EU,USAへのすり寄りか、民族自立か―セルビアの選択
- 2011年 1月 8日
- スタディルーム
- セルビア存続の戦略岩田昌征駐ベオグラード元カナダ大使へのインタビュー
ベオグラードの週刊誌ペチャト(2010年10月10日)にジェイムス・ビセット元駐ベオグラード・カナダ大使へのインタビューが載っていた。「ちきゅう座」では、元アメリカ大使や現ドイツ大使のセルビア・バルカン情勢論を紹介してきたので、元カナダ大使のそれも紹介するに値するだろう。2010年11月5日、雑誌ゲオポリティカと「バルカン研究ロード・バイロン財団」が主催して「セルビア―存続の戦略」会議が開かれた。ビセット大使は財団の議長である。要約する。
EUだけがセルビアにとって唯一の希望か。
―ベオグラードに来てわかったことだが、ボリス・タディチ大統領の向EU政策を多数派ベオグラード市民が支持しているといういくつかのアンケート調査は、必ずしも正確ではない。失業、腐敗、犯罪者支配はEUが解決できる問題ではない。外資参入も利潤見込みが第一であり、現政権が説くように、EU加盟が条件である訳ではない。ブリュッセルの基本目的は、セルビア社会の全分野で支配的となり、主席監督官になることだ。NATO加盟も要求され、アメリカ軍の標準に合わせて武器を買わせられる。
EU加盟のプラス、マイナスがセルビア民衆に知らされているか。
―セルビアのメディアは政権によってコントロールされており、情報は選別されている。多くの知識人や他の人々は、ミロシェヴィチの下における方が、タディチの下におけるよりも大きい自由があったと語る。こうして特に青年層は、EUが「約束された土地」であると信じるようになっている。こんなことを悟るのにセルビア人は何回平手打ちを食わなければならないのだろうか。例えばドイツ大使は、セルビアは子供たちにNATO空爆が正当であると教育すべきであると言明した。正常な時代であれば、こんなことを公言した外国大使は、persona non grataとして即刻国外退去を余儀なくされる。こんな侮辱的ふるまいをしながら、ドイツ人はセルビアの現政権から何の制裁も受けていない。現政権は、EUに入るためならばどんな侮辱でも受けるつもりだ。タディチ大統領がスレブレニツァやヴコヴァルの諸犯罪を謝罪したのは誤りではない。しかし、相互性はどうなったのだ。クロアチアは、第二次大戦中にセルビアに対して実行した本物のジェノサイドを決して認めないにもかかわらず、スムーズにEUに入ろうとしている。ボスニアのムスリム人は、セルビア人に対して犯罪を犯さなかったとでも言うのか。EUの対セルビア行動の特質は、二重基準、二重人格である。EUはセルビアを同等のパートナーと見たことはなかったし、見ることもなかろう。
EU以外に可能性はあるか。
―憲法に書かれているように、非同盟である。セルビアの戦略的位置は、西バルカンの鍵的国家であり、東西の懸け橋となれる。「冷戦」期のように戦略的役割をもつことができる。コソヴォ独立を承認していない「歴史的同盟国ロシアを忘れるべきでない」。ある会議参加者が私に語った:問題はセルビアにあるのではなく、ベオグラードにある。ベオグラードはコソヴォ分離や、向EU突進に心を痛めている中央セルビアの住民の気持ちとは正反対の決定を下す。彼らはいつの日か自分たちもまた「ヨーロッパ人」と呼ばれるだろうという想念に魅せられた人々であって、セルビアの民族的利益の真の代表者ではない、と。「セルビア存続の戦略」を問われるのならば、経済を前進させ、腐敗を断ち、犯罪者マフィアを除き、かつて持っていた自立性を取り返し、ロシアとEUとの良好な関係を築くこと。現政権のEU一辺倒は心配である。EUは経済的・金融的大問題を抱えているし、アメリカ帝国は下り坂である。
存続戦略を欠いた場合、セルビアの将来は?
―アルバニア人は、コソヴォだけで満足しているわけではない。南部セルビアをも攻撃している。彼らの行動は、アメリカによって、おそらくトルコと協力して、注意深く方向づけられている。大アルバニアの形成だ。バルカンの若干の国境線が引き直されるであろう。
この地域にイスラム国家を作ることのアメリカにとってのメリットは?
―そのことでアメリカは将来後悔するだろう。一つは、湾岸戦争やイスラエル支持で、アメリカがアラブ世界で失った信用を回復するためだ。ボスニアのトゥズラ空港を介してムスリム人軍に武器供与し、クロアチアのザグレブを経るボスニアへのムジャへディーン派兵を組織化し、セルビア人悪魔化を実行した。もう一つは、NATOの新しい役割だ。1999年3月が転回点で、NATOはUN翼下を離れ、アメリカ対外政策の用具へ。国際法とUN憲章のすべての原則が捨てられ、NATOはさらに東方へ。
元カナダ大使のセルビア政権に対する批判的評価のコアは、岩田の見る所、現政権―デモクラットとソシヤリストの連立政権―の中枢をなす知識人グループにあるヨーロッパ・コンプレクス摘出である。ヨーロッパの近現代思想をもっぱら勉強することで自己の精神生活のコア、つまり純粋理性、実践理性、そして判断力を育成してきたセルビア知識人にとって、セルビアの、あるいはロシアの正教的、あるいは異教的常民生活の臭いは消し去ってしまいたい異臭である。これは、セルビアでも日本でも、すなわち非西欧かつ非北米の世界で歴史のかなり長い期間、善的・進歩的役割を勇気をもって果たしてきた心の構えである。しかしながら今となると、全地球を単色化するグローバリズムの二本柱の一つ、すなわち普遍的金融人ファクターと並ぶ普遍的知識人ファクターである。彼らの知る価値は、自分の金の流通する自由と自分の知の流通する自由という貧弱な自由だけである。北西部ヨーロッパが北米と相乗的に創出した近代ヨーロッパ思想の直伝的威力は、現在の日本でも健在である。小さな二つの実例を出そう。一つは「ヨーロッパ研究会」という真面目な学者たちの研究サークルがある。EUがまだバラ色に輝いていた200x年のある日、たしか神奈川大学に会場をとった研究会で、東北大学のデモクラットH教授がEU拡大を報告して、「やがてロシアもまたEUに入るでしょう。そうなれば、EUは日本の隣国となります。日本がEUに加盟することも単なる夢ではなくなります。今だからこう言うのではありません。1990年代中ごろに私はすでにY新聞夕刊でそう書いております」と誇らかに語った。私、岩田は物悲しくなり、すかさず質問に立って、「冗談ではありません。日本とヨーロッパはそれぞれ自前の文化と歴史をもっている。良き交際を越えて、一緒になるとはまさしく悪夢でしょう」と断言した。さすがにH教授は、はっとなって、自分の無自覚の文化的植民地根性を悟ったのか、少しく赤面されたようであった。もう一つは、「ルネサンス研究所」である。つい最近、旧「新左翼」系人士が21世紀の社会問題をテーマとし調査分析する趣旨の研究所を立ち上げ、それを「ルネサンス研究所」と号すると聞いて、上記と同様の違和を感じる。ルネサンスから始まったヨーロッパ文明の世界征服が、その大成功ゆえに21世紀初の人類諸社会に生み出している諸難問を解き明かそうとする場を「ルネサンス」と呼ぶのは、どこか知的敗北主義の臭いがする。私なら、「よみがえり研究所」(欧語:ルネサンス)とでもするだろう。少しく横道にそれたようである、本筋に戻ろう。元カナダ大使が見たデモクラット・ソシヤリストによるEU一辺倒のセルビア外交は、現象論的に日本の民主党政権によるアメリカ一辺倒にそっくりである。しかし、かかる両国の共通現象の底に、共通本質として知識人層のヨーロッパ(北米)コンプレクスがある。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔study368:110108〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。