世界遺産を蹴って町の生活を守ったドレスデン
- 2015年 9月 3日
- 評論・紹介・意見
- 世界遺産小澤俊夫
メール通信「昔あったづもな」第51号
昔ばなし大学の「グリム童話研修旅行」のあと「東ドイツ文化の旅」に行ってきた。旅の最後はドレスデンだった。町の中央に壮麗なロココ様式の聖母教会が立っているのだが、この教会、実は先の大戦で連合軍の大爆撃により、完全に破壊されたのである。ぼくが初めてドレスデンを訪れた1989年秋には、この教会は破壊された瓦礫の山のままだった。東西統一後、1991年におとずれた時にもまだ瓦礫の山だった。ドレスデンの友人の話では、現地の人たちはドイツ国民が冒した野蛮な戦争への反省の念と、同じキリスト教徒であるアメリカ、イギリス連合軍が教会を爆撃したことへの戒めとして、瓦礫のままにしてあるのだ、ということだった。
ところが今度行ってみると、教会は完全に修復されて、もとのままの姿になっていた。聞くところによると、修復にあたっては瓦礫の中から各部分の石を探し出して組み立てていったということだった。ない部分はもちろん新しい石で組み立てた。したがって、完成した姿は、爆撃を受けた黒い石と、補った新しい白い石のまだら模様である。それは1998年から2005年まで7年かかった難工事だったそうである。
中に入ってみると、内部は絢爛たるロココ様式が完全に復元されているのには驚いた。
だが、もっと驚いて、思わず喝さいの拍手をしたことがある。この旅に同行してくれた、駿河台大学観光学科の小林将輝准教授の説明によると、ドレスデン市とその周辺エルベ渓谷は2004年に、ユネスコにより「世界遺産」に指定された。ところがドレスデン市にはエルベ河を渡る橋が一本しかなくて、下流のほうの住民は対岸に行くには大回りをしなければならなかった。対岸の新市街は発展し、人口が増加したにもかかわらずである。
そこで、現在ある橋の下流にもう一本、橋を増設することになった。これに対し、ユネスコの委員会は、「橋を増設するならば、世界遺産指定は取り消す」と言って脅しをかけてきた。2006年には「危機にさらされている世界遺産」のリストに登録された。それに対して市長は、橋建設の賛否を問う住民投票を実施した。すると、建設賛成の票が多数を占めたため、橋の建設は実行された。それに対しユネスコは、2009年、ドレスデンとその周辺エルベ渓谷の世界遺産指定を取り消した、ということであった。
ユネスコという世界機構が古都ドレスデンとその周辺のエルベ渓谷を世界遺産と認定したのに、市民は毎日の生活に必要な橋を選んだのである。ぼくは市民の自我の強さに思わず拍手をした。なんとなく権威のありそうな「世界」よりも自分の生活を大事にする心。
市民の心の中にはきっと「世界機構であるユネスコが認めようが認めまいが、われわれの古都ドレスデンの価値は厳としてあるのだ」という自負もあっただろう。
「世界」という言葉が絶対的権威であるかのように通用している日本の風潮をかねがね批判していたぼくにとっては、喝采を叫びたくなることだったのだ。
日本ではどうだろうか。誰かがノーベル賞を受賞したときのあの大騒ぎ。それは、その研究者の研究内容にたいして賛美するのではなく、受賞したことに対して賛美しているにすぎない。研究は既にあったものなのだから。芸術家の場合も同じだ。世界で認められたとなると大騒ぎする。認められる前から優れた活動をしていたのに、世界が認めると「大したものなのだ」と騒ぎだす。
日本という世間全体が、価値判断を世界に任せてしまって、世界で認められたらいいものなのだと大騒ぎする。「世界」という「中央」が認めたらいいものと思うのだ。
そう考えると、これはしっかり意識しなければならない、大きな、そして根深い問題であることがわかる。どこの民族でも同じ傾向はあるのだろうが、われわれ日本人の間では、「お上」の言うことには逆らわないのがいいこととされてきた。「お上」とは即ち「中央」である。「中央」は自分の権威づけのためにいろいろな仕掛けを作る。立派な建築物、幅の広い大通り、大きな官僚組織、軍隊など。われわれ庶民はそういう立派なものを見ると、自分とは別世界の、価値の高いものだと思ってしまう。もしその方面からお褒めの言葉が来たら、一も二もなく喜び、舞い上がる。
福島第一原発の大事故を呼び込んだのも、もともとはこのお上意識ではなかったのか。「お上のすることだからいいことなんだろう」と。だが、今、日本中の多くの庶民がこの弱点に気がついいて、お上の出す「戦争法案」を拒否して立ちあがっている。もう「世界」とか「中央」とか「お上」に屈しない強い意識が市民の間にしっかり根付いてきているのである。これを知ったら、ドレスデン市民もきっと拍手してくれるだろう。(2015.8.27)
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