2015年ドイツ逗留日記(10)
- 2015年 9月 1日
- カルチャー
- 合澤清
1.身辺雑話(新しい知り合い、「寿司パーティ」など)
ドイツ滞在も残すところ一週間程度になってきた。そろそろ帰り支度を、と考えてはいるのだが、相変わらず飲む機会が多くて、一向に身辺整理ができないでいる。
ここに来て少し変わった人たちと知り合いになった。毎週月、水、金曜日にはゲッティンゲンで飲んでいるが、月、金曜日はバスを使う。最終バスが夕方の8時10分と早いので、ビール2リットル程度で帰ることになっている。このバスで、偶然知り合ったのが、一人はいつも同じ時刻のバスに乗って同じくHardegsenで下車する女性(30代か?)である。ゲッティンゲンで仕事をしている人で、いつも一緒だったので、なんとなく話しかけて、最近では帰り路(といってもそれほどの距離でもないが)を話しながら歩くほどになってきた。来年も来るのかと聞かれたので、もちろんそのつもりだと答えた。ドイツ人に特有な生真面目そうな人である。
もう一組は、アラブ系の5人の若者たちだ。彼らともこのバスで偶然乗り合わせた。陽気な若者たちで、それぞれ国は異なっているようだが、アラブ語という共通語で話し、共同生活をしているとのこと。彼らはひょっとすると「難民」(?)かもしれない。仕事はまだなくて、今はドイツ語の訓練を受けているようだ。色々面白い話をしてくれる。
先日、「アラブの女性は大変美人だと思う」と言ったら、すごく喜んで、「アラブに来れば4人まで奥さんに出来るよ」「俺の知り合いには、26人の子供を持っているのがいるよ」といった調子で楽しい話をしてくれる。アラブ女性が太るのは(ドイツ女性も同じだが)食事に肉や油ものと甘いものが多すぎるのと、彼女たちはものすごく働き者で、そのためよく食べるのだという。
気になるのは、彼らが日本にすごい幻想を持っていることで、僕が「日本よりドイツの方がはるかに暮らしやすいと思う」といっても、「そんなことは無い」という。日本国家の「排外主義」政策=入管法に関する無知からだろうが、そのうち日本に対する幻滅感を持つのではないかと心配している。可愛いのは、僕らを食事に誘ってくれたことだ、これは残念ながら僕らの滞在期間がもうあまりないためお断りした。彼らに幸せな日が来るのを願うばかりだ。
先日の日曜日に、僕の連れ合いが五目寿司を作った。これは毎年の行事になっていて、僕ら主催の「寿司パーティ」とペトラ主催の「ドイツ料理(実際にはトルコ風、クロアチア風料理)パーティ」をやってみんなで楽しむことになっている。今回はわれわれが、次回はペトラが主催することになっている。
実はこの日の朝、Uslarというこの近くの町の有名なレストランで、月に一度の朝食会(Frühstück)-バイキング方式で、一人17ユーロ、かなりなご馳走が出る-があることになっていて、ペトラに頼んで前もって予約していてもらっていた。こちらも断るわけにはいかない。ここには昨年初めてペトラに連れて行ってもらった。町から少し離れた所にある大きな百姓家といった感じの建物で、中は様々に仕切られた部屋があり、大きなホールには200人位は楽に入れそうだ。普段は結婚式場などに使われているようで、壁に多くの結婚式の写真が飾られていた。9時から12時までの3時間。飲み食い自由。中にはワインを飲んでいる女性もいた。ご馳走の種類の豊富さと、その中身のすごさは大したもので、ペトラにどこの料理かを尋ねたら、イタリア料理とドイツ料理、その他の混合(Mischung)だという。
面白いのは、人間だれしもの本能的な動きなのか、料理がずらりと並べられている部屋の入り口付近にあるボリュームのある皿に真っ先に飛びつき、大量に自分の皿に取りたがる。そのため、せっかくのご馳走(部屋の奥にある魚介類など)があるのに、そちらへ進んだときは既に皿は満杯状態。それらを一度平らげて、もう一度と考えても、今度は胃袋がなかなか言うことを聞いてくれない。哀れな習性である。一度に大量の飲み食いをすれば、排出もままならない。苦しい腹を抱えてgive upとあいなる。店の狙い目はここにあるのかもしれない。
連れ合いはこの後、午後からは「五目寿司」の調理に追われる。といってもここはドイツである。彼らは「五目寿司」と肉の炒めたものなどを同時に食べる。米の飯だけではとても満足できないのであろう。この日も豚のヒレ肉を大きく切って油でいためたもの、野菜サラダに鮭の切り身を入れたもの、日本風の煮物(ただしジャガイモの代わりにコールラビが入ったもの)などを作っていたが、真っ先になくなったのは肉だった。飲み物は、ビールは例の「クロムバッハKrombacher」の黒を12本とフランケンワイン、子供にはファンタの大瓶。
おかしなことにペトラは、エビが食べられない。頭と目玉が気持ち悪いとか。仕方なく、寿司は二種類作る。エビ入りと鮭入りである。同じ理由で、貝も食べられないという。豚や牛の肉を常食としているドイツ人がそんなデリカシーな神経を持っているなんて不思議な感じだ。
この日のハイライトは、僕がペトラの義理の息子(クロアチア人の両親からドイツで生まれたドイツ人、孫たちの父親)を挑発して、「難民問題をどう思うか」と尋ねたことだった。
ドイツは既に800000人の難民を受け入れている。地方の財政はかなりきつくなっているらしい。実際にヴュルツブルク市長は、難民への補助金を拒否したとも伝えられている。
この問題で、彼とペトラとの間でかなり激しいやり取りがあった。彼は当然のことながら「難民」への共感が強い。ペトラはかつてはSPD左派を支持していたというから、かなり革新的な考えの人だが、やはり難民救済のために自分たちの税金が使われていて、その分色々削られるのはたまらないという。うまく伝わったかどうか分からないのだが、僕が「それでもドイツは経常収支(というつもりで、Finanz(財務)という言葉しか思い浮かばなかった)で今、世界一だから、当然多くの難民が集まって来るだろう」というと、「それはその通りだが、私たち一般庶民の生活は金持ちたちと違ってそんなに楽ではないよ」「年金だって、公務員はよいが私たちのはほんの僅かなものだ」
「フランスもイギリスも難民受け入れを拒否しているのはどうかと思うし、マケドニアに押し付けるのは酷過ぎる。あそこはかなり苦しいはずだよ」…、という調子だった。
子どもたちと親が帰った後、僕らとペトラとで夜遅くまで、蝋燭をともして、クラシックを聴いたり、「ローレライ」を歌ったりして楽しんだ。僕はジャズが好きだが、ペトラはアメリカは嫌いだからジャズも聞かないという。
Kerze(蝋燭)と花(外は真の暗闇)
2.続・身辺雑話(8月29日と30日のパーティ)
さきほど(1.身辺雑話で)、わが住居のホームパーティでの「難民問題」に関する議論についてほんの少しふれたが、その後のニュースで、その不幸な結末が次々に入ってきた。オーストリアでトラックの中に隠れて入国しようとしていた「難民」71人がアウトバーンの途中休憩所で窒息死していたこと、同様に冷凍車に隠れていた5人が窒息死したこと、また地中海を小さなゴムボートに400~600人もの「難民」が乗り込んでヨーロッパへ渡ろうとして海難事故が頻発していること、こういう誠にショッキングなニュースが次々に伝えられてくる。痛ましい。
いくら網野善彦が「日本は古の昔から海を通じて大陸と密接につながっていた」と強調していても、やはりこういう問題一つとっても「日本の閉鎖性」を考えざるを得ない。日本に「難民問題」が起きていないのは、日本の強みではなく逆に将来の弱みとなりうる(瞬時に「民族主義国家」に早変わりしかねない)ことを恐れる。日本人がこの問題を自分の問題として深刻には考えきれていないからだ。その意味で、「在日差別問題」「慰安婦問題」「中国・朝鮮への侵略問題」など、あるいは今回の「安倍談話」についても、もっともっと真剣に議論していく必要があると思う。
話をまたパーティに戻す。29日に、かねてから誘われていた友人宅のパーティに行く。彼が彼女と一緒に構えた新居に行くのは初めてなので、少々戸惑った。ペトラの車でいったのだが、途中で道を間違えて約束より5分遅れてしまった。
ゲッティンゲンから少し離れた村で、小川が流れ、小さな教会もあり、周囲を田園に囲まれた実に閑静な場所である。しかも大通りから離れているため、物音一つしない。風の音と鳥のさえずり、蜂の羽音といった程度の音が大きく聞こえる。東京とは異次元の世界だ。
彼らが住む住居は、二世帯住宅の片側で、二階つきである。風呂、洗面所はかなりゆったりしているし、トイレの水は雨水利用のエコ。部屋はゆったりした部屋が一階に3部屋(キッチン付き)。二階も案内してもらったが、それぞれの書斎もあるし、二階にもトイレ、お風呂場がある。二階のベランダからの眺めもなかなか良い。中庭(Hof)はそれほど広くは無いが2~30人が腰掛けるパーティは十分可能である。低い石垣でなだらかな斜面の畑と仕切っている。今回のパーティもその中庭でやった。総勢6人で、ゆったり座り、少し辛口のHarzビール、ワイン(彼はフランケン出身なので、もちろんフランケンワインの「Bacchus」‐これは実にコクがあって旨い)と彼女の手作りの美味しい料理を心行くまで楽しんだ。ドイツ人は日常の生活にゆとりがあるように思う。
明けて30日は、いよいよこの家の主ペトラさんのお手製のご馳走でホームパーティである。彼女は日ごろから身体を動かすのが好きなようで、じっとしている時が少ない。この日も朝の10時頃から外出し、午後からもう料理に取りかかっていた。彼女が調理中の犬のお守役はわれわれに任される。しかしこのチビ犬が、彼女が家にいるとなるとなかなか動こうとしない。なだめたり脅したりしながらやっと隣の公園まで連れだす。公園でも言うことを聞いてくれないのだが、それでも何とか散歩させて帰る。
5時半ごろ、孫たちとその父親がやってきた。テーブルの上にはペトラの作ったトルコ料理が並ぶ。最初にヨーグルト味のスープ、これがほんの少し酸っぱ味があっておいしい。その後レンズ豆のスープもいただく。これもなかなかの味だ。
それからライスを塩味をつけて炒めたものと細かくしたヌーデルンをやはり炒めたもの、またサラダなどが出され、その後メインディッシュとしてズッキーニと肉をいためたものと、野菜と肉をいためた料理が大量に出てきた。また細かくした餃子風のものも出されたが、料理の名前はいちいちは聞いていない。ビールは僕らが大好きなクロムバッハの黒だった。それだけでおさまらず、その後、ワインを飲んだのは言うまでもない。
ペトラのトルコ料理
今回のドイツ通信もおそらくこれでおしまいというところだろうが、滞在最後の週になっても、月曜日はまたホームパーティに誘われているし、水曜日の予定も入っている。金曜日には「お別れ会Abschied Party」で、夜中まで付き合うことになりそうだ。
まだ、お知らせしなければならない記事があれば、「短信」の形でお送りさせて頂く。東京はじめ、全国300カ所と伝えられている「安保法案反対闘争」の高まりに大いに勇気づけられている。もちろんこの事はドイツ人の仲間たちにもお知らせしている。
長い間のご愛読に心より感謝します。 (2015.8.31記)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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