テント日誌9月19日(土) 経産省前テントひろば1470日
- 2015年 9月 20日
- 交流の広場
- 経産省前テントひろば
今日も国会へ向かう人は多かった
久しぶりに朝から青空で気持が良かったが、だんだん時間が経つにつれ暑くなって夏が戻って来た感じ。
気がついたらいつの間にかプラタナスが剪定していて日陰が少なくなった。
昨夜の夜中と言うより今日の明け方だろうか、安保法案が強引に可決された
ニュースを知ってがっかりした。
10時過ぎ潮見坂を降りてくる人たちがテントに寄ってくれた。
朝9時から10時の国会前の抗議行動に参加してきたと言う。
その後も色々な人がやって来てテント前は一日中賑わっていた。
国会前で抗議行動があるのではとテントで待ち合わせしていた女性3人はもう終わったと聞いてちょっとがっかりした様子で去っていった。
千葉から来たと言う若いお母さん、なかなか家を開けられないので今日はご主人に子どもを預けてやってきたそうだ。
上のお子さんが赤ちゃんのとき反原発行動に連れて来たけれど、
異様な雰囲気で恐怖心を抱かせてしまったのではと反省し、今回は預けて来たと言う。
丁度神戸全交の人が20歳の若者と来て居合わせた人たちにインタビューをしていたので彼女も思いのたけをぶつけていた。
そして一緒意気投合して国会前に様子を見に行った。
その後も居てもたってもいられない人たちがテント経由で国会前に行く姿が見られた。
テントでは久しぶりの晴れにYさんが色々片付けをしてゴミの仕分けなどを熱心にしていた。
清潔を保つのはなかなか大変です。
今日も自分からチラシを持っていく人が居て嬉しい。
勿論テントを興味深く眺めている人にはこちらからお渡ししたけれど…
国会に向かう人たちも脱原発のタグをつけているのが見られた。
安倍政治を許さないには原発も含まれているのですね。
夕方、いつも今日ぐらいテント前が賑やかだと良いのにと思いながらテントを後にした。(I・K)
立法が行政に屈服した日、司法が蘇るか?
~テント裁判控訴審が結審~
経産省前テントひろばの控訴審が18日(金)夕刻に結審した。
この日は、憲法違反の「戦争法制」の成立が危惧され、朝から国会周辺に多くの市民が駆けつけ、テント裁判の報告集会が終わった後も国会周りの人の群れは絶えることなく「憲法を守れ」「アベは止めろ」コールがこだました。そして非常に残念無念ながら19日未明に参議院を通過した。立法が行政に屈服した。
この日のテント裁判最終弁論は、102大法廷で、テントの5人がそれぞれの思いを陳述した。
江田忠雄(第1テント)は、1931年9月18日の柳条湖事件を参照しながら、告訴人の人間違いを指摘、テント設置の経緯・テントの運営・多様なテント活動を縷々説明した。
寺崎明子(第2テント)は、テントの女性たちの活動を振り返りながら、メルケル独首相が脱原発政策を選択せざるを得なくなったことを訴えた。
高瀬晴久(第3テント)は、福島の現状を振り返り、テント設置が不当占拠ではなく、「国民」の止むに止まれぬ抵抗権の行使であることを厳しく訴えた。
正清太一(被告)はテントが設置されたところは経産省がポケットパークと定める公共利用空間であり、テント設置が憲法で保障された表現の自由であることを強調した。
淵上太郎(被告)は、テント設置は3.11福島第一原発事故と経産省の無責任原発推進が無ければあり得なかったことを強く訴え、地裁・高裁を通じて原告が原発推進を論じることをしなかったことを糾弾した。
5人の経産省への怒りの陳述は、大法廷を一杯にした傍聴人と一体となって、3人の裁判官の心に響いたのではないか。
最後に河合弘之弁護団長が、合法・非暴力の脱原発のための運動、自然エネルギーの実用を訴え、憲法違反の行政と立法に対する司法への期待を述べて締めくくった。
裁判長は、これにて結審する、判決の日は追って通知する、と述べて退廷した。傍聴者も徐々に出て行った。が、告訴側の経産省職員やその代理人は動こうとしない。彼らは居残って着席していた場所で話し合いを始めた。今日の結審の結果に動揺しているようだ。一カ月ほど前の進行協議で裁判長から和解を打診されたこと、この日に裁判長が判決期日を通知しなかったこと、が余程ショックだったのではないか。最終弁論でも我々の側から縷々経産省の問題点を指摘されたのに、原発推進政策については何ら論じなかった訴訟対応を反省しているのではないか。
控訴審での弁護団の努力・工夫が実ったと感じた。いつどんな判決が出るかは分からない。が、経産省前テントひろばは引き続き維持し脱原発を訴え続ける。
引き続きご支援をお願いしたい。(K.M)
裁判傍聴記1
「歴史は繰り返す。一度目悲劇、二度目は、喜劇として…」
東京高裁での第3回目のテント側の陳述を傍聴することができた。国会議事堂の周辺では、安保条約改定ならぬ95年版安保法案成立をめぐって、大反対運動が疾風怒濤の勢いだった。
第1テントの代表、江田さんは、この日が満州侵略を表象する「柳条湖事件」の勃発した日と重なることに深く憂慮するという陳述をされた。予定外の前段の陳述は、報告会での川合弁護士の話の一部、「安倍政権の核開発政策はテロを挑発、誘導するもので、福井南嶺の原発銀座へのノドン、テボドンの到達時間は10分を要さない」という恐怖とあい呼応している。
この日の毎日新聞の「核の回廊」では、日本のウラン、ブルトニウムのレーザー精製技術は特許として公開されている、と報道され、産軍の暴走を追認しているのが、アベノミクスであり、壊憲安保法制立法であることが知られる。江田さんの「柳条湖事件」を思い出した上で、経産省前テントの意義を考え直さなければならないのは、国会を取り巻く情勢が警告を発しているように、野党が反撃しているように、軍部の暴走が原爆投下の表面的口実を与えた過去に未来の、核燃料の密輸密造は、何者とも知れぬもののテロ攻撃として、イランへのイスラエル空爆のような事態を日本列島に誘発することに重なりあっていることに気付け!ということだろう。(続く)(M・S)
届いたメールから
いつも、テント日誌を配信して下さいまして、有難うございます。デモ仲間の姉にも、プリントして手渡しています。
午前1時半、間もなく賛成多数で、日本は「戦争に加われる国」に変ります。
こうなるまでに、「立憲主義」「平和主義」「民主主義」と云う、大きなものを失いました。
脱原発に始まった3年2カ月の抗議行動を振り返りながら、疲れと虚脱感も味わっています。しかし考えてみれば、私の世代以降は生まれた時から、憲法9条が与えられていました。そして当たり前のように70年間続いた日本の平和でした。
デモから帰宅し、国会の映像を見ると落ち込みますが、このままの日本で進んで行きたくありません。
この時間(終電過ぎ)になっても、続いている国会前での叫びは、安倍政治によって失われた「戦争放棄」を取り戻すための闘いの幕開けのように感じ、勇気づけられます。
また、昨日あたりからのシールズのコールには、「賛成した人、落とすぞ」などと云うのも聞かれ、若い人のコールは、具体的で既に先を見越していて、頼もしさを感じます。
私にも、情報交換する仲間が増えました。何と言っても大勢の若者が加わってきた事が大きな希望です。自分の時間を割いて、頑張っている人を見ると、私もこのままでは終われないと云う気持ちが強まります。
忘れてしまう事は多いけれど、この法案の可決までの行程、現政権の卑劣さを、これからも忘れないで暮らして行こうと思います。
自分の中でも、一つ終わり、又別の新たな始まりを感じています。
テント、頑張って下さい。 脱原発を願っている私たちの心の拠り所、シンボルです。(M・M)
9/22(火・休日)原発再稼働やめろ!集会と抗議行動
9月22日(火・休日)集会 13時より15時 日比谷公会堂(参加協力費500円)
抗議行動:16時より17時30分 首相官邸前・国会前
主催:首都圏反原発連合
9/23(水・休日)さようなら原発・さようなら戦争全国集会
9月23日(水・休日) 会場:代々木公園
11時ブースオープン、13時30分より集会、15時15分デモ出発2コース
主催:「さようなら原発」一千万署名市民の会
協力:戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会)
24日(木)午後1時~参議院議員会館 101号室で
立憲フォーラムと戦争をさせない1000人委員会共催で「さぁ、安倍政治を終らそう」9・24緊急院内集会を開きます。小林節慶応大名誉教授(依頼中) 日弁連や明日若などから発言を予定しています。休日が続きますが、結集を!
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