焚書坑儒の反復
- 2015年 11月 6日
- カルチャー
- 宇波彰
去る2015年9月13日に,私は静岡県立美術館で「富士山-信仰と芸術展」を見た。富士山がいかに日本人の信仰・芸術とかかわっているかが少しわかった。また、富士山を描く絵は、雪舟が原点になっていることも知った。雪舟は,富士山を向かって左の方に小さく描き、右側には海を描いている。その雪舟の作品は失われたが,残された模写が展示されていた。その後の富士山の絵の構図は、ほとんどこの雪舟の作品の踏襲・模倣である。雪舟の作品の反復が繰り返され、その反復そのものが,「富士山像」の集合を作っている。そこでは反復が芸術作品の原動力になっている。
もちろん、そのような反復を否定するところにも芸術は成立する。長沢廬雪が描く富士山は,あまりにも険しく聳え立っていて、人が登れる角度ではない。廬雪は雪舟を否定することによって、新しい富士山像を描いたが、それもまた反復の変形である。反復は否定されてもなお反復である。そのように,反復の力はきわめて大きい。
しかし、「困った反復」もある。10月27日から、東京国立博物館で「始皇帝と大兵馬俑展」が開かれる。また、鶴間和幸の『人間・始皇帝』(岩波新書)も刊行された。この本は最新の研究成果を取り入れた始皇帝論で、たいへん面白い。
この本のなかで,鶴間和幸は「焚書坑儒」について,次のように書いている。「始皇帝は大臣たちに議論させた。丞相の李斯は博士らが<古をもって今をそしる>のは、人民を惑わすものであると強く非難して焚書令を提案した。李斯は<故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る>ことを<古(いにしえ)を以って今をそしる>と判断したのであろう。かれは徹底して博士の動きを封じ込めようとした。今の法令さえ学べば古の学問は必要ないとして、<もし欲して法令を学ばんとするあらば、吏をもって師とせよ」、博士に師事するよりも官吏に師事せよという命令まで出している。」(p.149)
現代の「博士」である日本の憲法学者のほとんどが、安保法制は憲法違反であるという意見である。しかし、政府は「学者の意見よりも政府の判断が正しい」という立場で、法案を強硬採決した。これは「吏をもって師とせよ」の現代版であり、始皇帝の時代の反復である。学者の意見が不要ということは,現代の「焚書坑儒」そのものではないか。(2015年10月6日)
(お断り。『人間・始皇帝』からの引用では、一部の漢字をかなにしてあります。)
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