欧州評議会・法人権委員会の「コソヴォ臓器摘出密輸出」調査報告書の背景
- 2011年 1月 22日
- 評論・紹介・意見
- 先進国の新鮮臓器需要と利得優先企業岩田昌征
旧ユーゴスアヴィア戦争犯罪ハーグ法廷のスイス人主席検事カルラ・デル・ポンテ(1999-2007年)は、退任後の2008年末に回想録『狩、私と戦争犯罪者』The Hunt.Me and the War Criminals を出版し、コソヴォ解放軍幹部がセルビア人捕虜等の生体臓器摘出密輸出に関与している疑惑とコソヴォ統治の国際機関がデル・ポンテ等の調査に協力的でなかった事実を暴露した。デル・ポンテの著書が2008年2月のコソヴォ共和国建国と欧米列強による国際承認という既成事実の後に出版されたことに着目すべきであろう。既成事実以前に出版されていれば、既成事実自体がなかったであろう。臓器摘出密輸出疑惑の主犯格が新国家の首相であるとは!疑惑解明と潔白証明が先決し、建国と国際承認は遅れたであろう。アメリカの国際政治がヨーロッパの良心より強力であったわけである。しかしながら、デル・ポンテの本の出版は、欧州評議会による調査チームの設立をうながし、スイス人検察官ディック・マーティによる報告書Inhuman treatment of people and illicit trafficking in human organs in Kosovo「コソヴォにおける非人道的行為と人間臓器密貿易」(2010年12月12日)の公表に結果する。当然、被害者であるセルビア・メディアは、ナチスのメンゲレ博士的犯罪だと弾劾する。また加害者とされた独立コソヴォ共和国首相ハシム・タチは、ナチスのゲッペルス的宣伝だと反論する。
ここでは、カルラ・デル・ポンテの回想録出版直後に、ベオグラードの老教授スミリャ・アブラモフが著書『ユーゴスラヴィアにおけるジェノサイド、1941-45、1991…』で行なったカルラ・デル・ポンテ批判を週刊誌ペチャト(2010年12月24日)に依拠して、要約紹介しよう。
回想録の意義は、西側が人権の為に戦ったという神話を決定的に崩壊させたところにある。しかし謎が残る。「何故、カルラ・デル・ポンテは、悲劇的な事件が生起してから8年もたって、この事実を暴露したのか」。臓器摘出手術が行われたアルバニア国内の黄色い家の話は、コソヴォのボンドスティール米軍基地で行われた事実から注意をそらさせる為の目くらましである。人間臓器摘出は、複雑な手術であって、ボンドスティール内の病院のように最新器機装備の病院でのみ実行できる。「黄色い家」のような即席手術室で出来るようなものではない。コソヴォ解放軍は、アメリカの私的軍事会社が利潤追求する上での補助者にすぎない。臓器摘出は、コソヴォに限らず、クロアチア戦争中のゴスピチやヴコヴァル、ボスニア戦争中のボサンスキ・ブロドにおいて行なわれていた。例えば、後者のケースでは、スレブレニツァ、ジェパ、スケランから逃れて西ヨーロッパを目指した20人のロマ人を乗せたバスがボサンスキ・ブロドでクロアチア人軍とムスリム人軍によって停止させられ、全員が殺された。彼等の臓器は、ブロドのサッカー場からクロアチアへ白いヘリコプターで運ばれた。ブロドの行方不明者調査委員長グラオヴァツは、元クロアチア人将校の証言として、臓器摘出を行なった者がスラヴォンスキ・ブロド(ボサンスキ・ブロドのサワ河をはさんで対岸クロアチアの町)の2人の外科医とある国際機関のメンバー達であったと伝えている。ハーグ法廷は、かかる酷事件について報告を受けていたにもかかわらず、黙殺して、コソヴォ解放軍の犯罪行為だけに照明を与えている。
私、岩田は、戦争中にこの種の話を聞いたことがある。あるスロヴェニア人記者は、クロアチア人軍とムスリム人軍の激戦地モスタルにおける体験として、「モスタルの市場では何でも売っている。目玉をガラスビンに入れて、私に買わないか」と持ち掛けて来た者がいると書いていた。この「目玉」とは、他の人間臓器の隠語である。クロアチアから分離したクライナ・セルビア人共和国の首都クニンが陥落して10日後、1995年8月16日にクニンを訪れた時、たまたま一緒に戦跡を歩いた、スラヴォニアから避難してザグレブに住んでいたある経済短大の女性教授から臓器を切り取られた「戦死」体の話を聞かされた。彼女の場合、加害者はセルビア人、被害者はクロアチア人であった。市場法則は、民族を選ばない。私的極大利潤を求めるアメリカの軍事サーヴィス会社が活動している所では、民族に無差別にかかる営業が存在するであろう。背後に先進資本主義の市民社会における巨大な新鮮臓器需要圧力があるからだ。アメリカの私営軍事会社と契約していたのは、クロアチア政府であり、BiH政府であった。そうであったが故に、スミリャ・アヴラモフの晝くように、補助的加害者がクロアチア人、またクロアチア人軍内のコソヴォ・アルバニア人であった可能性、そして主被害者がセルビア人やロマ人であった可能性が、すなわち女性教授の語ったケースの可能性より高いだろうと推理できる。しかしながら、この可能性の高低は、市場法則の都合で何時でも逆転可能であって、両民族の人間性の高低を意味しはしない。注意すべきは、クロアチア人もセルビア人も宗派こそ異なれ、同じキリスト教世界に属することである。生体臓器摘出密輸出すべてに目をつぶり通すことは、カルラ・デル・ポンテなるヨーロッパ文明人の良心が許さない。そうして、目を開けるとならば、異教のイスラム世界がヨーロッパに打ち込んだくさびとも言えるコソヴォ・アルバニア人のコソヴォ解放軍の犯罪に向けてである。それが文明の自然(本性)というものだ。アメリカ帝国の国際政治のように、バルカンのイスラム系少数派を援助することで、中東における反アラブ・反イスラム政策に起因する反米感情を中和しようとする動機は、カルラ・デル・ポンテのようなヨーロッパ知識人にはない。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0305:110122〕
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