原節子の戦争と平和(4) ― 伊丹万作と家城巳代治 ―
- 2015年 12月 23日
- カルチャー
- 半澤健市原節子戦争
「原節子の戦争と平和」から、十五年戦争に関する映画人の戦争責任の問題にたどり着いた。しつこいようだが、映画が―今ならテレビが―、百万人規模に影響を与えるから考察しておきたいのである。
GHQによる1946年1月の公職追放令の対象は、軍国主義者・超国家主義者であり映画関係者もその範疇にあると見られた。映画界では独自に戦争責任者を追究する声があがり、いくつかのグループが戦争責任者のリスト作りを行った。その過程で自ら戦争に関わった映画人に告発の資格があるのかという問題が浮上した。戦時中に戦意昂揚作品に関係しなかった映画人は殆どいなかったからである。抵抗を続けた批評家岩崎昶(いわさき・あきら)らの「自由映画人協会」の告発者に名を連ねた伊丹万作は、考え直してその署名を取り消したいと書いた。これが伝説となった文章「戦争責任者の問題」であり、1946年8月に創刊された『映画春秋』という雑誌に載った。翌月に伊丹は亡くなっている。次に掲げるのはそのハイライトである(■から■まで)。
■だまされたものが正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘違いしている人は、もう一度よく顔を洗い直さねばならぬ。しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされること自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。(略)
そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に一切をゆだねるようになってしまっていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。
このことは、過去の日本が、外国の力なしに封建制度も鎖国制度も独力で打破することができなかった事実、個人の基本的人権さえもつかみ得なかった事実とまったくその本質を等しくするものである。そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧政を支配者に許した国民の奴隷根性とも密接につながるものである。■
伊丹万作は、あの戦争は少数者が国民を欺し国民は騙されたのだという言説を批判して戦争責任を国民各自の問題としたのである。しかし一億総懺悔論とはちがう。徹底した自己批判であった。
伊丹は、自分は病気だったので戦争映画の仕事をしなかっただけで、同業者の責任を告発する立場にないといい、事情を知らずにした告発署名を取り消すと書いたのである。モダニズムの映画作家が、結核の死の床で血を吐くように書いた一文を、私は戦争責任論の究極のものだと考えている。戦争を自分の問題として引き取っているからである。そして、70年先までを射抜いているからである。
もちろん、伊丹に対する批判もある。石井妙子(いしい・たえこ、1969~)というノンフィクション作家は「原節子とナチス」(『新潮45』、2014年1月号)のなかで、「伊丹万作は『新しき土』の後、病状が悪化し寝付くようになった。そのため戦争映画の製作に係わらなかったとされる。(略)「私は戦争に関する作品を一本も書いていない」と記している。だが、その彼は『新しき土』をどのように認識していたのであろう。彼は生前、この映画について語ることを好まなかったという」と書いている。
私(半澤)は、伊丹の文章はこのような懐疑をも予想して書かれたものと思うが、こういう指摘を公平のために記録しておく。
もう一人の映画人家城巳代治(いえき・みよじ)の発言に触れたい。家城は、1950年に、レッドパージで松竹を離れたのち、独立プロに拠って『雲流るる果てに』、『姉妹』、『ともしび』、『異母兄弟』などをつくり独自の境地を開いた監督である。その家城が、1946年9月号の『映画製作』に「映画芸術家の反省と自己改革について」と題して次のように書いた。一部を掲げる(■から■)。
■戦争とは何であるか、今次の戦争は何であったのか。日本の戦争は正しかったのか、正しくなかったのか、人は言うであろう。今頃何を言っているのか、日本はまちがっていたのだ、われわれは自由をソクバクされていた、民主的ではなかった、封建的であった、戦争は侵略戦争であったのだ。それは全部そうかもしれない、然し、それは結論だ。なぜそういう結論が出るのであるか。もしかすると、それは与えられた結論ではないのか。日本は戦争から派生したまちがいを犯したかもしれないが、その根本目的は、理念は正しかったのではないか。然し、これとても同様になぜ正しかったのかが問題なのだ。要するに、結論が先に与えられて、それをもはや正当なものとして反省を始めてはいないであろうか、と私は言いたいのだ。結論に至る過程こそ反省であろう。私は再び言う。今次の戦争とは何であったのか。正直の所、私は結論への途中にいる。(略)もし日本が勝っていたら、自分は正しかったとする人間ではないのか、勝敗によって結論が左右される人間ではないのか。私は慄然とする。問題はわたしという人間に返って来る。■
伊丹と家城に共通する問題意識は、戦争責任は自分の外でなく自分の内にあるという認識だ。しかし彼らの言説は大きなテーブルで討議されることはなかった。映画界の現実的な風土は結局は彼らを黙殺したのである。しかし私は、彼らの問題意識は、心ある映画作家の中に生き延びて今日に至っていると思っている。
映画界の公職追放はどうなったのか。結果をいうと、大手映画会社の役員、撮影所長、現場責任者などが短期間だけ追放された。固有名詞を挙げれば、城戸四郎、森岩雄、永田雅一、川喜多長政らであった。占領政策までを追いかけるのは本稿の視点ではない。(2015/12/20)
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