「イスラム国」(IS)はなぜ若いムスリムを惹きつけるか(上) - 中世のバグダッドに栄えたイスラム文化の栄光 -
- 2016年 1月 15日
- 時代をみる
- イスラム伊藤力司
昨年11月のパリ同時多発テロ事件は、カリフ制を宣言した「イスラム国」(IS)の不気味さを世界に強く印象づけた。事件を起こした犯人たちは、逃亡中の1人を除いて全員が仏官憲に射殺された。普通の刑事事件ならこれで1件落着である。しかしIS側から見れば彼らは「殉教」したのであり、彼らに続く殉教予備軍は無数に存在する。イスラム教とは無縁で過ごしてきた日本人には理解不能な事態である。
たまたま広げた1月12日付け東京新聞夕刊には「イラクで連続テロ-51人死亡-IS名乗る犯行声明」の見出しが目に入る。その記事の下には「ユダヤ人教師を襲撃-仏の15歳高校生-ISの名の下に」という見出しがある。翌13日付け朝刊は「イスタンブール自爆テロ-ごう(轟)音、黒煙 名所緊迫-トルコ政府 敵だらけ」とある。
読者の皆さんは、これらの見出しからIS関連のテロないしテロ未遂事件が連日のように起きていることがお分かりだろう。幸いなことに、日本国内ではこれまでIS関連のテロは1件も起きていないが、後藤健二さんら2人の日本人がISの人質になっていた昨年1月、中東を訪問した安倍首相が「日本はIS封じ込めの有志国連合に加わる」と表明した直後、ISが「安倍晋三の愚かさにより、すべての日本国民が戦闘員の標的になった」と脅したことを忘れるわけにはいかない。
ISはなぜ全世界のイスラム教徒(ムスリム)にテロを呼びかけるのだろうか。1990年ごろ、つまりソ連が解体する以前、世界のムスリム人口は7、8億人と言われていた。それが21世紀初頭には12~3億人に増えた。それはソ連解体後、中央アジアやカフカス(コーカサス)地方のイスラム圏の住民が晴れてムスリムであることを表明できるようになったからだ
それから4半世紀後の現在、全世界のムスリム人口は16~7億人と言われる。イスラム諸国は少子高齢化に見舞われておらず、20世紀前半の日本のように1戸当たりの子供の数が5~6人が当たり前だからである。欧州諸国や日本など少子高齢化が進む先進国にとって、人口問題だけを見てもイスラム圏は“脅威”である。仮にIS志願者がムスリム人口の0.01%と仮定すれば、テロリスト予備軍は16万人を数えることになる。
現在は世界最先進地帯と自負するヨーロッパだが、ローマ帝国が瓦解した5世紀からルネッサンスまでの1000年間は、「中世の暗黒時代」に沈んでいた。この間世界の文化の中心地だったのがイスラム世界と中国の都であった。「アラビアンナイト」で知られるアッバース朝・イスラム帝国が花開いたバグダッドでは、古代ギリシャの文化を片端からアラビア語に翻訳して後世に伝える役割を果たした。
今日、世界文明の知の体系と思われている哲学、自然科学、医学の源流は古代ギリシャにある。しかしそれはギリシャから直接ヨーロッパに伝わったのではなく、イスラム経由だった。すなわち古代ギリシャ語で書かれた数学、医学、化学などの自然科学や哲学の膨大な文献は8世紀から9世紀にかけて、バグダッドでアラビア語に翻訳されたのだ。9世紀初頭、時のカリフが「知恵の館」という図書館兼研究所をバグダッドに設立し、大掛かりな翻訳作業を行った。それをもとに医学や工学のような実学も発展を遂げた。
そうした蓄積は12世紀になってヨーロッパに伝えられた。アリストテレス、ユークリッド、ヒポクラテス、プトレマイオスたちのような古代ギリシャの壮大な知の体系はアラビア語経由で伝えられたのだ。さらに9世紀に中世アラビア世界で独自の世界を切り開いた数学者アル・フワーリズム(筆算の手順を示すアルゴリズムの語源)や10世紀末から11世紀初頭に活躍した医学者・哲学者のイブン・シーナー(欧州ではアビセンナの名で知られる)らの偉大な業績も、イスラム世界からヨーロッパにもたらされた。
古代ギリシャの文明が12世紀からヨーロッパに伝えられ、これがルネッサンスを導く。欧州は、ルネッサンスによって中世の「暗黒時代」を克服して啓蒙主義、合理主義の新時代に入る。その結果、ガリレオ・ガリレイ、スピノザ、コペルニクス、パスカル、ニュートン等々、ヨーロッパ新時代を生きた科学者たちは科学技術革命を成功させた。それこそが産業革命の原動力となった。
一方のイスラム世界は20世紀まで、中東一帯からバルカン半島、さらに北アフリカまで広範な領域を支配するオスマン帝国の支配下で安眠をむさぼっていた。ヨーロッパのキリスト教世界はこの間、英国、フランス、オランダを先頭にアジア、中東・アフリカに進出し、植民地を広げていった。新興ドイツが植民地獲得競争に乗り出したことから、欧州列強間のバランスが崩れ、第1次世界大戦(1914~1918)の戦火が欧州から世界に拡大した。
この大戦をドイツと組んで戦ったオスマン帝国は敗戦の結果、広大なアラブ領土を失った。その領土を英仏が分割、新たに定められた国境によってパレスチナ、ヨルダン、イラクは英国が、シリア、レバノンはフランスが支配することになった。その後第2次世界大戦(1939~1945)の結果、世界中の植民地は1960年までに全て解放される。アラブ各国も独立するが、1948年パレスチナの地にユダヤ人国家イスラエルが建国されて以来、中東は再び戦乱のやまない地となった。
20世紀後半の半世紀、中東は相次ぐ戦争を体験してきた。4次にわたってイスラエルとアラブ陣営が戦いその都度アラブ側が敗れた中東戦争。さらに絶えることのないパレスチナ紛争が続く中でイラン・イラク戦争、湾岸戦争。さらに21世紀早々からイラク戦争が戦われ、その余波からシリア内戦とIS絡みの戦争が続いている。
こうした戦乱の地に生まれ育ったイスラムの若者たちが、イスラム文化の過去の栄光にすがろうとする心情に浸るのは不思議ではない。ISがアラブ圏だけでなく世界に拡散しているムスリムの若者たちを引き付けるのは、現存の国境を無視するカリフ制イスラム帝国再興の夢であろう。
初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔eye3226:160115〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。