マルクスからレーニンへ(経済的平等とは)(1)日本人が失ったものを取り戻す。即ち、①広報の問題②政党政治的真連帯の問題
- 2015年 12月 19日
- 交流の広場
- 武田明
前回と前々回のまとめとして
①民主主義広報の問題としての教育上の瓦解
驚き、でも残念ながら納得。アエラ「18歳男子、安倍内閣支持54.6%、原発再稼働支持66.4%、安保法制支持59%」。若い人よ。安倍政権のマイナスは貴方達を襲うー(孫崎享氏)
http://www.asyura2.com/15/senkyo197/msg/890.html
②政党政治的連帯としての拠点の瓦解
一党多弱、民主主義の瓦解問題。
衆参同一選で野党は全滅すると書いた週刊現代の衝撃
http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/155.html
この二点をあげているが、真の乗り越えの理論へと到達されていない。
即座に、真摯に、答案用紙を提出して共通の視点を取り出すのでなくては一歩も先には進めないであろう。
①については、日本には、左派、社会主義的民主主義の視点が、消去されており「リベラル」として、括られている。既に、思想的には、一般的に、「消去」されているのであり、曖昧に、取り扱われている問題点である。
それは、「ここまで言って委員会」(安倍首相国会を抜け出し出演で話題となった番組)、そして、『リベラルの中国認識が日本を滅ぼす』の次の書評にも現れている。
http://www.sankei.com/life/news/151213/lif1512130021-n1.html
時間をかけて、20世紀の歴史問題的に考察するなら近視眼的で、誤った視点である事が、わかるのであるが、時間をかけられるのは、一部の人であり、大部分の労働者、国民、未成年者などなど人間は、そもそも近視眼的な閉塞の中に、それぞれあり、抜け出すことは容易なものではない。
水木しげる、白土三平、池上遼一氏は、かつて、「ガロ」を拠点としながら小学館の方(青年誌)を中心に、未成年を含めた、啓蒙作品を展開しており、
たんぽぽ舎から集会告知(12月23日)がされている雁屋哲氏も小学館の青年誌に、おおよそ政治的ではない「食」を題材にした『美味しんぼ』によって、知れ渡っているが、かつては、学生運動史を取り扱ったであろう『男組』そして、その理想的思想面を抽出した『男大空』があり、政治の暗部を文学以上の視点によって、抉り出したる『野望の王国』(日本政治金権政治そのもの)『獅子たちの荒野』(自衛隊反乱の視点から描く若き怒り)などなどの展開があり、いずれも、手塚治虫的継承性を持つ、文学顔負けの作品があるのであり、この未来的展開と新しい作家からの継承が待たれていると考えている。
雁屋哲氏は、幾分、右派的視点から描き出している梶原一騎作品群、または、映画的には、アメリカ暗黒史の集大成的映画作品『ゴッドファザー』のコッポラに対して、アンチ的左派知性(オリバーストーン的立ち位置?)としての逆転を持って展開している白土三平『カムイ伝」そして、雁屋哲『男組』『野望の王国』であったように思うのであるが、その漫画文化史的研究が、進んでおらず、それ以後作品的には、技術的小手先に終始してしまい「時代を切り開く」展開として少年、未成年を含めたる啓蒙に到達された作品に出合えずにいる事が残念でならず、哲学も歴史も文学も漫画文化史も同じ視点の中にあるのだと言う事を
①の孫崎享氏の若年層、そして、国民全体に広がっている全体主義化する再右傾化戦争法への諦念の閉塞を感じないわけにはいかない。
『リベラルの中国認識が日本を滅ぼす』的な歴史的中国論ではなく、刹那的視点、末端卑小的逆転巨大メディア浸食「ここまで言って委員会」的ヘイト的番組によって、席巻され、左派さえリベラルと称され、存在そのものを「消去」されてしまっており、じり貧となっているいじめ、差別、偏重の場になっている、理想主義、良い意味でのヒューマニズム、平等論たる左派は、あってなきものとされている事の問題を、大学からでも、上記の漫画文化史的展開からでも即座に、是正し、20世紀に歴史を国民に、白日の元としての公平性と真実性として材料そのものが、与えられていないのでは、21世紀を考える前提から否定されているのであり、同じ繰り返し、バブル(恐慌)・戦争法・原子力核問題、同じ、思想人間的破滅的絶望としての平成平安年間たる地獄と荒廃が広がるだけで人の誠意、真を求める生活営為そのものを破壊している偽知性としての日本があるだけである。
即座に、真の歴史を継承できる様にしなくてはならない。
オールジャパン〔平和と共生〕から、12月20日の《自治体議員立憲ネットワーク「地方から参議院選挙を考える」》
http://chikyuza.net/archives/58810
こちらの真摯なる議論の展開に期待するばかりである。
(地方人である僕は、残念ながら参加できないのであるが、是非、インターネット上で話し合われたる成果と展開が全国へと広報されていく事を期待してやまない。)
さて、②の政党政治を全体主義的官僚主義の支配から取り戻すことは、更に、諦めてしまっている「沈黙する羊たち」と変えられている安倍政治下の状況からの真の打開は、絶望への挑戦となっており、それは、まさに、資本主義とは何かと言う事の主題と一致しているのであり、それ故に、マルクスからレーニン、そして、毛沢東主義とは何であるのかの問いとして、歴史的現実と思想科学的区分をしながら展開するしかないのである。
中野@貴州さんから触発されるものも多々あり、
http://chikyuza.net/archives/58751
池上彰解説、佐藤優著作展開の様に、世間的にわかり易くするには、どうしたら良いのか?の問題が、①へと戻る同じ「広報」としての歴史問題なのである。
最大テキスト化を共同主観的連携から展開する人類事業としてのわかり易さを手塚治虫氏水木しげる氏の「個」を越えて、継承する展開こそが、今の日本に、期待するばかりなのである。
12月23日の雁屋哲氏(74歳)にも行けない地方人の僕としては残念であるが、更に、首都圏会議としての連携、展開を日本国巨大メディアより、「消去」され、「亡霊」とされてしまっている共産主義、そして、左派であるのですが、今こそ、起死回生のそれぞれの一期一会の未来史を切り開くのでなくては、人類もそして、日本も後がないぎりぎりのがけっぷちに来ていることの意識を広げていかねばならない。
更に、2016年は、「日本革命」的言論連携を、具体的に、「小学館革命」白土三平、雁屋哲連携的上記の世界観の正当性の広報と共に、「広報」「啓蒙」として、道なき道に踏み出していかねばならない。
その真の勇気と希望を国民の一人一人へ伝えていかねばならない。
「マルクスからレーニンへ」そして、「中国リベラル問題」としての問題意識として、更なる主題化として
取り急ぎ続く。
付録:備考画像集
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