「宿営型表現活動」と表現の自由(下) ―いわゆる[経産省前テントひろば」裁判に関する憲法学的考察―
- 2015年 8月 31日
- スタディルーム
- 内藤光博
アメリカで伝統的に「パブリック・フォーラム」とされてきたのは道
路・歩道・公園などであり,表現の自由の空間的保障を確保するために,
「道路や公園を利用する権利」として主張されてきた。
そして, これまでのアメリカの判例理論の「パブリック・フォーラム」
法理の展開の中で,ある空間(場所)が「パブリツク・フォーラムjと判
断されると, その場所での表現活動を全面的に禁止することはできず,そ
こでの時・方法などの規制は合理的なものでなければならず,すべての表
現者に平等にアクセスが保障されなければならないとされ,その場所にお
ける所有権や管理権は制約されるか,あるいはその場所の本来の利用目的
と両立されるべきか否かが問題とされるに至った⑫。
さらに, 1983年のPerry Education Association v. Perry local Educator’s
Association事件連邦最高裁判決では, 「パブリック・フォーラム」を,①
「伝統的パブリック・フオーラム」(道路・歩道・公園など),②「指定的
パブリック・フォーラム」(公会堂・公立劇場など),③「非パブリック・
フォーラム」の3類型に区分して以来, その区分に応じて問題の解決を図
る判例理論が確立してきた⑬。
注⑫ 山元一「表現の自由とパブリック・フォーラム」LS憲法研究会編]『プロセス演
習憲法・第4版』(信山社, 2011年)122頁。アメリカの「パプリック・フォーラム
論」に関する研究論文としてと,長向徹「アメリカ合衆国におけるパブリック・フ
ォーラム論の展開」香川大学教育学部研究報告第I部. 64号(1985年)53頁以下,
紙谷雅子「パブリック・フォーラム」「公法研究J50号(1988年) 103頁以下,同
「パブリック・フォーラムの落日」樋口陽一・高橋和之編『芦部信喜先生古稀祝賀
現代立憲主義の展開上」(有斐閣. 1993年)643頁以下,市川正人『表現の自由の法
理』(日本評論社, 2003年)110-133頁,松田浩「『パブリック』『フォーラム』 ケ
ネデイー裁判官の2つの闘争」長谷部恭男編『講座人権論の再定位3人権の射
程』(法律文化社, 2010年)181頁以下.等を参照。
注⑬ Perry Education Association v. Perry local Educator’s Association,460 U.S. 37pp.
45-46.本判決の判例の内容や訳については,中林暁生「『政府の言論の法理』と
『パブリック・フォーラムの法理』との関係についての覚書」季刊・企業と法創造
7巻5号(2011年)88頁を引用させていただいた。
①の「伝統的パブリツク・フォーラム」とは, 「永きにわたる伝統ない
し政府の命令により集会及び討論に捧げられてきた場所」をさし, 「その
主要な目的は思想の自由な交換であるので, 言論主体がパブリック・フオ
ーラムから排除されうるのは,その排除がやむにやまれぬ政府(州)の利
益に仕えるために必要であり,かつその排除がその利益を達成するため
に限定的になされている時のみである」とされる。
②の「指定的パブリツク・フォーラム」とは,「政府がある場所やコミ
ュニケーション手段を意図的にパブリック・フォーラムに指定した時は,
言論主体は, やむにやまれぬ政府の利益なく排除されえない」とされる。
③の「非パブリック・フォーラム」とは, 「伝統」や政府による「指定」
のいずれによってもパブリック・コミュニケーションのためのフオーラム
ではない公的財産をいう。
この分類にしたがった場合の違憲審査基準としては,①の類型では,通
常の表現の自由の規制に関する厳格な違憲判断基準が適用され,政府はこ
の類型のパブリック・フォーラムを表現・集会活動に対して閉ざすことが
禁止される。
②の類型については,政府は表現活動のためにオープンにしておくこと,
またこうしたフォーラムを作ることについての憲法上の義務はなく,廃止
することもできるが, この類型のフオーラムが存在し続ける限り, 表現の
自由の法理が妥当する。
③の類型については,政府に広い裁量が認められ,特定の見解に基づく
差別でない限り,内容に基づく差別さえ認められるものというものであ
る⑭。
しかしながら, こうした「パブリック・フォーラム」の3類型論には,
アメリカの理論においても, 日本の憲法学でも, つぎのような批判が向け
られている⑮。
注⑭ 松井茂記『日本国憲法』(有斐閑, 1999年)465-466頁。
注⑮ 平地秀哉「駅構内でのピラ配布と表現の自由」長谷部恭男・石川健治・宍戸常寿
[編]『憲法判例百選I・第6版』(有斐閣, 2013年)133頁。
第lに,この類型論によると「パブリック・フォーラム」と認められる
のは,政府所有の財産のみであり,私有財産はパブリック・フォーラムか
ら排除されてしまうことである。
また,①の類型に分類される「パブリック・フォーラム」の基準が「伝
統」にあるとすると,新しい類型の表現の場(大規模な国際空港など)が
除外されてしまうことである。
第2には,②の類型の「パブリック・フォーラム」について, 「指定的パ
ブリック・フォーラム」の内容や射程が政府の意図により確定してしまう
ので,救済を求めている表現者が排除されてしまう点である。
すなわち,こうした3類型による「パブリック・フォーラム」論は,あ
る場所を「パブリック・フォーラム」でないとすることにより,表現活動
や集会の規制を正当化する理論として機能するおそれがあるのである。
このような批判があるものの,「パブリツク・フォーラム」の法理におい
ては,道路・歩道・公園など,明らかに「パブリック・フオ}ラム」にあ
たる場所や空間については,政府による規制を極力排除して,活発な言論
空間を保障しようとしてする点で評価される。
2. 日本における「パブリック・フォーラム論」の可能性
日本においても,この「パブリック・フォーラム」の法理は注目され,
最高裁判例の中でも論じられている。
私鉄の駅構内で鉄道係員に無断でビラ貼りおよび演説を行い駅管理者の
退去命令を無視して駅構内に滞留した行為が鉄道営業法35条と刑法130
条後段の不退去罪に関われたいわゆる「駅構内ピラ配布事件」最高裁判
決⑯における藤正己裁判官の補足意見では, 「パブリック・フォーラム」
について, つぎのように述べられている。
「ある主張や意見を社会に伝達する自由を保障する場合に, その表現の場
を確保することが重要な意味をもっている。特に表現の自由の行使が行動
を伴うときには表現のための物理的な場所が必要となってくる。この場所
が提供されないときには,多くの意見は受け手に伝達することができない
といってもよい。一般公衆が自由に出入りできる場所は, それぞれその本
来の利用目的を備えているが, それは同時に,表現のための場として役立
つことが少なくない。道路,公園,広場などは, その例である。これを
『パブリック・フオーラム』と呼ぶことができよう。このパブリック・フ
ォーラムが表現の場所として用いられるときには,所有権や,本来の利用
目的のための管理権に基づく制約を受けざるをえないとしても,その機能
にかんがみ,表現の自由の保障を可能な限り配慮する必要があると考えら
れる。道路における集団行進についての道路交通法による規制について,
警察署長は,集団行進が行われることにより一般交通の用に供せられるべ
き道路の機能を著しく害するものと認められ,また,条件を付することに
よってもかかる事態の発生を阻止することができないと予測される場合に
限って,許可を拒むことができるとされるのも(最高裁昭和56年(あ)第
561号同57年11月16日第3小法廷判決・刑集36巻11号908頁参照).道路の
もつパブリック・フォーラムたる性質を重視するものと考えられる。
もとより,道路のような公共用物と,一般公衆が自由に出入りすること
のできる場所とはいえ,私的な所有権,管理権に服するところとは,性質
に差異があり, 同一に論ずることはできない。しかし,後者にあっても,
パブリック・フオーラムたる性質を帯有するときには,表現の自由の保障
を無視することができないのであり, その場合には,それぞれの具体的状
注⑯ 最高裁第三小法廷昭和59年12月18日刑集38巻12号3026頁。
況に応じて,表現の自由と所有権,管理権とをどのように調整するかを判
断すべきこととなり,前述の較量の結果,表現行為を規制することが表現
の自由の保障に照らして是認できないとされる場合がありうるのである。」
この伊藤補足意見における「パブリック・フオーラム」の法理では, ア
メリカにおける3類型論にはよらず, 「伝統」や「公的・私的」の区別をす
ることなく, 「パブリック・フォーラム」の概念をより広く捉え, 「一般公
衆が自由に出入りできる場所は, それぞれその本来の利用目的を備えてい
るが, それは同時に,表現のための場として役立つことが少なくない」場
所と定義し,道路,公園,広場などがこれにあたるとしている。
そして, 「パブリック・フォーラム」と認定された場所(空間)が,表現
活動の場として用いられるときには,所有権や,本来の利用目的のための
管理権に基づく制約を受けざるをえないとしても, その機能にかんがみて,
表現の自由の保障に可能な限り配慮する必要があるとしている。
つまり,伊藤補足意見は,表現・集会活動と所有権や管理権との利益較
量を前提としつつ,当該言論空間(表現・集会を行う場所) の「パブリッ
ク(公共・公開)性」に着目して,「パブリック・フォーラム」にあたる場
合には,表現活動の空間的保障の領域を拡げることにより,民主政治の基
礎をなす表現の自由および集会の自由の優越性に配慮すべきとする考え方
であり,大いに評価される⑰。
注⑰ ただし,伊藤補足意見については,「表現の場所としての有効適切性をどう判断
するのかが定義上関われるはずだが,ここではそれを明らかにしていない。同意見
にとって,表現の場所としての有効適切性は,規制の合憲性の利益較量の手法の一
つの較量要素として位置づけているのだから,パブリック・フォーラムの正確な定
義は必ずしも必要ではなかったからだろう。公共用地の類型に応じて異なった合意
性審査基準を提示してきた合衆国の判例理論床の点で異なっており,評価が分かれ
よう」という批判論がある。(長岡徹「釈構内のピラ配布と表現の自由」芦部信喜・
高橋和之,長谷部恭男[編]『憲法判例百選1.第4版』(有斐閣, 2000年)133頁。)
3. 「パブリック・フォーラム」としての「経産省前テントひろば」
それでは.「経産省前テントひろば」は.「パブリック・フォーラム」と
見ることができるのであろうか。この点について,伊藤正己補足意見に即
して考察してみたい。
「経産省前テントひろば」のテント設営地は,前述のように,経産省の
北側の交差点角に位置し,経産省の敷地(すなわち,国有財産)ではある
が,敷地を区切る欄外にある半円形をした形状の空間である。面積は
89.63平方メートルあり,霞ヶ関付近の建物の案内板が設置されている。
経産省ビル前庭との間には柵を挟んでベンチ本石が置かれており,その
目的は特定されていない。したがって,一般市民の交通などの利便に供せ
られるべく提供された「公開空地」と見ることができる。
すなわち.「経産省前テントひろば」は,経産省が公開空地とすること
によって,事実上のパブリック・フォーラムとしての機能を担っていると
いえるのである。
「経産省前テントひろば」は,アメリカの判例理論に言うところの「伝
統的パブリック・フォーラム」にあたり,伊藤正己補足意見が指摘すると
ころの「一般公衆が自由に出入りできる場所」であり.「表現のための場
として役立つ」「テントひろば」は,パブリック・フォーラムとして,誰
もが自由にアクセスでき,憲法が保障している自由な言論活動を行いうる
公共空間であると考えられる。
また,経産省はこの空地を何らかの公共目的をもって利用しているわけ
でもなく,本件市民らは平和のうちに表現活動を行っており,この空間を
特定の重要な公共目的のために利用しようとする他の者の利益を害するわ
けではなく,さらには,言論活動を行おうとする他者との競合もない。
したがって,経産省は.「テントひろば」について,国有財産として管
理権を有するものの,その「パブリック・フォーラム」としての機能にか
んがみ,表現の自由の保障に可能な限り配慮する必要があるといえる。
Ⅳ. 本件訴訟のもう一つの問題-「スラップ訴訟」にあたるか?
スラップ訴訟とは何か-「裁判」を利用する言論抑制-
本件訴訟では,表現の自由の問題に関わり, もう一つの論点がある。そ
れは,経産省による本件提訴が, いわゆる「スラップ訴訟」にあたるか否
かという問題である。近年,大企業や政府機関により, ジャーナリストや
報道機関はもとより, 一般市民,市民運動団体や労働組合などの私的な団
体をターゲットとして, 言論を封じ込めることを目的とする民事訴訟が提
起される事例が問題となっている。いわゆる「スラップ訴訟」である。
スラップ訴訟とは, 1980年代に, アメリカでその問題性が指摘された訴
訟の性質を表す言葉である。英語では“Strategic Lawsuit Against Public
Participation (SLAPP)” という。
直訳すると「公的参加を妨害することを狙った訴訟戦術」であり,具体
的には「公に意見を表明したり,議願・陳情や提訴を起こしたり, 政府・
自治体の対応を求めて動いたりした人々を黙らせ,威圧し,苦痛を与える
ことを目的として起こされる報復的な民事訴訟」と理解される⑱。
スラップ訴訟の特徴⑲としては,大企業や政府機関が,①その正否や妥
当性をめぐり論争のある重要な政治・社会問題や公共の利益にかかわる重
注⑱ SLAPPIC (スラップ訴訟情報センター)のホームページhttp://slapp.jp/slapp.
htmlから引用。このホームベ}ジでは,スラップ訴訟の内容,国内外の事例の紹
介や参考資料が紹介されており,スラップ訴訟について詳しく知ることができる。
また,スラップ訴訟に関する文献として,烏賀陽弘道「『SLAPP』訴訟とは何か-
『公的意見表明の妨害を狙って提訴される民事訴訟』被害防止のために」法律時報
82巻7号(2010年6月号)所収,同『スラップ訴訟とは何か裁判制度の悪用から
言論の自由を守る」(現代人文社, 2015年)を参照。
注⑲ George Pring,Penelope Canan,SL APPs: Getting Sued for Speaking Out, Temple
University Press,1984,p. 209ff, 前掲SLAPPICのホ一ムベ一ジジ、http://slapp.jp/slapp.
html参照。
要な問題について,②大企業や政府機関など財政・組織・人材―などの点で
優位に立つ側が原告となり,③憲法21条l項で保障されている正当な意見
表明行為(集会,デモ行進,ピラ配布,新聞や雑誌への寄稿,記事の執筆
など)を行った個人や市民らなどを被告として,④プライパシー侵害,住
居不法侵入,業務妨害などの民法上の不法行為に基づき,合法的に裁判所
に提訴し,多額の損害賠償金を請求し,⑤その真の目的が,裁判を提起す
ることにより,金銭的・精神的・肉体的負担を市民や団体など被告に負わ
せることにより,言論活動に萎縮的効果(20)を与え,言論弾圧を行うことに
ある(21)といえよう。
さらには付け加えるとするならば,いまだ訴えられていない潜在的な公
的問題に対する発言者も,企業や政府機関の提訴を見て表現活動をためら
うようになり,かつ公的発言者らを提訴した時点で,彼らに苦痛を与える
という目的は達成されることになるので,原告の企業や政府機関の側は,
訴訟の勝敗にはこだわることはないいわば裁判としての意味をもたない
提訴であるといえる。
2. スラップ訴訟としての経産省による提訴
国(経産省)による「経産省前テントひろば」に対する立退き・損害賠
償請求訴訟は,アメリカでいうスラップ訴訟であることは明らかである(22)。
注(20)萎縮的効果(chilling efect) とは, 「表現の自由のような憲法上の権利の行使を
著しく妨げる法律や活動(practice) の効果」であるとされる。(Bryan A. Garner
(ed),Bl ack’s Law Dictionary,Tenth Edition,2014,p. 293.)アメリカとドイツの萎縮
的効果論を基軸に「表現の自由」保障の本質について詳細に論じた研究書として,
毛利透『表現の自由―その公共性ともろさについて』(岩波書店, 2008年)を参照。
注(21)わが国のスラップ訴訟の事例について,前掲SLAPPICのホームページhttp://slapp.jp/slapp.労働法律旬報2014年7月下旬号(1820号)を参照。
注(22)本件における経産省のスラップ訴訟性を論じた文献として,内藤光博「スラップ
訴訟と表現の自由一経産省前『テントひろば』裁判について」法と民主主義493号
(2014年11月号)32頁以下参照。
第1に, 土地明渡しの対象となっている経産省前の土地は, 前述のよう
に,公開空地として一般市民に提供された空間であり, その目的も特定さ
れていない。経産省はその土地から何らの経済的利益をあげているもので
もなく, またテントが設置されたからといって, 一般市民の公共利便性を
大きく損なうものでもない。つまり,経産省にとっては,逸失利益は何も
存在しないといえる。
第2に. 「経産省前テントひろば」のテント設営地は,経産省が公開空
地としているが放に,事実上の「パブリック・フォーラム」としての機能
を担っているといえる。
すなわち、「テントひろば」のテント設営地は. 「パブリック・フォーラ
ム」として, 憲法が保障している自由な言論活動に利用されているのであ
り,誰に対しでも意見表明を行うために開かれているのであるから, テン
トが設置されているとはいえ決して違法な占有などとはいえないといえよ
う。
第3に, 前述のように,原発政策を推進してきた経産省前で,原発に反
対する意見表明を行うことは象徴的な言論行為といえる。すなわち,反原
発・脱原発の主張を,原発政策を推進してきた経産省前で行うことは,政
治や社会に対する最も効果的な意見表明行為といえるのである。
第4に,経産省は,土地明渡しの他に, 高額な損害賠償を請求している
が, これこそまさに市民の言論活動に対する制約行為であるといえる。つ
まり,経産省は「テントひろば」のテント設営地から何らの収益や利益を
得ているわけではないのであるから,損害となるべき権利侵害は生じてい
ないにもかかわらず,多額の損害賠償を要求することにより,本件市民ら
に言論活動を躊躇させる効果(萎縮的効果)を期待し、言論を封じ込めよ
うとする意図を読み取ることができる。
経産省による本件提訴の真の目的は, 土地の明渡しでも損害賠償金を手
に入れることでもなく, もっぱら脱原発・反原発に対する言論の抑圧にあ
るといえよう。
したがって,この裁判は,政府により土地明渡しにかかわる民事裁判と
して提起されたものであるが,その本質は,政府による脱原発・反原発運
動に対する言論抑圧事件であり,さらにはこうした言論抑圧を通じて,政
府の原発事故についての責任を回避し,原発推進政策を維持・強行しよう
とする意図をもつスラップ訴訟であるといえる。
Ⅴ. 結論
以上論じてきたところにより,以下のことが明確となった。
第lに,「宿営型表現活動(テントの設営および泊まり込み)」は,憲法
21条l項が保障する表現の自由の一類型としての「集会の自由」の実行行
為として厚い保護を受けるべきことである。
なぜなら,テントを設営し,そこに寝泊まりして意見表明活動を行う
「宿営型表現活動」は,①集会やデモ行進とならんで,表現活動の有効な
方法であること,②テントで,長期的・継続的に意見表明や政府に対する
異議申立て活動をすることにより,自分たちの意見を社会的にアピールし,
問題の所在を明確にして,多様な議論を喚起すること,③テントに集まる
人々が寝起きを共にすることにより,互いに意見や情報の交換を行い,互
いの考えを深め合うことを可能にすることから,民主主義の基底をなす自
己統治の価値と個人の発展を促す「自己実現の価値」に合致する活動とい
えるからである。
第2に,本件「経産省前テントひろば」における「テント設営および泊
まり込み」による宿営型表現活動は,原発事故により長期的避難を余儀な
くされている被害者や放射能汚染に苦しむ福島の人々,そして反原発・脱
原発を主張する一般市民が「人聞に値する生存」を維持しようとするため
の「やむにやまれぬ行為」であることから,とりわけ強く表現の自由の保
障を受けるべきことである。
第3に.「経産省前テントひろば」は,いわゆる「パブリック・フォー
ラム」にあたり,経産省の管理権よりも本件市民らの「集会の自由」の保
障が優位されるべきことである。
第4に,経産省による本件市民らに対する提訴は,訴訟による権利救済
などの実質的な法的利益がないと考えられることから.「裁判を利用した
言論抑制」、すなわちスラップ訴訟であり,実質的な表現の自由への侵害
行為であることである。
付記:本稿は,本文でも述べたように,筆者が,本件訴訟に関して. 2015
年2月19日に,東京地方裁判所民事37部に提出した「いわゆる『経産省
前テントひろば』に関する憲法学的意見書―表瑛の自由と『エンキャン
プメンとの自由.』」と題する意見書に,加筆・修正を加えた論説である。
意見書のオリジナル版は,経産省により訴えられた本件訴訟当事者であ
る湖上太郎氏の手により,情況2015年6月号53頁以下に掲載されている。
初出:専修大学法学会紀要『専修 法学論集』第124号 2015年7月より転載
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔study654:150831〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。