ジョニーが死んだ-はみ出し駐在記(63)
- 2015年 11月 19日
- 評論・紹介・意見
- 藤澤豊
出張先のモーテルからローラに電話した。「今度の土曜日に遊びに行きたいけど、何か予定でも入ってる?」特別予定が入っていることなどないと思いながらも、前もって確認もせずに行くのは気が引ける。確認もせずに行って、もしいなかったらイヤだし、事前の連絡くらいは最低減の礼儀だろう。
言い終わらないうちにローラに遮られた。何時にもまして早口で「ジョニーが死んだ」聞き間違いではないかと思って聞きなおそうとしても、ローラの話が止まらない。「昼近くになっても部屋から出てこない」「オーナー(アイリッシュバーのオーナー、ジョニーの養父)が部屋を開けたら、死んでいた」「注射器に空気が残っていたに気がつかなかった」「空気が入ってしまって、そのまま死んだ。。。」言うだけ言って多少は落ち着いたのか、普段のしゃべり方になった。
死んだと言われてもピンとこない。先週は、相変わらず減らず口をたたいて、いつものジョニーだった。まだ二十二三、いくらなんでも死ぬには早すぎる。それまで人の死に遭遇したことがなかった。死ぬというのがいったいどういうことなのか、知識としてはあっても、気持ちの上ではよく分からなかった。死んだらもう二度と会えなくなる、どこか会えないところに行ってしまうという感覚しかなかった。
ローラにそう言われても、そりゃないだろうとしか思えなかった。ローラには人をかつぐほど知恵はないし、演技する能力もない。言っていることが事実であることに間違いはない。それでも「悪い冗談はよせよ、先週会ったとき、いつもと同じように元気だったぞ」「ジョニー、まだ二十二三だろう。」「死ぬには早すぎるぜ」「勝手にジョニーを殺すなよ。。。」もごもご言い続けたいら、ローラが「冗談やウソじゃない。ジョニーが本当に死んじゃったんだ」と声を大きくした。
アイリッシュバーに電話してジョニーのことを聞けない訳ではないが、こんなこと電話じゃ聞けないし、聞いちゃいけない。ローラが言っていることが冗談であって欲しい。冗談なら、冗談にのせられて電話をして、あとで皆で大笑いってのもあるだろうが、本当だけに電話なんかできない。金曜が待ち遠しかった。
金曜の夜、ニューヨークに戻って、空港から「扇」に行った。ジョニーのことが気になる。アイリッシュバーに行かなければと思うのだが、事実に直面するのをためらって「扇」でぐずぐずしていた。マスターがいつものウィスキーのソーダ割りを出してくれた。マスターも言い出しかねているのか、どうでもいい話題を振ってきた。たいした助けにならないにしても、言ってくれれば多少は落ち着くかも。。。、気持ちの準備のきっかけを探していた。ちょっと飲んでいれば、いつものようにジョニーが「たばこはないか?」って入ってくるんじゃないかという、そうあってくれないかという期待ともつかない気持ちがあった。
酔っ払わなきゃ行けない。下戸がぱっぱと何杯か引っ掛けて、ちょっと行ってくると言って表にでた。二軒隣りで、歩くというような距離じゃない。通りにでれば、そこはもうアイリッシュバー。店の前で立っててもしょうがない。深呼吸して、今日が特別な日じゃない、今まで何度も通ったところじゃないか、いつものようにとドアを開けた。
顔なじみのウェイターの小柄なオヤジが迎えてくれた。顔が特別な日であることを語っていた。二言三言どうでもいい話の後に、オヤジが背伸びをするような格好をして、クロークの女の子を見ながら、「あれが、ジョニーが最後にした女だ」と言った。二十歳かそこらの綺麗な子だったが、ポーランドから流れてきて、まだ日が浅いのだろう、英語が不自由だった。そのせいか、ただの面食いなのか、何かあるのか分からないが、何度話しかけても無視された。
オヤジが続けて「注射器に空気が残ってるのに気がつかないで、。。。」ローラが言っていた話と同じだった。そうは聞いても実感がない。厨房にゆけば、いつもと変わらない陽気なジョニーが元気に皿でも洗っているような気がしてならない。
ディナーショーは始まっていた。ステージも客もいつもの通りで、何も変わらない。何もなかったかのように、いつものエンターテイナーが歌っていた。変わったのは小柄なウェイターの寂しそうな顔だけだった。客席の一番後ろを真っ直ぐに抜けて厨房に入った。何も変わらない、いつもの厨房だった。ただ、ジョニーがいない。ジョニーの顔写真が額縁に入れられて壁にかかっていた。いつも見ていたジョニーよりジョニーらしい、これ以上はないという笑顔のジョニーだった。写真を見上げて写真のジョニーに「ジョニー、お前がバカだってのは知ってたけど、二十二三であの世ってのはないだろう。バカ野郎」って涙が出てきた。「なんなんだよ、ジョニー」って思っていたら、コックとウェイターの二人が手を休めて、写真を見上げているのを見ているのに気がついた。慌てて涙をかくして、オヤジ連中に「ジョニーはどこへ行っちゃったんだ」って言ってしまった。誰も何も言わないでうつむいていた。
いたたまれなくなって、足早に入り口の方に戻ったら、ポーランド人の女の子と目が合った。目は合っても、いつものように何も見えなかったかのように無視された。ジョニーが死んだとき一緒にいたんじゃないかと、口にはだせない。もっと凄惨な経験をしてきているのかもしれない。何も変わらない、いつもの無表情でクロークに立っていた。今まで通りの静かな無表情に助けられた。泣いて騒いだところで何がどうなる訳でもない。どんな事実であっても、事実を事実として丸呑みして今日を生きるしかない。
孤児だったのをアイリッシュバーのオーナーに拾われて、二十二三で消えてしまった命。いつも明るすぎるほど、見ようによっては軽薄にしか見えない明るさだった。それは、時間をかけてゆっくり失ってゆけるような明るさじゃあない。青春のままでぱっと燃え尽きるしかない明るさだった。生まれたときからそう決まっていたような気がする。
歳をとって老いぼれたジョニーなんか見たくもない。歳をとったところで、ろくな人生ではなかっただろうし、若死にした方が幸せだったかもしれない。ジョニーは笑顔のジョニーのままであって欲しい。それが、その通りになってしまった。
ニューヨークにはジョニーのように、つまらない事故で若くして死んでゆくのがいくらでもいる。何でもありのニューヨークで、それはありふれた死でしかない。陳腐な言い方しかできないが、若くして召されたことで、残った人たちには若い、すがすがしい姿しか残らない。これだけがせめてもの救いだった。そうでも思わなきゃやってられない。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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