小説 「明日の朝」 (その7)
- 2015年 10月 9日
- カルチャー
- 小説川元祥一
7
ローラスケート場の前の広場に向かって朝の打水を飛ばしていると、下の信号を渡って広場に上がってくる女がいた。薄茶色のスーツを着込みポニーテールをゆらして歩く聖子だった。
「お早うございます」
広場の向う側から聖子が声をかける。
「もう帰ったの?」
「そうよ日曜日の夜帰って来たの」
「お父さん大丈夫だった?」
平埼はホースの水をもて遊びながら聞いた。
「大丈夫みたい。足の骨が折れたんじゃなくって、足首捻挫しただけだったの。お母さん大げさに言って、私を呼び戻したかったの」
下の大通りや駅前の通勤者の人だまりは別にして、遊園地に上がってくる者の姿はほとんどなかった。遊園地のそれぞれの施設で早番と言われる従業員がチラホラ通るだけだった。アルバイトの夜警員からすると、入れ替わりに帰り支度の時間帯だった。
「平埼さん今日は忙しいですか?」
聖子の後ろを、どこかの施設の従業員らしい男が三人歩いていたが、彼女は気にする様子はなかった。
「今日これから伯母さんとこへ行くんだよ。先週から電話きてさ。砂利運びさせられるんだ」
聖子がクスリと笑った。
「お土産あるの。昨日は平崎さん空けの日だったでしょう。だから今日は是非と思って」
「いいね。用事はすぐ終わるから、君が帰るころ俺から電話する」
「うれしい。じゃ待ってる」
聖子が言い、視線を外して平崎の後ろの方に会釈していた。
「朝から何するんだって?」
振り返ると、歯磨き粉を口いっぱいにした丸尾がフロントから出て来る。
丸尾は最近続けて会社に泊っていた。独身らしいのでどこに泊ろうと勝手だろうが、アパートに帰らない理由でもあるのだろうか。
平崎はゴムホースを引き寄せ、水道の栓を閉める。丸尾がそのホースの端をつかんで余り水で口をすすいだ。
「何だよ。朝っぱらからイチャイチャしやがって」
「聞いてたの?」
「聞てねえよ。聞かなくても聞こえる大声じゃねえか。女と話す時はこっそり顔をくっつけて話すもんだ」
「どっかのキャバレーと違いましてね。なんせここは広くて明るいもんでして」
丸尾が平崎の頭を小突いた。
先日の喧嘩の日もそうだったが、丸尾は最近どこかのキャバレーに入れ込んでいるらしい。女をつくることが出来たのか、単なるカモネギにすぎないのか、従業員の見立ではまだ定かでない。
平崎は掃除道具を片付けて、事務室に戻った。そのまま宿直室に上がって自分が寝ていた布団を片付ける。この後、預かっている鍵をキーボックスに戻し、二階の事務所にタイムレコーダーと日誌帳を返すと、後は自由だ。
伯母の家は京浜東北線の川口駅からバスに乗って十分くらいの所だった。その伯母、広中紀子は結核予防を目的としたある医療財団の理事長をしており、その財団が持つ診療所の一つを経営していた。そして、彼女が自分で、そうした地位にふさわしいものという、独り暮らしにはもったいない立派な家を持っている。ステータスとして彼女が自慢するものでもあった。一人の女が自分の能力だけで一つの医療法人の理事長となり診療所を経営すること自体、なみたいていのことではないだろうと思う。しかもその生活は、彼女のステータスと自尊心を満たすくらいに豊かなものとなっていた。平崎はそのことを認める。そのことに敬意すらはらっていた。一人の人生において一定の目標を持ち、それを達成した女。のし上がった女と言ってもいいのだろう。
しかしそうは言っても、その成功の中に常に虚しさが漂っているように見えてならなかった。平崎章行が津沢にいる頃修平や母の話から知ることになるのだったが、紀子は一度結婚して離婚している。その離婚の理由が、平崎もそこで育った彼女の出身地だという。
相手の男の親が紀子の身元を徹底的に調べ、古い戸籍の記述を掴んだらしい。それがどうした?と言いたいところだったが、両親にとっては大事件だったらしい。そのことで起こったある事件について紀子は決して口にしないし、その後紀子はその戸籍のことを頑固に隠そうとしている。紀子を含め平崎章行の母など姉妹の末弟として育った修平と紀子が別々に生活するのもその戸籍の件が原因だった。
修平の方は、一人前の青年になった頃から、経済力のある伯母を頼って東京に出たり田舎に戻ったりの気ままな生活をしていた。彼は軽い結核にかかっていて、それを理由に仕事をしない習慣がついたようだ。かといって結核病院に入院するのではなく、時々診察に行くだけだったが、それでも大病のようにふるまい、我がままに生活している、と平崎は思っている。
そんな修平は診断に通う結核病院の患者が作る文学サークルに加入していた。修平は詩や短歌をその同人雑誌に発表していたのだったが、短歌の一つが東京にいる社会派の歌人の目にとまり、激励されることになったらしい。修平が文学を本気で考えるようになったのはそれがきっかけではなかろうか。その後、修平のいくつかの短歌が東京で発行される左翼系の短歌の雑誌に発表されたのだった。そしてその中の一句が、東京の医療機関に流される業界新聞に載り、これをたまたま伯母が見て激怒したという。その短歌というのは〔苦しみのいばらかかえし我身には特殊身分の炎つきまじ〕 というものだった。〔苦しみのいばら〕などは若い平崎には常套句のようでもあり、古い香りが漂うと思ったし、社会派の歌人の評でも、洗練が足りない堅苦しい作品という意味のことが書れていたと思う。しかしその評論家は〃日本の社会の中で最も困難と思われる部落問題を背景に書かれた苦汁にみちた一句〃として評価したのだった。
ところが、伯母からするとこれが“禁句”に等しいものたった。この短歌を見た伯母がすぐ修平に手紙を送り、こんな短歌を新聞に載せるなら、これまで定期的に送っていた小遣の仕送りを止めると脅かした。しかし修平は社会派歌人の評価に有頂天になっており、そのテーマを書き続けると言い、今度は小説を書くと言って田んぼを売って東京に出てきた。
平崎はこうした修平に対しても共感できなかった。遊んでばかりいて何が「苦しみのいばら」だと思う。だから修平と同じに見られたくない思いが強かった。とはいえ、叔母のように自分の出自を隠す気はなくて、そこにある歴史は自分が育った環境の一部であり、同時にそれは自分の存在の一部であろと思うのだった。出自を語ろうとするのは修平に通じると思うし、平崎が伯母と折り合わない事が、修平には好まし見える様子だった。修平が何かと平崎に声をかけるのも、そこに原因がありそうだ。
しかし平崎にすれば、修平の好意もまた迷惑そのものだった。しかしそれでも、同じ家を実家とする親戚関係は、これまた別の意味で、断ち切り難い、何か別の意味を持っている、そんな事なのかも知れない。
五年前だったが、大学に入学した直後、平崎はこの伯母の家から大学へ通っていた。しかし例の古い戸籍の背景にある社会問題に対する考え方が極度に違い、三ヶ月ばかりでこの家を出たのだった。平崎はこの問題について自分で可能な所まで自分でやるべきと思っていた。一人で出来ることは限りあるかも知れないが、いずれこの解決のためには、すべての人が自分で考え納得することがないと終わらない、そのように思うのだった。だからそのため、一人で何が出来るか、とことんやってみようと思う。そのため、少なくとも隠していたら自分でやるべきことが見えなくなるだろう。そのように思うのだった。
ローラスケート場を出た平崎は、後成園スタジアムのある総武線駅から山手線の秋葉原に出て京浜東北線に乗り換える。このコースが、大学に通い始めた当初の毎日の通学コースだった。やがて川口駅にたどり着きバスに乗り換える。わずらわしいように見えるのだったが、何回も通った平崎には見慣れた道程だった。しはらく行くと数本の鉄塔が車窓を横切って行く。鉄塔の下に運動場のような芝生が広がっていて、その北側にこんもりとした屋敷林がつづく。屋敷林はこの土地に昔からある農家のものだった。やがてそれらの屋敷林が二組に別れるかのように途切れているちょうど真ん中に、屋敷林とは異質な、柔らかく透明な感じのポプラの植え込みが見えてくる。その中に、軒の広い新しい家が見えた。広中紀子が一人暮しする家だった。彼女が自分なりのステータスとし、人生の目標や希望を具現した一つの形象だろう。青野町一丁目というバス停で降り、鬱蒼とした屋敷林と簡素な新興住宅が混じった通りを行くと、向うに明るく輝くような緑の一角が現れ、暗い屋敷林の中のオアシスのようにポプラの屋敷が見えてくる。
五葉松に囲まれた門扉に鍵がかかっていて彼は門柱の呼鈴を押した。伯母の電話の話しを思い出して門扉の周りを見ると、少し先に砂利の小山があった。伯母が気にしているのがこれだろう。これまで気づかないわけではなかったが、道路改修工事の一環と考えれば、とやかく言えるものではないと思っていた。
地味な和服姿の山中米子が玄関に出て戸を開けた。
「先生はさっきお出掛けになったばかりなんですよ」
米子が言った。滝沢博子の時もそうだったが、伯母はまわりの者に自分を先生と呼ばせている。
「いんですよ。用事はわかってますから」
伯母と出くわさないように、わざとこの時間をねらって来た。
「伯母さんが砂利を均してくれって言ってたけど、門先にあるのがそうですか?」
「ええ。ずっと前からあそこに置いてあるんですよ。道路工事はもう終わったのに」
「あれを均したってしょうがないけどねえ」
「均すって言われました?」
「ええ」
「先生は今日私に、あれを近くのゴミ棄て場に棄ててもらいなさいって言ってました」
廊下を歩きながら米子が言う。
「ゴミ棄て場に棄てる?」
「そう言って出掛けられましたけど。まあお茶でも飲んで下さい。隣の久保さんからリヤカーを借りる手配も今朝先生がされたんですよ」
生気をとり戻したかのような足取りで米子が台所に入った。伯母のいささか常識外れの言行に米子も戸惑い勝ちなのがうかがえた。そしてそこに、話が合いそうな平崎が来ていくらか生気を取り戻している。そんな感じではなかろうか。滝沢博子もそうだったと思う。伯母の尊大さや、反対の誇大妄想的な性格にとまどっていた博子は、平崎と話す時はいつも二人の間に生まれる共通項を頼りに話かけていた感じがしたものだ。
厚いジュウタンを敷き詰めた居間で平崎はソフーに腰を下ろした。庭の椿や南天に軟らかい日が当り、静かな部屋の中は世間の時間の流れから外れた寛ぎの場のようだった。
「これが一昨日、章行さんが荷物を持って行かれた後、博子さんといわれる方に来た手紙なんです」
一通の白い封筒が前のテーブルに置かれ、寛ぎの時間が破れる。
白い封筒には、いつか見たことのあるゴツゴツした稚拙な字が並び、伯母の住所と博子の名前が書き込まれていた。
「それから、これ先生が章行さんにあげてちょうだいって」
博子宛の手紙につづいて米子が茶色の封筒をテーブルに置いた。<これさえ貰えば後はいつ帰ってもいいというものだ。たとえ砂利をゴミ棄て場に捨てるとしても、一時間とかからないだろう。その意味では最高の稼ぎなんだ>彼は封筒の中に千円札が固まっているのを確かめて、ジャンバーの内ポケットにしまった。
「ビールでも出しましょうか?」
「いやいいです。今頃飲んだら体がなまっちゃってしょうがないですよ。お茶でいいです」
「先生今日は四時ごろお帰りになるそうですから、ゆっくりして行って下さいっておっしゃってました」
「いえ僕はすぐ帰りますよ。砂利を今から片付けますから。後で冷たいビール一本出してもらって飲んで帰ります」
平崎が言うと、米子がニヤニヤしながら「そうですか」と答える。
米子が入れたお茶を一口飲んで彼は外に出た。すると後から米子があわてて出てきて、久保という人の家に自分でリヤカーを借りに行くと言う。
「いいですよ。僕が行って来るから」
彼は米子を家に残して道路に出た。左側の、五十メートルばかり離れた道端にダンプが一台留まっていて、奥にプレハブの二階家があった。北側の丘陵の裾にある農家の次男坊が田圃をつぶして建てたという家で、これまで平崎も二、三度リヤカーを借りたことがあった。
赤土がむきだしになった埃っぽい庭の端で赤いトレパン姿の女が洗濯物を干していた。彼は道端から女に声を掛けた。
「広中ですけど」
丸く火照った顔をした女が振り返った。
「今朝伯母がお願いしたかと思うんですが、すみませんがリヤカーをちょっと貸していただけますか」
彼が言うと、女が「ああー」と答えて、家の東側に回って歩いた。
あらかじめ用意しておいたのか、女はすぐリヤカーを引いて表に出て来る。
「砂利を捨てに行くんですか?」
「ええ」
「放置してるからそちらで処理するのは勝手ですけど、うちで処理してもいいですよ。あんなの捨てるところないし、お父ちゃんに言ってシャベルカーで処理すればすぐですよ。今朝も先生に言ったんですよ。でも先生が、うちにも若い者がいるから自分でやらせてちょうだいって」
「そうですか。世間を知らないものですからすみません」
「いらないんだったら、私のところに置いといてもらっていいですよ」
女の声に刺があった。<機嫌がわるいんだ>と彼は思った。しかし砂利の使い道としては彼女の言うとおりだ。ゴミ捨て場に捨てることはない。最近の砂利はそんな扱いをする物ではないはずだ。そのことを考えると、伯母はこの人たちの助言を無視しているのかも知れなかった。だからこの女が、その非常識を怒っている。そんなところか…。
「少しばかりだから使い道ないと思って」
「いいですよ。別に使うことはないけど、置いとけば、庭の敷石にもなるし」
古い農村地帯のその一角で伯母の非常識が浮き彫りになっているのが見えるようだ。
「じゃあこちらに運んどいていいですか。僕もあのまま放っといていいって言うんですけど、病院の車が来た時なんか邪魔になるって言うもんですから」
「そうですか。お父ちゃんが取りに行ってもいいですけど。あなたがやるんなら、それはそれでいいですよ。その入口にでも置いといてもらえば」
ともあれ、ここまで来たのだから、小遣いに見合う仕事はしておかなくてはならないだろう。恥をかきながらも、やるしかなかった。平崎はリヤカーを借りて伯母の家に戻った。伯母の非常識だけでなく、その意地になって、世間に突っ張っている姿があらためて浮き彫りになっているだろう。平崎はチグハグな気持ちのまま、リヤカーに砂利を積んで三度久保の家に運んだ。古い戸籍を捜して起ったあの事件をきっかけに伯母の人生が決まったと言ってよいだろう。そしてその戸籍に書き込まれた古い身分が、今になってもなを、深いところから姉妹や親戚の者の人生にからみついている。そうしたところではなかろうかー。
砂利を片付けた後、彼は居間に上がってビールを飲んだ。
「昼ごはん用意しますから、食べて行ってください」
台所から米子が声をかける。用事をすませてすぐ帰るつもりだったが、体を動かすと気持ちが和らいでいた。伯母と会わないよう気をつければ、時間は充分あった。滝沢博子の兄からの手紙も、彼女の新しい住所を書いて郵便ポストに入れて置けばことは済むだろう。そんな手紙が届けば博子は当然自分が何をすべきか気づくというものだ。そしてまた何よりも、そこに書かれた兄の住所が、叔母が邪推するとおり彼女の出自に関連するものであるなら、彼女は彼女なりに生き方を定めていることであろうし、そのことについてあれこれ言える資格のある者はこの国にいないだろう。彼女が好きなようにすればいい。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔culture0166:1501009〕
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