乱射事件対応で明暗分けたオバマ氏とペイリン女史 -12年大統領選でペイリン候補の目は消えた?-
- 2011年 1月 21日
- 評論・紹介・意見
- 「血の中傷」ペイリン伊藤力司銃乱射事件
サラ・ペイリンと言っても日本の一般国民には、ほとんど馴染みのない名前だろう。2008年米大統領選挙で民主党バラク・オバマ氏に敗れた共和党ジョン・マケイン候補が選んだ副大統領候補・前アラスカ州知事である。あれから2年余り、敗れた側の副大統領候補のことなど忘れられるのが普通だが、このペイリン氏は米国右傾化の象徴であるティーパーティー運動の「姐御」格として注目を浴び続けている。場合によっては2012年大統領選で共和党の大統領候補になるかもしれないと言われ、本人もやる気充分だった。
ところが1月8日西部アリゾナ州トゥーソンで起きた乱射事件に対して、全米の注目が集まったペイリン氏が最低の対応しか示せなかったことで、ペイリン株は一挙に暴落してしまった。早くも12年大統領候補の目はなくなったとの声が聞かれているほどだ。一方のオバマ大統領が行った犠牲者追悼式演説は政敵マケイン氏が絶賛したほどの評判で、昨年夏ごろから低空飛行を続けてきたオバマ支持率が上昇に転じている。
乱射事件が珍しくない米国だが、今度のアリゾナ州の事件は地元選出のガブリエル・ギフォーズ下院議員(民主党)の青空政治集会が狙われたことで、特に注目を集めた。頭に貫通銃創を負ったギフォーズ議員が一命を取りとめ、奇跡の回復を遂げつつあることも関心を集めている。その中でペイリン氏の対応が特に注目されたのは、昨年秋の中間選挙で同氏がウェブサイトで全米の焦点選挙区に銃の照準マークを描き、「弾を込めろ」と扇動するというえげつない選挙戦を展開し、ギフォーズ議員も照準マークで狙われていたからである。
乱射事件を起こしたのは精神病歴のある近所のジャレッド・ロフナー容疑者(22)だが、政治的な問題には興味のない男で、新聞やTVニュースにもあまり接していなかったようだと報じられている。彼がペイリン氏の照準マークを見たことがあるかどうかもはっきりしておらず、ペイリン氏の選挙活動と乱射事件の動機に関係があるかどうかも分かってはいない。しかしアメリカでは、ペイリン氏やティーパーティーがオバマ政権の医療保険改革に猛反対し、医療保険改革法案を通すために熱心に活動したギフォーズ議員らが、ペイリン氏の照準マークに狙われたことは周知の事実だった。だから同議員が撃たれたとたん、反射的にペイリン氏の反応が気になったのである。
ペイリン対ギフォーズの対決関係が全米のメディアをにぎわしている中で沈黙を守っていたペイリン氏は、事件発生4日後の12日にようやくビデオ・メッセージを発表した。その内容は、事件以来メディアが自分(ペイリン)の言動が犯行を唆したかのような中傷を繰り返しているのは「事件を使って自分たちを陥れようとしいている陰謀だ」という怒りの表明だった。確かに事件後の4日間、メディアも学者も政治家(民主党、共和党を問わず)も、ペイリン氏の問題サイトを批判し続けた。
それを見ていたペイリン氏が、いわば前後の見境もつかぬままに反論を展開した感じだった。そのさわりの部分で彼女はこう述べた。「事件が報じられて数時間も経たないうちにジャーナリストや物知りぶる人々は、あってはならない『血の中傷(a blood libel)』を続けました。そして憎悪や暴力を鎮めると称して実は扇動したのです。言語道断なことです。」この「血の中傷」という言葉を使ったことが、彼女の政治家としての資質に疑問を感じさせる結果を招いた。
「血の中傷」とは普通は「強い侮辱とか非難」の意味で使われる言葉だが、「本来は無実なのに言いがかりをつけられて中傷される」という意味を含む熟語だという。その昔の英国で強いユダヤ人差別の中でつくられた言葉で、本来は「ユダヤ人の最も大切な祭日である『過ぎ越しの日』のパンにイエス・キリストの血を焼きこんだパンを食べるユダヤ人」を意味したのだそうだ。つまりキリスト教徒がユダヤ人を最大限に侮辱する言葉が語源だというわけだ。<筆者注 「血の中傷」については、在米作家冷泉彰彦氏のサイト「from 911/USAレポート」2011-01-15配信 を参考にさせてもらった。>
このビデオで、ペイリン氏は自分に「血の中傷」が浴びせられたことに怒りをぶちまけたわけだが、自分はユダヤ人のように差別され、侮辱されたと言いたかったのだろうか。とすればユダヤ教徒とキリスト教徒との間に「見えない壁」があると言われる現代アメリカ社会のタブーに触れてしまったことになる。実はクリフォード議員はユダヤ教徒なのである。おそらくペイリン氏は「血の中傷」の語源も、ユダヤ教徒とキリスト教徒間の「見えない壁」も意識せず喋ったのだろうが、一見単純素朴なアメリカ社会にも人種や宗教をめぐる微妙な裂け目があることを無視しては大統領職は務まらないはずだ。
その点で人種問題や宗教の問題に敏感な育ち方をしてきたオバマ大統領が12日にトゥーソンで行った追式でのスピーチは一味も二味も違っていた。事件の犠牲になった6人の中に、奇しくも2001年9月11日の同時多発テロ事件当日に生まれた少女、クリスティーナ・グリーンさん(9歳)がいた。大統領は「アメリカ民主主義に、市民としての義務に気付き始めた少女が」自発的にギフォード議員の集会に参加して凶弾に倒れたことを紹介、「私はこの国の民主主義がクリスティーナが思ったと同じくらい良いものであってほしい」と訴えた。
さらに大統領は「私たちを分断する力は、私たちを結びつける力ほど強くない」として、事件の責任を糾弾し合うのでなく、国民が礼節をもって対話を重ねて、クリスティーナの期待に応えられるような国にしなければならない、と呼びかけて万雷の拍手を浴びた。大統領は事件後メディアで連日のように繰り広げられたペイリン氏やティーパーティー運動過激な言動を批判する論調には目もくれず、ひたすら対話と統合を呼びかけたのである。
追悼式が沈痛で重々しいものでなく拍手と歓声に包まれたものであったことについて、生中継したCNNテレビで現地レポーターは「トゥーソンの人々は事件以来悲しみと恐怖で涙に暮れていた。気持ちを明るくしてくれる言葉をみんなが必要としていて、大統領はそれに応えてくれた」と説明した。このスピーチに対して普段はオバマ批判を売りにしているFOXニュースのラジオ番組のホスト、グレン・ベック氏まで礼賛した。アリゾナ州選出の上院議員で前回大統領選挙の相手だったマケイン氏もワシントン・ポスト紙への寄稿文で「素晴らしい演説だった」と絶賛した。
FOXニュースは、オーストラリア出身のメディア王ルパート・マードック氏が立ち上げた米国法人ニューズ・コーポレーションのラジオ・テレビ部門だ。既成のテレビ3大ネットワークやCNNがリベラル寄りだと批判してきた保守派のマードック氏が満を持して設立。FOXニュースは、ブッシュ政権のアフガン戦争、イラク戦争を支持・激励してアメリカ国民の好戦的ムードを掻き立て、戦争を批判するリベラル派をののしったことで名を挙げた。
アフガン、イラク戦争が当初米市民に広く受け入れられたのは、ブッシュ政権を牛耳っていたネオコンとFOXの「タンデム(2人乗り自転車)作戦」と言われたほどだ。
オバマ政権登場後は、オバマ支持率の高さに遮られてFOXニュースも目立たなかったが、昨年年初からオバマ氏を嫌う白人保守層の間で急速に勢力を拡大した「草の根保守」のティーパーティー運動とともに、FOXも勢いを取り返した。グレン・ベック氏はペイリン氏と組んでティーパーティー支持者を動員、昨年夏には首都ワシントンで20万人の保守派大集会を開いて「社会主義的な」オバマ政権を糾弾した。ペック氏はじめティーパーティーと呼応した保守派評論家のオバマ一斉攻撃が、昨年11月の中間選挙での下院共和党圧勝の一助になったことは間違いない。
さて下院の多数を握った共和党は、1月新議会でジョン・ベイナー院内総務を下院議長に選出、オバマ医療保険改革法を廃案にするための新法案を上程した。休暇明けの1月10日から同法案を審議する予定だったが週末の8日に突発した乱射事件のインパクトは共和党に不利に働いた。ペイリン氏ら保守過激派の運動が乱射事件を招いたのではというムードが一挙に広がったからである。
ベイナー下院議長は直ちに医療保険廃案法案の審議を1週間ストップした。それだけ乱射事件で共和党としても恭順の意を表す必要があると、ベイナー氏らは判断したのだろう。1週間の期限が切れて同法案の審議は17日から始まった。仮に医療保険廃案が下院で通っても上院では民主党が多数であり、さらに大統領拒否権もあるのだから医療保険改革が廃案になることはあり得ない。しかし共和党としては、中間選挙の勝利をオバマ政権に誇示し、嫌がらせを続けるつもりだろう。
さてABCテレビが17日に発表した世論調査では、乱射事件後のオバマ大統領の対応を是とする者78%、ペイリン氏の対応を是とする者30%という結果が出た。また各種世論調査を集計する政治専門サイトRCP(リアル・クリア・ポリティクス)が13日に発表したオバマ支持率は49%で昨年7月以来約半年ぶりに不支持率(46%)を上回った。さらに保守派からも評価された追悼演説を受けて実施された世論調査(ABCテレビ19日発表)では、これまで40%台半ばを上下していたオバマ支持率が一挙に53%に跳ね上がった。
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