テント日誌9月24日(木) 経産省前テントひろば1475日
- 2015年 9月 25日
- 交流の広場
- 経産省前テントひろば
裁判の報告から
9月18日(金)に控訴審は結審しました。判決の期日は追って知らせがくることになっておりますが、裁判の様子は裁判傍聴記などで伝わっていると思います。当日、テント側は5人が陳述をしたのですが、それを掲載いたします。結構長いので順番にいたします。今回は江田忠雄さんと高瀬晴久さんの分です。他の陳述は追って掲載します。(M)
陳 述 書
2015年9月18日
江田 忠雄
本日9月18日は奇しくも、今から84年前、1931年9月18日、日本が自ら満鉄線を爆破し、中国侵略を開始した日です。そして今日、2015年9月18日、戦争国家を目指す安倍政権はクーデタ紛いのやり方で安保法案を強行採決しようとしています。まさに日本の曲がり角です。当裁判もそうした歴史の重要な1ページであることを念頭に陳述いたします。
1 錯誤・欺瞞の1審判決
本裁判第1審に於いて国は、テントの建つ敷地の「占有者の範囲及び占有状況を調査した結果」を甲14号報告書として提出しました。その報告書で平成24年8月10日から12月2日までの間に監視カメラによる映像から正清、渕上両氏を含む17名の者が頻繁にテントに出入りし占有を続けていると述べています。つまり占有者と占有補助者という区別はありません。国は占有者が正清、渕上の2名ではなく、2名を含む少なくとも17名であることを認識していました。占有の実体は監視カメラが語る通りなのです。
しかし国は、本訴訟を起こすに際し、名前の判明した者のみ被告とする安易な方法を選んだのです。その結果、氏名不詳の者は一まとめに占有補助者という訳のわからない存在にされたのです。
また、上記報告書に添付された写真で、国は私を被告正清であると報告しました。後に誤認であったと訂正しましたが論理的に整合性がないのは明らかです。写真は「占有者の範囲及び占有状況」の実体をとらえた証拠物件そのものであり、写真の人物、すなわち私が占有者であることには変わりがない筈です。しかし、私は占有者として認められていないのです。1審は原告と被告という裁判当事者選定作業の根幹の部分で誤っているのです。
私はこのテントをベースとして国、経産省の原発政策を改めさせるための活動を行っています。本裁判において、こうした活動の正当性が認められる否かは私自身の利害に強く関係します。そうである以上、本件裁判において私にも占有者としての立場が保証されるべきです。
私は正清太一氏と渕上太郎氏の2名のみを被告とし、私を含む42名の「当事者参加申し立て」を無視し、私たちが本裁判に於いて当然持つべき占有権を正当な理由なく奪った1審判決はまさに錯誤と欺瞞に満ちた判決であると考えています。
2 テントの設置
経済産業省の一角にテントを設置したのは、福島事故後6か月目の2011年9月11日でした。当日は9条改憲阻止の会も参加していた福島緊急会議の呼び掛けた「経産省包囲ヒューマンチェーン行動」の行われた日です。事故発生時稼働していた原発は全国54基のうち17基でした。浜岡原発は民主党菅政権の要請で全面稼働停止となり、さらに稼働中の原発が定期検査のため順次稼働停止となり、日本の原発54基がすべて止まる事態となりました。
原発推進の旗を振ってきた経産省にとってこれは悪夢だったのでしょう。経産省は福島の惨状に責任をとり原発政策を見直すどころか、停止中の原発の再稼働を目論むという、国民の期待を真っ向から裏切る方向に動き始めました。再稼働は何としても阻止しなくてはならない、これが当時、私たちの緊急にしてかつ最重要のテーマでした。
私は事故以来幾つかの脱原発集会に参加して来ましたが、原発を止めさせるための行動として集会やデモの在り方に「何かが足りない」という思いをいだいていました。一時的ではない、より持続的な、より日常に近いところで運動を続ける必要があるとの思いです。いつでも視える、誰でも参加できる、そうした運動の場所が必要であると考えました。
それがこのテントでした。テントを建てる場所はどこでもいいという訳にはいきません。原発推進政策の本家本元、経産省の喉元でなければならない。多くの人々を被災させ、絶望と流浪に追いやった責任を取らせなければならない。経産省の敷地内にテントを建てることは必然だったのです。
当時、9条改憲阻止の会の主だったメンバーはデモの後など、折に触れこうしたことについて話し合っておりました。一応これらの人たちは運営委員ということになっていましたが、別に運営委員会として開催されて話し合ったという訳ではありません。
そもそも、そういうキッチリした運営はされていない組織でした。現在でもそうです。この点は佐藤保氏が証言した通りです。何かやる気のあるメンバーが話し合っているうちに一定の方向性がまとまると、よし、やろうという事になり、具体化する、要するに実行先行型の活動スタイルです。アメーバ型の市民運動などとも言っていました。テントについては、正清氏を含め、特に中心になったのが、私、そして、味岡修氏、下山保氏、八木健彦氏などです。
私と八木氏が上のような考えから現場を下見し、「おっ、ここがいいぞ」ということで、現在の場所に決まったのです。その後、経産省に「使用許可申請」文書を出すことになり、誰か代表として名前を出す必要があるということで、それを正清氏にお願いしました。正清氏は9条改憲阻止の会でも長老の世代であり、また長く練馬区議会議員も務めていたということもありましたので、こういう文書を出す場合には相応しいだろうと考えられ、誰かが言い出したところ快く引き受けてくれたのです。
3 テントの運営
正直言ってこの4年間テントの運営は容易なものではありませんでした。事件とも言うべき右翼の襲撃は10指に余ります。嫌がらせの類は数知れずです。テントに一定の人数が常時詰めなければなりません。昼は午前9時から午後2時、そして2時から7時まで5時間ずつ2交代、人員は3名を目途とします。夜は7時から翌朝9時までを4人で二人ずつ交替の寝ずの番というシフトです。計算すると1日10人、当直、宿直は週に1回という原則で一週70人必要という事になります。昼夜それぞれ責任者を置き、その責任者を中心に運営委員会が構成されます。脱原発の諸行動やイベントなどの提案、運営上の諸問題などだれでも自由に提案でき運営委員会や全体会議で決められ実行されるのです。
4 多彩なテント活動
テントは原則、原発反対、再稼働反対であれば誰でも参加できる解放された場です。この4年間振り返ってみれば実に多彩な活動が行われていたのだなあと、シミジミ実感できます。
全部を挙げることはできませんが、一部を紹介すると、催し物としては、サタデーナイトシネマ、シネマでテント、キャンドルナイトコンサート、霞が関の中心で愛を叫ぶロックコンサート、かんしょ踊りや川柳会、講談実演、トークイベント、ミニ講演会、神道講話、経産省や国会に対する抗議行動、ハンガーストライキ、正月の餅つきや子供の日など季節ごとの催し、折々の記者会見、日常的には全国から世界からの訪問者や取材などなど。ユニークな所では霞が関官庁街の案内役が結構多忙です。こうした多彩なテント活動は、テントに生き生きとした活力を高めます。これは発信力をあたえます。この4年間テントが様々の苦難を超えて維持されてきたのはこうした活動の賜物なのです。
5 主権者は国民である
いつ、だれが掲げたのか第3テントの側面に「主権者は国民である」という文字を描いた横幕がかかっています。
「主権者は国民である」これは日本国憲法の根本です。安倍政権は集団的自衛権行使容認の閣議決定を強行し、憲法の空洞化、民主主義の無力化をすすめています。安倍政権による戦争国家への道は同じく日本国憲法の骨格である基本的人権の理念の喪失へと軌を一にしています。
憲法は、第13条で、「生命、自由、及び幸福追求に対する国民の権利」を『基本的人権』として保障しています。福島で引き起こされた惨害はすべて、これらの条文が保障する国民の権利を踏みにじっているのは明らかです。
テントには、全国から、全世界から様々な人々が訪れます。中でも最も多いのは福島の人たちです。避難、保障、子どもの被曝、除染その他、普通の人間生活を奪われた人たちです。福島の人たちの闘いはまさに憲法で保障された基本的人権実現の闘いなのです。
憲法とは本来、国民自らが自らの主権を獲取るたたかいの、そのエネルギーから生まれる成果です。しかし敗戦後の混乱の中、国民自身の手によって、国民自身の憲法を生み出すエネルギーに欠けていた、そうした政治状況にあったということも事実です。憲法12条の「この憲法が国民に保障する自由及び権利は国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」としているのはこの間の事情を物語っています。
いずれ勢力を盛り返す保守勢力が、この憲法をないがしろにする未来を予測したのだと言えるでしょう。
経産省テントにおける私たちのたたかいは、まさに憲法を国民のものにし、真の民主主義をかちとるたたかいなのです。
陳述書
2015年9月18日
高瀬 晴久
1、第三テントは僕たち、平和と民主主義をめざす全国交歓会が建てた。
僕がテントに関わり始めたのは、テントが建てられて1週間程経ってからである。このテントが原発廃炉に向けた全国的な活動の拠点となり得るとの確信が持てたからである。
福島の女性たちが上京することがわかると、“化粧ひとつするにも女達の為のテントが必要”と話が一気に進み、その拠り所となるテントが10月25日に建てられた。僕はそれに立会い手伝った。
当時、オキュパイ運動がアメリカで盛り上がっていた。僕は平和と民主主義をめざす全国交歓会(略称:全交)の仲間に呼びかけ、仲間と一緒に、10月27日、福島の女たちのテントの隣に三つ目の小さなテントを立てた。テントが小さいのは、普通サイズのテントが敷地に入りきらなかったからだ。テントは新品。購入費用は6万数千円。皆からカンパを集め建て、全交テント又は霞が関オキュパイテントと名づけた。
2、経産省前テントは不法占拠ではない! 危急存亡の立場に立たされた主権者国民の権利行使に他ならない。
1)、経済産業省前敷地の一角に立つ3つのテントの敷地は経済産業省が管理する国有地である。私たちは、「暫し国有地を貸して頂きたい」旨の借用申請を行ってきた。原発により、命と財産、故郷と未来を奪われた人々の止むに止まれぬ対政府行動の拠り所として不可欠だからである。
2)、テントは、2011年9月11日に建てられ、以降既に1469日を越えた。テントには、まず“福島の女達”が駆けつけ、3間連続の座り込みを行った。それを引き継ぎ、“全国の女達”による7日間の座り込みが行われ、1ヶ月に及ぶ集団ハンストも行われた。
今では、テント前での定例的な”霞が関から愛を叫ぶ“ライブ”や川柳句会“も行なわれ、年末年始行動も毎年行なわれている。
そこには、福島を始め始めとして全国から人々が集ってきている。まず福島の被災者が集まった。子ども達の避難を求める人、奪われた故郷の繋がりを求める人、健康診断・医療保障を求める人、生活補償を求める人、安全な食を求める人、責任者処罰を求める人、農業、漁業、林業、酪農、工場の補償を求める人々が全国から集った。
福島の被害者、避難者の叫びが、止むに止まれぬ行動に転化し、要求を掲げ、東電へ、経産省へ。そして、総理府、文部科学省、農林省、外務省、環境省・規制庁、国会へと要請行動が繰り返えされ、それが全国の市民の心をその根っこから揺さぶったからである。
3)安倍政権が原発再稼働の姿勢を明確にする中、一部のこころない人々による「不法占拠だ!」の声の下、テント『襲撃』事件も起きた。しかし、テントは断じて「不法占拠」などではない。まさに憲法が、遍く国民に保障するところの権利行使に他ならない。
第11条、基本的人権の普遍性、永久不可侵性、つまり、「国民は、全ての基本的人権の享受を妨げられない」のであり、「侵すことの出来ない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる」及び14条法の下の平等「全て国民は法の下に平等」をその根拠とし、第13条、幸福追求権、第16条、請願権、第21条、集会結社・表現の自由、第25条、生存権の行使に他ならす、その拠り所としての国有地の一時的な「占有」は不法などと言えず、国民の正当な権利の行使に他ならない。
加害者経済産業省は、国有地の管理者にすぎない。
憲法第13条は「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法、その他の国政上で、最大の尊重を必要とする」と国家に対し、国民の幸福追求権擁護義務を課している。
請願権を規定した憲法第16条は「何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、請願する権利を有し」とし、21条は表現の自由として、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由はこれを補償する」としている。
これら規定は、全て憲法が国家に命じている、国家の義務規定である。強力な財政的、政治的力を背景とし圧倒的な宣伝力を駆使して原発推進する国家と脱原発を叫ぶ国民との非対象的な力関係の現状に鑑み、その国民の幸福追求、請願、表現の自由が実質的に確保・保障される措置が必要であり、その措置は、公共の福祉(交差する相互の人権)に反しない。又、国家に対し著しい障害とならない限りとの条件はありつつも、全て完全に保障されなければならないのである。
何回も強調するが、国家と脱原発を叫ぶ国民との非対象的な力関係の下にあるが故、憲法が規定する、基本的人権の諸規定は国家の義務規定として、その遵守は厳格でなければならない。司法はそれを国家に命じ続けなければならない。
原発推進の最大責任官庁の敷地内に建てられたテントは、福島の女達に代表される、原発被害者の生命、自由及び幸福追求、請願、要求実現に必要不可欠な場所に他ならず、厳格な法的保護が求められている。
4)、加害者が被害者を訴えるこの裁判は絶対に認め得るわけにはいかない。
既に原発関係で千名を超える死者が出ている。10万人を超える方々が未だ避難生活を強いられ、汚染水ダダ漏れの現状は変わらず、広島型原発1100発分の放射能が管理されておらず、今も漏れ続け、既に127例の小児甲状腺がんが発見され、今後の異常多発が予想されるまでに立ち至り、危機は一層進行している。被害者はこれ程までに多く、その悲しみ、苦しみはどれほどのものか想像も出来ない。
にもかかわらず、加害者、国の責任者が特定されていないこの不正議を何と形容したらしたら良いのか言葉も見当たらない。被害者が居てもたってもいられず、対政府行動を起こし、その為に必要不可欠な国有地の一時的な借用申請を認めず、逆に不法占拠と訴えるこの国家・経産省をどうして許すことが出来ようか。
それどころか、経産省の中から、「ほぼ滅んでいた東北のリアス式の過疎地で定年どころか、年金支給年齢をとっくに超えたじじぃとばばぁが、既得権益の漁業権をむさぼっている」「復興は不要だ。」「復興は不要だと正論を言わない政治家は死ねばよい」「天下りまであと3年、がんばろっと」などと被災した方々を愚弄侮辱する、差別意識に満ちた腐敗しきった言葉を吐く輩が出現している。
福井地裁は人格権を憲法上の最上の権利として原発の再稼働を差し止めた。東京検察審査会の議決は、東電の3名の幹部を起訴相当とした。このながれこそ、今、法治国家の本流としなければならない。
3、第三テントは僕たち平和と民主主義をめざす全国交歓会が建て、設立した7人を軸に毎日の泊り込みから始まり、役割を変えながら、今日に至っている。 第三テントメンバーを支えているのは、脱原発運動への役割と責任である。
“テントは第二の故郷”“テントには愛がある”“テントと金曜日行動は全国の脱原発運動の希望の灯台”等の言葉を発した方が居ることを僕は知っているし、直接聞きもした。こうした言葉に込められた人々の気持ちに応えたてきたし、今後も応えたいと思う。
“テントは第二の故郷”“テントには愛がある”“テントと金曜日行動は全国の脱原発運動の希望の灯台”等の言葉を発した方が居ることを僕は知っているし、直接聞きもした。こうした言葉に込められた人々の気持ちに応えたてきたし、今後も応えたいと思う。
最後に、最近の戦争法を巡る動きを見ていると立法府は行政府の下請けのごとく振舞っているように見えます。司法はそうあってはならない。司法には、強大な富と宣伝力をもった権力側ではなく、国民の方を向いた判決を求めます。
不当・不法な経済産業省の訴えの却下を求めます。
!!判決期日は追って通知!! テント裁判の現状
4時、裁判長が弁論終結を宣言。この日、結審の法廷で、改めて4年間テントを維持してきたテントの総意と底力が5人の当事者から発せられ、代理人・河合弁護士の陳述も、近い将来を見据えた明快なものであった。
スラップ訴訟は主客転倒している。テントの合言葉「撤去すべきは原発」を改めて確信させた。最終陳述した5名、それを構築しまとめあげた弁護団、弁護団会議のメンバーに敬意を表し、お疲れさまを申し上げます。
裁判が終了した右手の壁際に、裁判所担当者が警備を兼ねて10人ほど立ち並ぶ。「なぜ私たちをそんなに心配するのか」を聞くと、明確に答えない。多分、一審判決時のテントの怒りを恐れてのことだろう。
「敗訴を決めているなら今日は判決日を指定したはず、きっと悩むところがあるのだろう」、誰からともなくそんな意見が。7月下旬、裁判所から和解の検討が打診されたが、国は拒否した。判決は年内に出ると予測される。 (MI)
9月の行動予定
9月25日(金)18:30〜20:00首相官邸前、国会正門前 川内原発1号機、9月10日に営業運転開始。再稼働NO!の声を大きく可視化する大抗議を呼びかけます! 首都圏反原発連合
10月2日(金) 9日、16日、23日、30日も
9月30日(水) 10:00~11:00 JCO臨界事故16周年追悼及び抗議行動
場所:経産省別館前 喪章のご用意を。
9月30日(水) 19:00~21:30 伊方原発を動かすな! 再稼働阻止全国ネットワーク討論会
報告:「福島を繰り返さない! 南予のふるさと・いのちが大事!」伊方現地から
参加費:800円 場所:タンポポ舎
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