『ちきゅう座の品位』マルクス美学体系(即ち、装填と整理術の経済学)2018年読本の構想序論《第4楽章 神々の黄昏を越えて》
- 2015年 10月 15日
- 交流の広場
- 武田明
【これまでのあらすじ】
三世代革命論(一族・家族・個人)「どぶ板選挙・政治革命」から「格差・経済革命」へ。
オールジャパン「平和と共生」と日本共産党について
第三楽章 老人問題と人生哲学総決算を問う
花崎皋平氏「ドイツ・イデオロギー」から先住民会議、民衆運動の系譜
社会運動史の継承と二世代目論対話の試み
【序説】
一行目から油断するな。
一頁目から貫徹し、一気に、突き進める本を目指そう。
10ページ目には、何が来るべきであるのか。
緻密なル人文学的学術的な完成度は何よって尽くせるのだろうか?
油断しまくりの断片的な推敲しない悪文を書き続けるマルクス愛好者である僕が、言っても何の説得もないのであるが、
寧ろ、製本化されたものよりも草稿と苦闘の歴史であるマルクス個人史の魅力もそこにあったのではないだろうか?
エンゲルスは、無二の親友だったのだろうか?
生涯を通じたるその関係とはなんだったのだろうか?
友人と括るのではなく、同志と括るのではなく、仕事仲間、企業事業者スポンサーなんであったとしても社会的な学友的な理想のモデルを見出すことが出来る。
その意味で、孤独なル文筆者、作家、学者本などなどの孤独な作業から漫画やアニメ制作者、映画製作、監督的な社会的組織としてなす理想形を具体的な共同作業の原型を示していた様に僕には思える。
更に、孤独なルプライベート牢獄の産物たるインターネット・ヘイトスピーチ的書き込みから太宰治的孤独な叫び、つまらなく退屈な囚人作家や学者の枠を越えたるマル・エンの原型を越えたる
ロビンフッド経済学本を越えでたる社会的な共同性のある本へとたどり着くプロジェクトを「ちきゅう座」から読本テキストとして、即座に開始しなくてはならないだろう。
これを、マルクス美学とするか錬金術とするかそれは、どちらでも良いのだ。
今、考えながらその場で、書いている発想としては、
「ちきゅう座読本」と2018年『マルクス記念本』は、二つのプロジェクトであって欲しい。
3か年計画であるマルクス生誕200年に辿り着く助走こそが、「ちきゅう座読本」としての広報、窓口であり、
「ちきゅう会議」の設立と言い換えても良いのではないだろうか?
そして、先ほど、電車に乗っていて考えていた事だけれども、
廣松渉氏は、数字の「三」にこだわりを持っていた。それは、ヘーゲル弁証法(正反合)を意識してのものとされている。
マルクス自身の構想として、資本論は、自身として未完であったが、第一版序文に伺えるように、「本書の第二巻は、資本の流通過程(第二冊)と総過程の形成(第三冊)を、最後の第三巻(第四冊)は、理論の歴史を取扱うことになっている。」(p17岩波文庫)
三か四か判然としないが、しかし、ヘーゲル弁証法を越え出る《第4楽章》の構想を持っていた。
(ベビーメタル4の歌)
https://www.youtube.com/watch?v=LyCMPmSs7RQ
更に、我々は、それを越え出ていこう。
マルクスから始まって、マルクスを越え出ていく目的を持ち、アジア革命から世界人民宣言へ。
それを越え出て、「マッハ555」(植草一秀氏)と行きたい。
主題を5つに分けて完成する美学(装填と整理術の経済学)として、具体的に展開していく。
労働(作業)と価値(商品への命がけの飛躍)から歴史的説明、経済から政治革命、人間論、更に、具体的、文化、演劇、音楽、映画に至る5巻は、検索とマルクス共同本に住まう人々の一覧、CD,DVD、BR付き。
現代技術論と創造的完成を持って、真の弁証法、対話を問う共同人類事業であり、逆ピラミッドを作る、第二段階革命論、社会主義段階から共産主義への道筋をひくことに他ならない。
本は、読まれなくては意味がない。
そして、その対話的広がりによって、実際の現在進行形の革命的指導書として、体系化される実用書でなくては意味をなさないのだ。
だから一行目から油断をしてはならない美学を明確にしていかねばならないのだ。
【今回の目次】
1.信者で何が悪い(画像資料集)
http://revolutio.exblog.jp/22318876/
2.ちきゅう座の品位
http://revolutio.exblog.jp/22317600/
3.付録:10月3日正午に1時間だけ掲載された《第2楽章》再掲載。
こちらの一文は、10月1日に書いたものであるのだけれども、3日正午まで掲載されずにあったもの。
掲載されづらいわかりづらさもあったのだろうと、別な一文を宛てて、没稿にして下さいとお願いしたのは、遠慮からであったのだけれども掲載される事には、問題がなかったらしいので、内容を変えず資料的扱いにて、この場にて、再掲載してみる。
《転向異論》についての展開に触れている内容です。
http://revolutio.exblog.jp/22318917/
<中野@貴州>さんご丁寧にありがとうございます。
http://chikyuza.net/archives/57126
(書いている間に挟まっていました)
2018年マルクス生誕200年祭共同実践者の第一人者のお一人ですよ。
否と言っても、えって言ってもマルクス愛好家である全員体制、生きている自由性そのものと合致しているのだから不慮の事故で他界したりしない限り「生の必然」としての企画。まさに「共産主義」共同そのものと人生哲学の合致を目指しているのです。
躰に十分お気を付けください。真に生き続けましょう。
それまでに是非、マルクス論精進、更に、磨きをかけてください。
(もう始まっています!人柄が感じられて面白い内容でした)
発表の場、その舞台は、マルクス愛好家のわれらで、作り、そして、後継者、後世へと道を開いていかねばならない。
この事業実践以上に面白い提案は見つかりませんよ。
何故、他の方から提案されて、これまで、逆に誘ってくれなかったのか残念でなりません。
アソシエ21、ナムなどがそれだったのでしょうけれども、今度は、失敗のない【結集】を是非、ちきゅう座発で、やっていきましょう。
中国人民も北朝鮮人民も泣いて喜ぶ大アジア革命を「安倍政治を許さない」の精神で、展開していきましょう!
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