ムフタール・ベル・ムフタール - どうして捕まらない北アフリカのテロリスト首領 -
- 2016年 1月 21日
- 評論・紹介・意見
- 平田伊都子
北アフリカで暴れまくっているテロリストの首領ムフタール・ベル・ムフタールに対して、神奈川県警、アルジェリア政府、マリ政府、ブルキナファソ政府、アメリカ政府、フランス政府、そしてカナダ政府などなどが逮捕状を出しました。 大包囲網が北アフリカに展開しています。 それなのに、どうしてムフタール・ベル・ムフタールは捕まらないのでしょう? 「奴を殺した!」と、何度も追跡側の勝利宣言が出されました。 が、2016年1月のブルキナファソ・テロでもAQIM(イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ)を通して犯行声明を出しました。 ということは、国際社会がムフタールを殺しあぐねているんですね、、
(1) ムフタール・ベル・ムフタール:
世界のお尋ね者ムフタール・ベル・ムフタールは、1972年6月1日にアルジェリアのオアシス・ガルダイアで生れた。ガルダイヤはサハラ砂漠の北にあるオアシスで、丘の上のモスクを中心に、ムザブ族が農業と商業で生計を立てている。ムフタールは1991年からムジャーヒディーン(義勇兵)としてアフガニスタン内戦に参加した後、1992年にはアルジェリアに帰国してGIA(武装イスラム集団)に入る。1990年代後半、GIA(武装イスラム集団)が解散すると、GSPC(説教と戦闘の為のサラフィー主義者集団)の立ち上げに参加する。その後この組織はアルカイダとの関係を深め、AQIM(イスラム・マグリブ諸国のアルカイダ機構へと移行していく。そして、モフタールは、AQIMの指導者の一人として頭角を現していった。
ムフタール・ベル・ムフタールは、アフガニスタンで片眼を失いアルジェリアやマリ、ニジェールなどを中心に、身代金目的の外国人誘拐(旅行者に限らず、各国の支援団体の関係者も含む)やモロッコから欧州へ流入するハシッシなどの麻薬密輸や、武器の取引などで荒稼ぎをしていく。ムフタールのハシッシ密輸ルートは、世界一のハシッシ産地であるモロッコ山岳地帯から出荷され、モロッコ占領地・西サハラから地雷防御壁を越えて西サハラ砂漠からモーリタニア、マリに入り、砂漠を越え海を越えエジプトのリゾート地シャルム・エル・シェイクからイスラエルに集約されていくそうだ。
AFP通信によると、その後のムフタールは組織内の対立からAQIMを離脱し、MUJAO(Movement for Oneness and Jihad、西アフリカ統一聖戦運動)を組織し、マリ北部やモーリタニアに拠点を置いているそうだ。
(2) テロを重ねるムフタール:
2011年11月23日の真夜中、アルジェリア西北部の砂漠にある西サハラ難民キャンプに2台の四輪駆動者が銃を乱射しながら突入した。そして、スペイン人2名とイタリア人一名のNGO支援活動家を隣国マリのMUJAOのアジトに連れ去った。
2012年12月には「イスラム勢力のマリ北部支配を妨害するな」と欧米に警告を発し、2013年1月16日、アルジェリアのイナメナス郊外にある天然ガス採掘プラントを襲撃。日本人10名を含む8か国の37人が死亡した。
2013年3月2日、マリ・イフォガス山地での掃討作戦でチャド軍により殺害されたとアル・アラビーヤが発表した。しかし、イスラム系ウェブサイトには「生存しており、戦闘を指揮している。近く生存を確認する声明を出す」とのメッセージが出されている。
2013年5月23日にはニジェールのウラン鉱山と政府軍基地へのテロ事件で犯行声明を出した。
2015年6月14日、米国防総省は、13日にリビア東部のアジュダービヤでアルカイダに属するテロリストに対して空爆を行ったと発表した。同日、東部ベイダのリビア政府(シンニー首相)は、米軍がリビア政府との調整によってリビア東部のテロ組織を空爆し、テロリストのムフタール・ベル・ムフタールが殺害したとの声明を発表した。ムフタールは、これで何回、三途の川を渡ったことになるのだろうか?
(3) ブルキナファソ・テロ:
三途の川を渡らなかったムフタールは、またしても黄泉がえった。
2015年11月20日午前7時頃、マリの首都バマコにある高級ホテル「ラディソン・ブル・ホテル」がMUJAOによって襲撃された。BBC 英国TVによると、宿泊客140人と従業員30人が人質にとられ、同日午後からマリ軍と米特殊部隊員が救出作戦を展開。が、27人が遺体で発見されたという。
2016年1月15日の夜、ブルキナファソの首都ワガドゥグにある高級ホテルと付近の料理店をMUJAOが襲撃した。ブルキナファソの治安部隊は16日未明 、MUJAOが人質をとって立てこもっていたホテルに突入し、約1時間にわたる銃撃戦の末30人が死亡し54人の負傷者を出した。
Fondsk.ruというロシアのネット通信は、一連のテロ事件を「元植民地宗主国フランスの<アフリカ再植民地化作戦>が始まったのだ。フランスの狙いは、元フランス植民地諸国にある金、ダイヤモンド、ウランなどの鉱物資源だ。そのフランスのアフリカ侵攻を後押しするアメリカの狙いは、アフリカの天然資源、アフリカの市場、中国のアフリカ進出阻止 この三つだ」と、分析している。
(4) 次はどこに出没?:
2012年7月18日、西サハラ難民キャンプで誘拐されたヨーロッパの活動家3人は、<逮捕されていた犯人2人の解放+身代金>の条件を呑んでマリのガオで解放され、ブルキナファソから帰国の途についた。その頃すでに解放されていた誘拐犯2人は祖国マリで、祝杯を上げながら3人解放のニュースを聞いていたそうだ。なぜか、この時もブルキナ
ファソのコンパオレ大統領(当時)が登場している。コンパオレ元大統領(1951生まれ
)は1987年に先輩のサンカラ大統領(当時)を殺害し大統領職を奪った。就任直後は非同盟諸国として革命路線を取り、カダフィの援助を受けてカダフィの寵児となった。カダフィは1999年のアフリカ連合母体となったリビア・シルト会議を、「ワガドゥグ会議」と命名した。その後、コンパオレ元大統領は欧米に寝返り、特に元宗主国フランスの寵児になり下がった。左派の政敵を次々に粛清していき、フランスの言うがままに近隣諸国に紛争を仕掛け、時には火消し役も務めた。一方、コンパオレの支配下では汚職がはびこり、国民の窮乏生活はいっこうに改善されなかった。それでもコンパオレは、憲法を
改訂して大統領職にしがみつこうとしたが、クーデターで失墜した。2014年11月5日には33台の車を連ねて家族や側近たちと隣国コートジボアールに逃亡せざるをえなくなった。
ブルキナファソ・テロの後、ムフタールは、どこを襲うつもりなんでしょう? ムフタールに直接聞くのが一番です。 が、彼が存命しているのか?実在しているのかも不明です。
あるいは、どこかの傀儡かも?? だとしたら、元西アフリカ宗主国のフランスや、そのフランスの手先に成り下がったままの元国家指導者や現国家指導者の動向を追跡していくほうが予測できるかも知れません,,
文:平田伊都子 ジャーナリスト 写真構成:川名生十 カメラマン
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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