に真正面から入った時には、当然今後も発展させなければならないことと、今後克服しなければならない点について、議論する必要がある。「捕虜論」への論理のすり替えは、論理が展開されることに蓋をしたやり方とみて良いだろう。
<建前論と実態とのかい離>
最終段の70年談話のまとめとして、いくつかの特徴的な表現を臆することなく記述している。だが、これからみる70年談話のまとめの中身は「理屈と膏薬は何にでもつく」(筋の通らないことでも、理屈をつければつけられる)という諺の現代版である。
① 日本の復興は「先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に闘った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々恩讐を越えて、善意と支援の手が差し伸べられたおかげあります。」とし、「アジア、そして世界の平和と繁栄のために力を尽くす」という。
② 「自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去をこの胸に刻みつづけます。」「いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。」
③ 「唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でのその責任を果たしてまいります。」
④ 「20世紀において、戦時下多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去をこの胸に刻み続けます。」「21世紀こそ女性の人権が傷つけられることのない世紀とするために、世界をリードして行きたい。」
⑤ そしてその上にまとめるように「積極的平和主義の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献して行きたい」と記載されている。
これらの5点のうち、①~④について、文言上の異議はない。だが、安倍政権が現に進めている方向とは真逆である。これは額にはめ込まれた飾り物であり作文に過ぎない。
① ②の内容は、建前と本音という形式民主主義の欺瞞を彷彿させる。建前は平和主義でありながら、本音は、憲法に違反した冷戦時の発想であり、集団的自衛権の下で軍事力の増強によって中国に対して抑止力を高めようとする対応である。
③ については、核についての不拡散と廃絶について、安倍首相の広島記念式典で欠落したことである。世界の常識は原発=核であり、安倍首相が原発の再稼働を進めている本音は、将来の核保有の潜在的可能性を考えたものである。
④ についても、安倍首相は、慰安婦問題の所在そのものに否定的であり、ここでも「慰安婦の言葉を使わず、「尊厳や名誉が深く傷つけられた」という抽象的な表現にとどめ、事実と向かい合っていない。日本による植民地支配の拡大にとって、軍が必要だったことと同様に、慰安婦も必要とされてきた。この問題は欠落させることができない。また男女の雇用差別は、現に存在し勇ましく「世界をリード」などという事態とはほど遠い。
⑤ については、言うまでもないだろう。積極的平和主義は、平和主義とは無縁である。憲法で定められた専守防衛を脱ぎ捨て、どこでも、だれに対しても武力行使によって平定し、秩序実現のために本格的軍隊を持つという、積極果敢な強権支配論である。いうまでもなく、これは軍事力には軍事力で対抗して抑止力とし、軍備拡大―帝国主義の復活を覆い隠す文言でしかない。
<まとめ>
以上、70年談話は、4つのキーワードが掲載されたとはいえ、安倍が首相や官僚たちが、進めようとしている現実政治からとらえ返した時、掲げている点の「嘘」と本当の狙いについて、私たちが整理して、議論を深める必要があろう。
時の政府を国民がどう監視し、間違った方向に進むことをチェックする。ある意味ではその点が最も注視されている。今回70年談話の内容にもう一度立ち返り、そこで述べられている主張を整理し、「嘘」と「本当の狙い」としてまとめた。
このたたき台を活用され、いくつもの考えを皆さんも発表し、できるなら私たちの70年談話ができればと考える。
注釈
*1:「戦後一貫して平和と繁栄のために尽くしてきた」果たしてそうだろうか。それは歴史事実の詐称である。朝鮮戦争、ヴェトナム戦争、「反テロ戦争」の後方支援、日本列島不沈空母化を象徴する「沖縄基地」とアメリカ覇権主義との緊密な同盟関係の存在を不問にしている。「平和と繁栄」も域内平和と虚栄のそれであり、現代史的には改めて「平和と繁栄」の内実を問うことが必要である。
*2:日本の経済復興は、「平和憲法を持ち、非核三原則、武器輸出3原則という条件の下、日本が、非軍事分野における経済復興に、曲がりなりにも専念してきたからである。」とよく言われる。この点についても、日本が世界に類例をみない経済成長を成し遂げることができた点について、
ともすれば日本人の優秀な頭脳という議論に横滑りしたり、朝鮮特需やヴェトナム特需などの面のマイナス面の評価が抜け落ちる。
その日本が中国に抜かれて世界第3位のGDPとなった。経済復興を支えるもの、活力は何か。ポジティブな現状分析と展望、国の在り方がここでも必要になる。
2015年8月24日
(協力 ジャーナリスト 蔵田計成)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion5619:150828〕
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