第2次大戦後70年間の日本は真に平和国家の理念を追求した国家だったといえるか。
- 2015年 9月 30日
- 評論・紹介・意見
- 岡本磐男
大戦後の日本は、1947年の平和憲法の制定のもとで一度も戦争をしなかった平和国家だったと説く人がいる。しかし私は、こうした言説をとても信用する気にはなれない。むしろ1951年に締結され60年に改訂された日米安全保障条約によって保障された米国の核の傘のもとで安住してきたという思いが強い。
まず指摘しうることは、大戦後5年をへて発生した北朝鮮対韓国間の朝鮮戦争では、日本は韓国側を支援した米国に対して大量の軍需品および米軍の生活必需物資を生産、供給し、これによって特需景気を発生させた程の利益をえたことである。また第2には60年代から70年代初にかけて発生した米国とベトナムとの間のベトナム戦争では、沖縄の米軍基地から米国航空機をベトナムへと飛び立たせたことである。さらに21世紀に入って行われた米国対イラクの間でのイラク戦争では、日本の自衛隊が米国を中心とする西側諸国の艦船への石油の補給活動をインド洋で行ってきたということである。ついでにいえば、イデオロギー上の問題にすぎなかったとはいえ20数年前に終結したソ連を中心とする社会主義の陣営と米国を中心とする資本主義の陣営との対立という冷戦においては、日本は米国あるいは西側諸国の側にいたということである。
こうしたわけで戦後の日本は決して一貫した平和主義を貫いた国家というわけではなかった。なぜなら絶対的な平和主義を貫く国というのであれば、世界のどのような陣営に属する国家であろうと友好的な関係を築く国、あるいは築く国になるよう努力する国家でなければならぬと思われるからである。だが現実は決してそうではなかった。日本は常に米国に追従する国であった。そして、社会主義国が崩壊し、冷戦構造が消え失せたあとでも米国への追従はなくなることはなく、いっそう甚だしくなった。しかもこのことは、戦後70年間のあいだ、若干例外の期間があったとはいえ、殆ど保守党たる自民党政権が継続してきたことと無関係ではない。
対米追従を続ける自民党政権を第一に支持するのは日本の財界人であろう。それは、第一義的には日本の資本主義体制の維持を考え、またそれは強大な軍事力によってのみ堅持されると考え、それがために米国の強大な軍事力に依存したいと認識しているのであろう。そして労働者や市民の多くが、自民党政権を支持するのも、日本の財界人の認識や意見の方が優れており、彼らに追随している方が安全であろうと考えてきたためと捉えうるであろう。だがこのことは真実なのであろうか。それは虚妄なのではないか、というのが私の以下の見地である。
その点に触れる前に一言いっておきたいことがある。それは、これまでの数10年にわたる自民党政府あるいは自民党の総理は、世界の平和の問題について、とりわけ核廃絶の問題についてとくに熱心だったかという問題である。私は決して熱心だったとは思わない。毎年8月は日本にとって平和の季節であり、6日と9日における広島市長および長崎市長による平和宣言では、核廃絶の方向を力強く訴えるのが常であるのに対して、総理大臣の言葉は、官僚が作成したことがすぐに判るようなありきたりな表面的な言辞であることが殆どである。あるいは、唯一の被爆国であるにも拘わらず国連総会のような国際舞台の場において、日本の総理が核廃絶問題を強調したという話しも聞かない。人類の深刻な問題をかかえているにも拘わらず、一体日本の総理は何をしてきたのかを問わざるをえないのである。この点においても日本の総理は米国に遠慮してきたと考えざるをえないであろう。米国のオバマ大統領でさえ、数年前にプラハで核廃絶の演説をしたにも拘わらずである。
私は今日の安倍総理が積極的平和主義というとき、その内実は核兵器——あるいはその他の大量破壊兵器も同一だが、その点にはたちいらない——の廃絶以外にはありえないと思う。核兵器はたった一発でも数10万人の人を殺傷しうるようなその破壊力は想像に絶する程の恐ろしい武器である。それ故第2次大戦時における武器とは比較にならないし、一旦核戦争が起きてしまえば、世界はどのようになるのかは誰にも想像がつかないのである。現在の日本の保守政治家達は国民の財産、生命を守るのが政治家の責任である等と気軽にいっているが、第2次世界大戦を経験した私達には全く虚言としか考えられない。実際太平洋戦争では多くの日本人は生命、財産を奪われ、戦後は無一文で出発した人達が大勢いることを知っているからである。ところでここで言いたいことは、米国は核兵器保有が数1000発に及んでおり唯一の軍事大国であるから、米国と同盟を結んでおれば安心である等ということは決していえないことである。ロシアとても米国にまさる程の核兵器を保有している。また中国の核兵器保有量は200発に及ばないようであるが、一旦核を用いる戦争が勃発すれば、他の大国に敗北するとはいえないであろう。いかなる大国であろうと、100発もの核兵器を撃ち込まれれば、も早たち直れない程の重大な損害を受けることは必定だからである。まさに核戦争には勝者はいないのである。それ故にこそ、こうした核兵器のような非人道的兵器は廃絶に向けての歩みを着実に進めなければならないのである。
にも拘わらず現在の安倍政権は、安保法制によって日本と米国との同盟関係を強めようとしている。そこには米国の強大な軍事力に依存していれば安全であるという本音がすけてみえる。そして常にいっていることは米国は日本と同じ価値観、すなわち自由と民主主義を理念とする国だから同盟するのだということである。だが、これもまた大嘘である。この点は、米国人の大半はキリスト教徒であり米国はキリスト教国であるのに対し、日本ではキリスト教徒は全人口の1%にも満たない人数であることからも判然とするであろう。外国人のことがろくに判りもしないにも拘わらず、安倍総理は、しばしば海外に出張し外国首脳と会見し交流を深めている様子ではあるが、平和外交をしているというよりは、原発をはじめ日本の商品のセールスのため訪問しているのではないかとの印象を抱かせる。その証拠には、最も重要な平和外交の相手国としての中国と韓国には未だ訪問していない点からも明らかではなかろうか。また安倍政権は、非核三原則を遵守しているため核の開発は行っていないが、財界の要請により昨年4月には武器輸出三原則は撤廃したので、軍需・防衛産業における武器の生産、海外輸出を拡大させている。まさに大企業をして死の商人としての活動の舞台を広げているのである。この点からいえば、日本は平和国家というよりは、まさに金儲けのためには何でもするという商人国家としての道を歩んでいるのではあるまいか。
これまでの章句では、核戦争については触れたが通常兵器による戦争には言及しなかった。現代の世界ではもし核兵器を一発でも他国へ向けて撃った国は、国際的な非難の大合唱を受けるだろうから、政治指導者ははじめから核攻撃などはしないだろう。だが通常兵器による戦争は発生しうる可能性はある。(現に発生しているとみることもできる)私達が最も恐れるのは、当初は通常兵器による戦争からはじまっても、何らかのきっかけで核戦争に転化するような場合である。戦争指導者や各国の首脳達はこうしたことが発生しないよう通常兵器による戦争のあいだにおいて懸命に和平の道を模索し、和平を実現せねばならぬことはいうまでもない。また原発に対するミサイル攻撃等も核兵器による攻撃と同一の影響力を持つものである以上警戒を強めねばならぬ。
今国会における安保法制をめぐる議論を聞いていると、日本に関わる戦争は、まるで自衛隊員のみで行われしかも日本本土とは無関係な地域で行われると想定しているかの如き印象を受けるが、現実の展開は決してかかるものではないだろう。第2次大戦がそうであったように局地的戦争から全面戦争へと発展し日本本土の民間人全員が戦争のうずに巻きこまれていくことも十分に考えられるのである。また日米安保によって日本が米軍に支援されると考えるのは甘いと思われる。仮に日中間で紛争が生じた場合、米国は日本を支援するかといえば、全面的な米中戦争に発展することを恐れて、米国はきわめて慎重な態度をとるだろう。さらに国会論戦では、北朝鮮が日本に向けている300基以上の中距離弾道ミサイルを配備しているから安保法制が必要だと主張する保守政治家がいたが、この種の議論は全く過去の戦争から学んでいない戦争勃発論を知らない議論だといわざるをえない。例えばA国の政治指導者がB国に対して戦闘行為に出て戦争をしかけるのは、その方が自国にとって有利で利益があがると考える場合のみである。北朝鮮が日本本土に対してミサイルをうち放ったとしても、北朝鮮は何の利益をもえられることなく、単に報復攻撃を受けるのみであろう。キム・ジョンウン氏は独裁者であるにしても、それ程愚かではなくそうしたことは承知しているはずである。また今回の安保法制では安倍総理は、軍事力強化こそが抑止力となるとみているようだがこの考え方にも同意できない。日本が軍事力を強化すれば、相手国もこれに対応して軍事力を強化するのであり、軍拡競争に歯止めがきかなくなるだろう。
最後に中国で9月3日に行われた抗日戦争終了後70周年の軍事パレードに論及しておきたい。このパレードで驚かされたのは、中国の強大な軍事力などではない。世界が変わるなという強烈な印象を抱かされたのは、パク・クネ韓国大統領がこのパレードの招待に応じ、中国の習近平国家主席やロシアのプーチン大統領の隣に座ったことである。パク・クネ氏は米国との緊密な関係は維持せねばならぬことを承知しながらも中国との友好関係をいっそう高めるために決断したのであろう。そして韓国の国内世論はおおむね同氏の立場を支持したのである。これは画期的な事柄である。西側資本主義国の一員としての地位を目指してきた韓国が、国家資本主義的色彩が強いとはいえ、社会主義市場経済をめざしている中国に接近したとみられるからである。これら3国は、国内的にはさまざまな困難な事情をかかえているとはいえ、もし協調し結束を強めるなら、遠くない将来においては——例えば20年後、30年後には——も早GDP成長率も伸びないため衰退の道を辿るだろう米国、EU、日本を一括した西側先進国に優るとも劣らない生産力、軍事力を有する統合国になるかもしれないのである。もっとも過日のパレードで習近平が中国は覇権国家の道を選ばないと述べたことが実際に行われるとすれば、冷戦時代のようにはならないであろう。問題は、今後北朝鮮がいかなる道を選ぶかである。
北朝鮮は確かに不可解な国である。1年前には日本に対して拉致問題の早期解決を約束したかのようであったが、その後全く進展をみせない。日本に対してどのような戦略・戦術をたてているのが少しも判らないのである。だがこれまでのように米、韓、日を一体とみるような見方は、韓国が米国と距離をおくことによって、また日本に対しては拉致問題で負い目を作り出してしまったことによって、変わってくるのではあるまいか。ただ、米国に対しては敵視政策を変えないであろう。なぜなら北朝鮮が米国を最も敵視するようになったのは、10年程前に、米国のブッシュ大統領が北朝鮮を「悪の枢軸国」の中の一国として強く敵視したためだと思われるからである。
さて本稿を執筆している現在、日本では安倍政権の安保法案が国会を通過するか否かの瀬戸際の段階※にあるが、しめくくるに当たって注目したいことは、国会を取り巻く労働者・市民のこの法案に対する熱心な反対運動である。私は平和を希求する人々のこうした反対運動こそが、戦争への唯一の抑止力であるとみたいのである。それ故に海外諸国の多くの人達にこの反対運動をみて欲しいと思う。とくに北朝鮮の当局者と人民大衆には、——容易には日本の実情に関する情報がゆきわたらないようであるが、——何としてもこの運動の情報が伝わることを強く願うものである。
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