青山森人の東チモールだより 第311号(2015年10月8日)
- 2015年 10月 8日
- 評論・紹介・意見
- チモール青山森人
チモール島の起源はまだよくわかっていない
オーストラリア、新政権も相変わらず
オーストラリアの与党・自由党の党首選でアボット首相を破り新党首・新首相となったターンブル氏による新内閣が9月21日に正式に発足しました。国際海洋法のもとでチモール海の境界線を正式にひきたい東チモール側からこの出来事を見れば、オーストラリア新政権にたいして領海画定の交渉に応じてくれる兆しを少しでも感じたかったに違いありません。しかしターンブル新政権はチモール海の領海にかんしては前政権を引き継ぐ姿勢を示したことで、東チモールの淡い期待は泡と消えたようです。
すると東チモール政府は、9月24日、「チモール海条約」にかんして国際司法裁判所の仲裁裁判へ新たな手続きを始めたことをオーストラリアに通達したと発表しました。これは2014年初めに論争として浮上した「チモール海条約」第8条b項にたいするオーストラリアによる解釈にたいし、東チモールが法的手段で異議を主張するものです。
東チモール政府によれば、同条約第8条b項にたいするオーストラリアの解釈とは、チモール海の共同開発区域において、パイプライン課税などの権利を含めて絶対的かつ排他的な統括権がオーストラリアにあるというものであり、東チモール政府はこの解釈に同意できないとして、この18ヶ月間、この条項にかんしてオーストラリアに話し合いを求めてきたが、オーストラリアが応じようとしないので法的手段にでたということです。
これにたいして続く25日、オーストラリア政府の、つまりターンブル新政権は、これまで両国は友好的な話し合いを通して問題を解決してきたのに東チモールが法的手段にでたことに失望したと遺憾の意を表明し、次のように反論しました――2002年に結んだ「チモール海条約」第8条b項に沿って、課税を含めたパイプラインにかんする排他的権限をオーストラリアが有することに基づいてこれまで両国は行動してきたのであり、これは両国の同意のもとでのことである。これによって東チモールは、石油会社に課せられるパイプライン関連税金を受けとる代わりにオーストラリアから毎年800万ドルを受けとってきた。それなのに東チモールは2012年にパイプライン税金を過去に遡って石油開発会社に要求し始めた。東チモールのこの新たな態度は両国間の合意に反する――。
国同士で結ばれた条約の複雑さを棚に置くと、そもそも「チモール海条約」とは、東チモールにしてみれば独立国として羽ばたくにあたってとりあえず国家財政が欲しいがためにオーストラリアと妥協して(あるいは何がなんだかわからないなかで)結んだ性格のある条約です。東チモールが国家として年月を重ね成長していき、条約の内容に不条理さを意識するに至ったならば、東チモールが法的手段をとってでも合意の変更を求める行動に出ることは自明の理です。そのような隣国・東チモールとどう付き合っていくか……オーストラリアの成熟性も問われています。
公用語二語で書かれた教科書の登場
最近、ポルトガル語とテトゥン語の二つ公用語で書かれた教科書が登場しました。わたしは中学生の理科・数学・社会の教科書を買ってながめていますが、日本の教科書にひけをとらない立派な教科書です。ポルトガル語文章の脇や下に小さめの文字でテトゥン語訳が書かれていますが、おそらく実際はほとんどの東チモールの生徒は小さめの文字で書かれたテトゥン語を中心にして教科書を読むのではないでしょうか。とにもかくにも東チモールの教育現場で基準となる教材ができたことは東チモールの教育にとって記念すべき画期的な出来事といっていいと思います。
第1章「宇宙と社会における物質とエネルギー」、第2章「宇宙と太陽系の形成と進化」、第3章「地球の力学と保護」、第4章「環境力学そして地球生物と多様性生物の保護」、第5章「人体と健康促進」、第6章「東チモール社会の持続と進化」、6章の構成で全208ページとなっている。教科書後半になるにつれ東チモール色がしだいに濃くなっていく。
ポルトガル語から機械的にテトゥン語へ訳されているきらいがあるが、テトゥン語が科学表現に十分耐えうることを証明している。教師が教育現場でこの教科書を使いこなしていけば、こなれたテトゥン語による科学表現が一般化してくるであろうと期待できる。
東チモールの起源
この理科の教科書108~109ページにチモール島の地質学的な形成モデルが紹介されています。地質学的観点から東チモールとオーストラリアの関係が書かれていて、チモール海を挟んだ両国の政治的な話題に慣れている頭には新鮮です。外交的には東チモールとオーストラリアはチモール海に埋蔵される資源をめぐって冷え込んでいますが、ここでは少し政治から離れて両国をみてみましょう。108~109ページの見開き2ページの内容がとても興味深いので、以下、要約(要訳)したいと思います。
———————————————
テクトニクスからみる東チモール
東チモールは東南アジアに位置し、そしてオーストラリアの北西に、スンダ列島のなかに位置し、ユーラシアプレートとオーストラリアプレートの境界に位置する。
また東チモールはジャワ島からバル島にいたるバンダ弧状列島のなかにある。
バンダ弧状列島は次の二つに分けられる。
・火山性の諸島から成る内側の部分。スンダ列島の小さな島々と東チモールのアタウロ島が含まれる。
・非火山性の諸島から成る外側の部分。チモール島とジャコ島が含まれる。
図1 テクトニクスからみる東チモール。緑色の諸島は弧状列島の内側で火山性。赤色は内側の非火山性。
———————————————-
この図からアタウロ島・チモール島がユーラシアプレートとインド-オーストラリアプレートの境目に位置することがわかります。なお二つのプレートの境目の型として、トランスフォーム型境界・発散型境界・収束型境界がありますが、アタウロ島・チモール島は収束型境界にあります。なおジャコ島とは東チモールのラウテン地方に属するチモール島東端の鼻先に浮かぶ小さな島です。
次に教科書は、アタウロ島以外の東チモール領土の一部であるチモール島とジャコ島の起源の説明をしていきます。それによればチモール島とジャコ島の起源はかなり複雑で、20世紀から主に石油の調査によって種々の理論が提起されたが、今日にいたってもなお各説を証明する証拠を探っているのだといいます。教科書では次の三つの形成モデルが紹介されています。
————————————————–
・乗っかりモデル
図2 ユーラシアプレートとオーストラリアプレートが衝突して、ユーラシアプレートの岩石がオーストラリアプレートに乗っかって形成されたのがチモール島とジャコ島である。
・重なりモデル
図3 ユーラシアプレートとオーストラリアプレートが衝突して、オーストラリアプレートの上に運ばれたユーラシアプレートの岩石が変化して、チモール島とジャコ島が形成された。
・反発モデル
図4 ユーラシアプレートとオーストラリアプレートが衝突して、オーストラリアプレートが反発して隆起し、チモール島とジャコ島を形成した。
————————————————–
「乗っかりモデル」「重なりモデル」とはわたしの素人意訳であることをおことわりしておきます。「乗っかり」は、ただたんにチモール島がオーストラリアプレートの上に乗っかったという意味で、「重なり」とはユーラシアプレートとチモール島とオーストラリアプレートが、うろこ状やかわら状のように重なっているという意味です。
ユーラシアプレートとオーストラリアプレートが衝突したことがチモール島とジャコ島の起源であるのは三モデルに共通しています。しかし最初の二つのモデルは、チモール島とジャコ島がユーラシアプレートから形成された説であるのにたいし、三つ目のモデルはオーストラリアプレートからできたという説になって異なっています。東チモールとオーストラリアはそもそも別々のプレートを起源とするのか、それとも同じプレートの“むじな”なのか……外交問題とは違ってこちらの問題にはロマンがあります。それにしても、モデル図のチモール海(チモール島とオーストラリア大陸の間)を見ると、なぜ現在のような領海の線がひかれたのか、素朴な疑問がでてきます。
この項の最後はこう結ばれています。
—————————————————-
いずれのモデルにおいても東チモールの形成はかなり最近の出来事である。二つのプレートの衝突はたった2300万年前の新生代に起こり、岩石が海から出てきたのは約500万年前のことである。
東チモールには古代の岩石が存在し、衝突以前のもの、なかには4億年前の古生代のものもある。
—————————————————-
今年2015年はポルトガルと東チモールの初接触から500年目にあたるといわれていますが、この教科書によれば東チモール(上記の「岩石」)が海から登場したのは500万年前ということになります。東チモール人は500年というケチくさい数字にとらわれないで、500万年という自分たちの歴史を学んで、チモール海の資源に思いを馳せるのもいいのではないでしょうか。
~次号へ続く~
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion5716:151008〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。