強制否認の持論を政略的に開閉する安倍首相(下)~「従軍慰安婦」問題をめぐる日韓政治「決着」を考える(7)~
- 2016年 1月 28日
- 時代をみる
- 醍醐聡
2016年1月26日
安倍首相の強制否認論は理性崩壊の証し
安倍首相が強制の広狭論を語ったり、歴史教科書に介入までして「慰安婦」問題を封印しようとする根底には何があるのかを考えていくと、自国の加害の歴史を引きずり、被害国に謝罪を続けるのを「国恥」とみなす自虐史観に行きつく。
例えば、「朝日新聞」が一昨年8月5,6日の紙面で、「韓国済州島で若い朝鮮人を狩り出した」などと述べた吉田清治氏の発言を従軍慰安婦の強制連行を裏付ける証拠として用いた同紙の1982年以降の計16回の記事すべてを誤りとして取り消したことに関して質問を受けた安倍首相は、「慰安婦」問題に関する持論を全開させ、「現在でも、紛争下において女性の人権が侵害される、これに対して、日本は積極的に、そうした状況において女性の人権が侵害されることのないように貢献していく」と断った上で、次のように答弁している。
「慰安婦問題については、この誤報によって多くの人々が傷つき、悲しみ、苦しみ、そして怒りを覚えたのは事実でありますし、ただいま委員が指摘をされたように、日本のイメージは大きく傷ついたわけであります。日本が国ぐるみで性奴隷にした、いわれなき中傷が今世界で行われているのも事実であります。この誤報によってそういう状況がつくり出された、生み出されたのも事実である、このように言えますし、かつては、こうした報道に疑義を差し挟むことで大変なバッシングを受けました。」
「しかし、今回、これが誤報であったということが明らかになったわけでございます。政府としては、客観的な事実に基づく正しい歴史認識が形成され、日本の取り組みに対して国際社会から正当な評価を受けることを求めていく考えでありますし、そのため、これまで以上に戦略的な対外発信を強化していかなければならないと思っております。」
(2014年10月3日、衆議院予算委員会)
さらに、同じ日に開かれた衆議院の予算委員会では、次のように答弁し、自ら教科書検定に介入して「成果」を挙げたことと誇らしげに語っている。
「基本的には、事実は強いわけでありまして、吉田清治証言が、これはでたらめであるということがかなり早い段階からわかっていたわけであります。だからこそ、きょうは中川昭一さんの命日でもありますが、中川昭一さんを中心に、それが教科書に、事実であるかのごとくの前提に強制連行を書かれるのはおかしいという運動を展開してきました。
しかし、なかなかそれは成果を生むことができなかったのでありますが、随分時間はかかったのでありますが、しかし、だんだん強制連行の記述はなくなっていったわけであります。」(2014年10月3日、衆議院予算委員会)
しかし、「事実は強い」という言葉はそっくり安倍首相に返上しなければならない。安倍首相は折に触れて河野談話の見直しに言及したが、談話の取りまとめ責任者を務めた石原信雄氏(当時の内閣官房副長官)は、2014年9月11日に放送された「報道ステーション」に出演し、吉田証言が河野談話に及ぼした影響を尋ねられた際、「「吉田証言をベースにして韓国側と議論したということはありません」、「私は繰り返し申しますけれども、河野談話の作成の過程で吉田証言を直接根拠にして強制性を認定したものではないということなんです」と語っている。また、この石原発言の後、番組では政府の慰安婦担当者の次のような証言が字幕入りで放映された。
「私は吉田さんに実際会いました。しかし、信憑性がなく、とても話にならないとまったく相手にしないことにしました。」
実際、河野談話のどこにも吉田証言を引用なり参照なりした箇所はない。また、この連載記事の(中)で紹介した、小林久公氏の資料リスト(「慰安婦」の強制性、違法性を裏づける公的資料)には吉田証言は含まれていない。
つまり、「慰安婦」強制徴集の事実は、吉田証言の信憑性によっていささかも動じないのである。この点を知らないはずがない安倍首相が、「朝日新聞」が吉田証言に依拠した記事を撤回したことに小躍りして、まがいものの持論を全開させる理性の崩壊現象は見るに堪えない。
その上、「慰安婦」徴集の場面にひたすら焦点を当て、徴集された『慰安婦」が事実上、拘禁状態の「慰安所」で、連日、多くの兵士相手に性交渉を強要された実態を直視せず、言及もしようともしない安倍首相の一片の「お詫び」が、元「慰安婦」に通じると考える方が不見識である。
このように、愚かな自虐史観に冒されて理性崩壊に陥っている安倍首相に対し、前記の報道ステーションの番組に登場した元外務省条約局長・東郷和彦氏の発言を献上し、自分の持論が国際的理性ではどう受け止められるかを伝えておきたい。
東郷氏は、2007年5月にカリフォルニア大学のサンタバーバラ大学で開かれたシンポジウムにスピーカーの一人として出席して日本の議論を丁寧に説明したが、参加者から次のように反問されたと語っている。
「狭い意味での強制性、それがあるかないかということにこだわっている日本が本当に世界と落差があって世界の世論とかけ離れているところにいることをあなたは理解していないんじゃないか。私たちは今、自分の娘が慰安所に送られていたら、どう思うかというふうにこの問題を見るんですよと。強制連行があったかなかったかということは問題の本質ではまったくなくなっている。」
愚かなのはどちらか
「小躍りして」というなら、この人の言説にも触れる必要がある。天木直人氏は自身のブログで、安倍首相が「軍の関与」を認め、日本国の首相として心からおわびと反省の気持ちを表明した点を挙げ、「これは安倍首相とその子分たちが繰り返してきた従来の主張の全面的撤回であり豹変だ」、「これまでの方針の全面否定であり、完全な転換である。これで韓国側が評価しないはずがない」、「これで元慰安婦が反発するようでは、批判は元慰安婦に向かうだろう」と日韓合意にこぎつけた安倍首相の「決断」を絶賛した。
しかし、天木氏の予想〈期待?〉とは裏腹に、元「慰安婦」の多くは「合意」の受け入れを拒否し、10億円は受けとらないと宣言した。韓国の世論も天木氏の予想に反し、54%が合意を評価しないと答え、58%が交渉のやり直しを求めた。
日本の野党も、安倍首相が「軍の関与」を認め、「心からのおわび」を表明したことを「問題解決に向けての前進」と評価したが、韓国の世論はこうした評価も一蹴した。
では、元「慰安婦」や韓国の世論が安倍首相の「誠意」に応じないほど頑ななのか? そうではない。この3回の記事で見てきた安倍首相の持論、そしてそれを政略的に開閉する狡猾な言動に照らせば、そっけない「お詫び」が被害国に通じると考える方が浅慮である。
まして、そっけない「お詫び」と趣旨も明かさない10億円の拠出で取り引きするかのように、歴史の事実の封印を要求したり、被害国の市民の意思で建立された「少女の像」を加害国が撤去を求めたりする傲慢な態度が反感を買うのは当たり前である。
さらに視野を広げて言えば、「慰安婦」徴集の場面にひたすら焦点を当て、事実上、拘禁状態の「慰安所」で、連日、多くの兵士相手に性交渉を強要された「慰安婦」の実態を直視せず、その事実に言及しようともしない安倍首相の一片の「お詫び」が元「慰安婦」に通じると考える方が不見識である。
他虐を自虐と言いくるめる極右派ならともかく、リベラルを自認する論者や個人の尊厳を掲げる野党が、これほどまでに「他者のまなざし」に無頓着な姿もまた、理性の「崩壊」とは言わないまでも、理性の「劣化」を意味することは間違いない。そのように劣化した理性が安倍外交に野党まで飲み込まれるという惨めな結果をもたらしているのである。
国家責任を追及しない民衆の不作為は国家との共犯関係に通じる
「国家責任と民衆責任」と出した徐京植氏と山田昭次氏との対話の中に次のようなやりとりがある。
徐 ところで、たとえば関東大震災の朝鮮人虐殺に関する先生の研究などについて、同じ研究者の間から、日本民衆に対して厳し過ぎるという批判もあったと聞き及びますが?
山田 そうですね。はっきりとはおっしゃいませんが、国家とか、軍隊の責任は追及するけれども、あまり民衆責任については言わない方が多いようですね。
・・・だって、民衆責任の問題で一番大きいのは、民衆が国家責任について沈黙していることなんですよ。・・・・
徐 企業だけでなく日本の民衆の大多数も近現代史を通じて国家との共犯関係を保ち続けているともいえますが、こうした共犯関係をきっぱり拒絶したのが金子文子だと考えていいでしょうか?
山田 そうです。国家はそういう人間を、歴史から抹殺してしまうわけです。なかなか国家との共犯関係をビシッと切れる日本人は少ないんですよ。」
(徐京植『新しい普遍性へ――徐京植対話集』1999年、影書房、207~208ページ)
愚かな自虐史観に冒された持論を政略的に操作して、「慰安婦」問題を「不可逆的に」決着させるという安倍首相の外交戦略に易々と飲み込まれたリベラル左派の論者や野党の姿は、ふがいないで済む問題ではなく、加害国の国家責任を免罪する不作為を意味し、国家との共犯関係に通じる危うさをはらんでいるのである。
派は知らず流儀は無ければ我が歌は圧しつけられし胸の焔よ
燃え出づる心をこそは愛で給へ歌的価値を探し給ふな
真白なる朝鮮服を身に着けて醜き心をみつむる淋しさ
(金子文子『獄中歌集』より)
初出:醍醐聡のブログから許可を得て転載
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔eye3254:160128〕
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