唯一絶対の神アッラーが下す「最後の審判」をまた目指して生きる
- 2015年 10月 6日
- 評論・紹介・意見
- イスラム伊藤力司宗教
「イスラム断章」
われわれ現代の日本人は宗教を無視したような生き方ができる。よく言われるように、結婚式はキリスト教式で挙げ、葬式は仏教の坊さんにお経を上げてもらう。何かの折に神社を訪れれば二礼二拍手の拝礼も欠かさない。だが外国ではキリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、仏教をはじめ諸々の宗教が人びとの生活を律している。中でもイスラム教徒は、1日5回のメッカを拝む礼拝や女性のヒジャブ(かぶりもの)など目に見える形で信仰を実践しており、その姿は平均的日本人には少し異様に映る。
とりわけ動乱の中東・シリア、イラクで暴れている「イスラム国」を名乗る過激派が、TVカメラの前でオレンジ色の囚人服を着せられた外国人人質の首を掻き切って惨殺するシーンが全世界のネット画面に流されたことで、イスラム教への違和感が広がった。こうして惨殺された人質の中に後藤健二さんと湯川遥菜さんの2人の日本人がいたことで、日本ではイスラムへの反感と広がったようだ。国際情勢を取材・報道してきたジャーナリストの端くれとして、イスラムについて学んだことを「イスラム断章」と銘打って折節紹介したい。
イスラムとは、万物の創造主であり唯一の神である「アッラーに絶対帰依する」という意味である。イスラム教徒のことをムスリムというが、これは「アッラーにすべてを委ねる人」を意味するという。ここが天照大神から山の神、海の神、さらには氏神様に至るまでの八百万の神がいて、通りすがりの神社・仏閣に手を合わせてお加護を祈る日本などの多神教の世界とは決定的に異なる点だ。ムスリムの誰もがアラビア語で唱える「アッラーのほかに神はない。ムハンマドは神の使徒である」という言葉は、すべてのイスラム教徒にとって、その信仰の出発点であり、根本理念である。
(ムハンマドは従来マホメットと表記されていたが、これは西欧人がアラビア語のムハンマドをローマ字で表記したのを、明治の日本人がマホメットと読んだためだ。アラビア語の発音をカタカナにすればムハンマドが原音に近い。先年ケニアで大学の寮を襲ったイスラム過激派のテロリストが、学生たちに「アッラーのほかに神はいない…」の文言をしゃべらせてこれを唱えられない者を射殺した事件があった。)
さてイスラム教の預言者ムハンマド(西暦570年ごろ-632)はちょうど聖徳太子と同時代に、アラビア半島のメッカで生まれて生きた商人である。聖徳太子が朝鮮半島を経由して渡ってきた仏教を本格導入して大和朝廷の治世を固めたのとほぼ同時期、ムハンマドはアッラーの啓示を受けてアッラーの言葉を伝える預言者として活動を展開した。商売に成功したムハンマドは時々洞窟にこもって瞑想することを好んだが、瞑想中の彼の脳裏には頻繁に異様な言葉がひらめいた。それはアッラーがムハンマドに下した啓示であった。この啓示
を文章化したのがイスラム教の聖典コーランである。
当時のアラビア半島は多神教がはびこっていたために、アッラーのみを神と認める一神教の信仰を広めようとしたムハンマドはひとかたならぬ迫害を受けた。そのため彼は紀元622年に、それまでに彼の周りに集まった信徒を連れてメッカから西方400キロのメディナに避難した。それから632年にムハンマドが没するまでの10年間に、イスラム教を奉じる信徒はアラビア半島西部全域を支配するに至った。ムハンマドとその1党がメディナに移住して勢いを盛り返しメッカに戻ったことが、その後のイスラム教の隆盛を招く結果になった。そのためイスラム教ではメディナ移住をヒジラュ(聖遷)と呼び、この年をイスラム歴元年としている。
ムハンマド没後のイスラム教は、カリフという名の後継者(教主兼総司令官)を押し立て、7世紀から数世紀の間にアラビア半島から中東全域に布教と支配権を拡大した。その勢いは北アフリカからサヘル地帯を越えて中部アフリカ、さらに北転してイベリア半島にまで及んだ。さらに俗に言うところの「剣とコーラン」をかざしたイスラム勢力の聖戦(ジハード)は、西アジアから中央アジア、インド亜大陸、東南アジア(インドネシア、マレーシア、フィリピン南部)や中国の一部(ウイグル自治区と回教徒地域)を席巻した。
これだけ拡大したイスラム世界の人口は、現在17億人から18億人の間と推定されている。キリスト教徒がプロテスタント、カトリック、ギリシャ、ロシアなどの東方正教会を合わせて24億人に次ぐ人数だ。キリスト教圏にくらべイスラム教圏は多産系が多く、いずれはキリスト教圏の人口を追い抜くのでは、と予測されている。
イスラム教には、根底に神のもとでは人間はみな平等だという教えがある。これが破竹の勢いでイスラム世界が拡大した要因の一つだろう。さらにムスリムは神の言葉に沿って戒律を守りきちんと生活していれば、死後にアッラーの「最後の審判」受けて天国に行けると信じている。しかしアッラーはすべてお見通しである。定められた戒律を守っても審判にパスするという絶対的な保証はない。
よく知られているように、ムスリムには豚肉を食べてはならないとか飲酒厳禁といった戒律がある。1日に5回のメッカ礼拝が義務付けら、ラマダン(断食月)の間は日の出から日没まで飲食を禁じるなど、日本人の普通の生き方からすれば「苦役」としか見えない戒律もある。これらの戒律をきちんと守ったつもりでも「最後の審判」で、すべてをお見通しのアッラーから死後の天国行きが許されるとは限らないのだ。だが、もし「最後の審判」で天国行きがOKとなれば、永遠の天国暮らしが許される。
俗世でいくら長生きしたとしても70年か80年。それに比べると天国では永遠の生命が保証され、しかも肉は食べ放題、葡萄酒は飲み放題。麗しい乙女(処女)たちといくら交わっても、美女はまた次の日は処女に戻る世界なのだという。あちこちのイスラム過激派が、年若い少年たちに強力爆弾を抱かせて自爆攻撃をさせる例が起きているが、純真な少年たちは「この行いはアッラーの御心にかなうので必ずお前の天国行きを許してくれる」と言い含められて、自爆を決行する例が出ているという。幼少時から来世の天国のために今を生きることを教えられて育つイスラム少年たちの悲劇である。
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〔opinion5712 :151006〕
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