歌あり踊りあり、まだまだデモに行くオヤジ
- 2015年 10月 3日
- 交流の広場
- ナンパせん
10月1日の浅沼稲次郎さんの追悼集会の翌日は、「安倍政権NO! 1002 大行進」と続きます。デモって、「~労連」とかの幟を立てて群れている人たちがいるので、フリーランスのオヤジはなんとなく苦手なのですが、フリーランスって決めればそれはそれで動員なんぞとは無関係にフラリと行けるので楽なわけ。以前も書いたけど福田善之さんの「真田風雲録」の真田幸村は「行きたい奴は行く。」と言って敗れることが分かっている大阪城に乗り込んで行くのでした。そう「やりたい奴は一人で勝手にやる」ということなのですが、これを突き詰めるとテロになる、との指摘も当時ございましたね。しかしやっぱり日本のデモも群れているうちはダメなんだよな、と福田さんが喝破したのは50年前ですよ。今もあんまり変わらなのかな、ただ縮小再生産はしっかりしたけどね。
日比谷野外音楽堂に入っても幟が乱立してました、しかし司会の若いお女性の方に、「幟はしまって下さい。」と指示されました。それでよい。動員されるのではなく、行きたい奴が勝手に行く方がよい。きっとその方が長続きするからね。戦いはねこれからなの、松山善三さんじゃあないけど「ここから始まる」なわけ。これは真継伸彦さんの小説と同じで「細く険しい道」なんだよな、きっと。
だから楽しくやりましょう、というのではなかっただろうけど、野外音楽堂は、若い方々の清々しい歌があり、派手な踊り付きのパフォーマンスありで、それは楽しめましたね。ちょうどいい季節になってきて、それこそ快い晩となりました。
オヤジが何故に参加したかというと、シラフの夜の銀座で大声挙げて練り歩ける機会などそう滅多にあるものではございませんので、それに乗ったのでした。単に銀座で「安倍は辞めろ!」と怒鳴りたかったのですね。しかも警察の方々がしっかり我々参加者(またの名を納税者という)を警護してくださる。普通、真夜中にそんなことやればトラと間違われてご指導を受けてしまうのですけどね。
生きていれば何らかのストレスに苛まれるわたくしたちでございます。また正々堂々と怒鳴れる機会を与えてくださいませ。オヤジの切なるお願いです。
でもね、あんなチャラい人を「辞めろ!」と怒鳴らねばならぬほど、日本人ってダメになったということなのでしょうか。戦後70年いいときもあったんだよ日本は。だけど総括できなかったんだな。左翼にばっかり総括せよ、と迫るマスゴミもいるけど、あんたたちだって総括してこなかったでしょ、自分にばっかり都合のいいこと言わないでちょうだい。
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