バブル以後の駐在日本企業人
- 2015年 11月 26日
- 交流の広場
- 狩野隼人
日本のサラリーマンたちと海外で仕事をしたのは1989年が始め。それ以降、学校の給料が安く貧乏に疲れては日本企業で日本的に安い給料で違う貧乏を味わっている。
95年ごろまで日本企業の中には日本のイメージを大切にする国士的存在が結構いたものだ。それ以降は価値の構造がまったくカネカネになってしまった。
バブルの真っ只中の暑いプラントでは地域周辺に30数人の日系私生児が誕生していたのを見守っているうちに彼らも30近くになっている。一人女の子が友人の助けで親探しに出かけ、日本で実の親に罵倒されたままかえって来た。
関西人で日立造船にいる父親はそろそろ60くらいになるだろう。実の子を怒鳴り返すとはいかにも現代の日本人だと思ってしまう。
いまも、読みたい本も読まずにある企業のISO/TS16949という自動車産業の規格を認定する仕事についているが、この規格は遠隔支援の場所、本社や別立て倉庫などの監査を含む。(*ISO/TS16949の1.1.)
ところが日本本社での簡単な監査を嫌う気の弱いのが社長をしていて、気が弱いから規則は守るだろうと思って見ていたら、認証会社を呼び出してインチキの相談をしている。TÜV Reinlandという権威ある認証会社なのだが、どうもそのインチキに乗っているようだ。
認証会社は認証にまつわる交渉やコンサルタントをすることは禁じられている(*IATFのルール)。
この法を踏みにじる態度は、内部的にはルールを強制する態度と裏表になっているので面白く、まるで現在の日本の政権、ABEの動きと重なっている。
ABEを生んだのはバブル以降の日本の価値観と日本社会党を保護にした自己瞞着の傾向だろうと思うのは間違いかもしれない。
しかし、わたくしはそう、思ってしまうのだ。
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。