《現代日本における医療と情報戦争》情報弱者と認知症について 介護離職ゼロ切り崩し 後編「国民よ、卑劣な安倍政治の尖兵小泉進次郎に騙されるな。」
- 2016年 1月 27日
- 交流の広場
- 武田明
苦しい戦いが続いています。
昨日も山本太郎氏のツイキャスがあり、大企業の為の政治、「経団連」について、そして、原発事故後の情報統制的経済、戦争法制、全体主義、安倍政治の流れへの対抗としての選挙その呼びかけがされていた。
http://twitcasting.tv/yamamototaro0/show/0
(まだ、録画は公開されていない)
山本太郎氏の平明さについて、それを「ちきゅう座」的にも理論的に裏付けていく事は可能であるのだろうかと考えたりもしていた。
問題は、会社主義的人間であるのだろうか?
「プロテスタンティズムと資本主義の精神」以来、盲目的であり、社会体制に従順な国民とその教育体制的弊害は、目新しい指摘であるようにも思えず、暗礁に乗り上げている閉塞を感じないわけにはいかない。
時事的には、大阪W選挙に引き続いて宜野湾選挙の広報不足による知性の敗北である。
http://revolutio.exblog.jp/22818957/
市民連合についても一回の集会だけではなく、ちきゅう座やオールジャパン〔平和と共生〕的なインターネット拠点として複合ブログの様に、展開していって欲しいものだ。
市民連合ツイッター
https://twitter.com/shiminrengo?lang=ja
山口二郎 @260yamaguchi 1月24日
宜野湾の選挙、残念至極。これにひるんではだめ。翁長知事があそこまで応援した候補でも勝てなかった。沖縄でこうなのだから、ましてその他の地域においておや。要するにこのままの状況で参院選に突入したら、野党は壊滅するという危険信号。野党は危機感を持って、提携に向けてペースを上げなければ。
柄谷行人―山口二郎―中野晃一と結び付けていったのは良かったように思えた。
http://chikyuza.net/archives/59821
介護離職ゼロ切り崩し 後編
まだまだまとまってはいないのだが、道なき道を切り開きながらやっていかねばならない。
認知症と言うのは、まだまだ謎の病気ではないだろうか?
高齢化社会となり降って沸いたように報道されているが、まだまだまとまった見解に到達されていない様に思われる。
だが、これは、日本人にとっても身近な問題でもあり、避けて通る事が出来ないものであると感じている。
僕の考えでは、これは、「貧困」の問題と深い結びつきがある様に感じている。
フーコー「狂気の歴史」「監獄の誕生」
古いヨーロッパの歴史の貧しさと不寛容(イントレランス)としての最終段階の悲劇の在り方が、「狂気」=「貧困」として終末化される悲劇の様に感じられてならない。
これは、内科医の範囲を越えだしており、心理学的に、総合医療として、哲学的に考察されるべきものであるのだから、
革命的にキューバ医療にも結び付けられていくべきものと僕は、結論を先取りしていく。
医学は、本来、唯物論的人間そのものへの知であり、独占されていてはならない普遍性として開放されているべきであり、
「生命」そのものであるから手塚治虫から展開され、白土三平的歴史哲学にも結び付いて考察もされていたものだ。
既に、対象は、身近に与えられているものであり、今や、社会問題化されている具体的且つ結果が求められているものである。
出来るだけ冷静に、客観的に、フーコー的延長を持って、医療経済学的収容所の在り方、臨床の在り方の批判を明確にしていきたいが、この問題こそが、道なき道の革命としての領域であり、一筋縄でいくものではなく、共同としての展開を求められているものであり、人生、そして、人間存在の哲学的謎の最終形として見出されているのではないだろうか。
サルトル自身が、「恍惚の人」として、最晩年あった。
ニーチェも狂人として、10年を過ごした。
自分が、自分でなくなる「狂気の歴史」の一部として溶け込んでいく、それを、自然の摂理として受け入れていくべきであるのか?
不幸と貧困としての退行として理解すべきかの問いがある様に思うのだ。
物質的貧しさ、今井正や山田洋次監督の作品の中で描かれる「幸せなる貧しさ」「貧しさの中の幸福」であったようにも思えるのだが、容赦ない貧困と悲劇こそが、大量認知症社会であり、介護収容所と化した現代である事の分析を必要としている。
今回は、宜野湾選挙、市民連合について、時事史観的に複合的であったために散漫となり過ぎたが、全てが、高度に、政治的に結びついているのではないかと言う言及を次回から更に、追及していきたい。
《経済学から医学解放革命へ》承前へ続く。
田中一郎氏の述べているように、国民は、小泉進次郎に騙されてはいけない。
小泉純一郎、進次郎親子と安倍晋三は戦犯政治としてつながっているのだ。
おおさか維新、橋下、ここまで言って委員会繋がりである事を忘れてはならない。
具体的に、認知症収容所改革から、選挙、政治改革としての政策論までを明確にして行き、「何をどの様に変えるべきか」までを議題に上げていかねばならないだろう。
時間切れ、続く。
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