『青い山脈』と旧ソ連東欧諸国のいわゆる「有色革命」
- 2016年 1月 28日
- 評論・紹介・意見
- 岩田昌征
去年母の妹が95歳で他界した。これで我が母の兄弟姉妹はすべてあの世である。原節子と同年に生まれ、同年に去った。別にこれが理由ではないが原節子主演の『青い山脈』を池袋の新文芸座で観た。
印象に残った所が二つある。
一つは、旧制高女の新子が旧制高校の六助に卵を売るシーンだ。卵一個の値段が15円、20円。67年後の今日と同じだ。まさしく、質を問わないなら「卵は物価の優等生だ。」
二つは、新生個人主義と保守集団主義の対立だ。敗戦直後だから、集団主義は愛国の形でなく、愛校の形で表に出ていたが・・・。『青い山脈』の中では肯定的かつ健康的に描かれている新生個人主義が意識にかかえていた否定的側面が、映画の中では無批判的にあつかわれていたシーンだ。新生個人主義者達と保守集団主義者達が対決する旧制高女の理事会において、新生派―市民派なる言葉はその頃なかった-は、ある女子生徒の知らないまま、彼女の保護者代理になりすまし、要所要所でピリッとした発言をし、保守派さえうならせ、新生派を助ける。会議途中でその「なりすまし」が露見し、保守派の一人がこの件は会議のテーマである「ニセ手紙」よりも見ようによっては重大な事件だと逆襲する。すると、新生派の一人は、逆襲者に対して論理的に反論するのではなく、彼が戦争中大陸戦線で罹病した恥ずかしい病気を暴露するぞと公然とほのめかし、保守逆襲者の口を封じてしまう。かくして旧制高女理事会の議決で原節子演ずる島崎先生や杉葉子演ずる新子の側、すなわち新生個人主義者達が勝利する。
誰が見ても「ニセ恋文」を一女学生に送るよりも「ニセ資格」で公的議決機関に出席する「なりすまし」の方が罪深い。私=岩田は、新生派がこのような形で勝った事、すなわち自分達がルール違反をしており、かつ相手の弱みを突いてルール違反を不問にしてしまった事に無自覚であった所に日本の民主主義の弱点がある、と考える。自由、個人の人格、民主主義、そして人権という普遍的価値を実現するためには、「暴力以外のあらゆる行為が許されると言う公理」が信じられていたようだ。暴力といえば、『青い山脈』の中で島崎先生や新子の運動の参謀役の青年医師沼田にやくざを差し向けて暴行を働かせたのは、保守集団主義の側だ。
似たような構図が20世紀末から21世紀の今日にかけて、旧ソ連諸国やバルカン諸国、あるいはアラブ諸国でも見られるようだ。例えば、今日のウクライナ内戦の遠因となった2004年「オレンジ革命」、セルビアの2000年「ブルドーザー革命」、グルジアの2003年「バラ革命」、キルギスの2005年「チューリップ革命」。これらいわゆる「有色革命」は、その契機において『青い山脈』の新旧対立が若い男女の自由交際の是非をめぐって起こったのとは全く異なって、自由恋愛だけの社会で発生したのであるが、その本質において自由主義・市民主義・個人主義が、権威主義・集団主義の社会体質に戦いをいどんだと言う点で『青い山脈』の精神と一致している。戦いをいどんだ側の精神のすがすがしさの点でも一致している。更にまた「暴力以外のあらゆる行為が許されると言う公理」――「目的は手段を正当化する。」の非暴力版――が支配していると言う点も一致している。かくして、これら「一連の民主化運動は、『フリーダムハウス』や『ソロス財団』など欧米の人権擁護グループによって支援されたことが知られている。『オレンジ革命』もその例外ではない。」(「オレンジ革命とウクライナ危機――経験的ウクライナ論――」天江喜七郎・元駐ウクライナ特命全権大使、『神戸学院 経済学論集』第47巻 第1・2号 平成27年9月、p.29)ここで言う「支援」とは、単に精神的なものだけではなく、戦術的・人的・金銭的・物品的援助である。こうなると『青い山脈』の田舎町とは違ってくる。島崎先生や新子達の運動を参謀役として支援した青年医師沼田は、同じ旧制高女の校医であり同じ町の住民であった。ところが、上記諸革命の参謀役は資金豊富な「欧米の人権擁護グループ」であった。守旧の権威主義・集団主義に反抗して闘争するに「暴力以外のあらゆる行為が許される」と確信する市民運動は、超大国の政治力を喜んで国内に招き入れる。かくして、諸革命後の社会は不安定となる。こう見て来ると、『青い山脈』の溌剌たる新生運動も亦アメリカ占領軍の日本民主化戦略の下で可能だった事実を忘れてはなるまい。私達日本人にとって幸福だった事は、ニューディールのアメリカが財閥や地主層の私的所有権を無視してでも経済民主化を遂行する社会性を発揮していた事だ。今日の東欧人・バルカン人にとって不幸な事は、20世紀末・21世紀初のアメリカが私有化を絶対命題とし、経済的格差拡大を自由競争の成果として当然視するネオリベラル志向である事だ。こんな超大国の政治力を市民運動が頼りにするから、何等かの安定性・恒常性を生の必要条件とする東欧・バルカンの常民達は市民主義に背を向ける。『青い山脈』は格差縮小条件下の市民主義運動、「有色革命」は格差拡大条件下の市民主義運動と言えよう。ここに安定と内戦の岐路がある。
平成28年1月28日
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion5875:160128〕
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