30日、小田原近現代史講座「昭和天皇の『全責任』発言の謎を解く」
- 2011年 1月 25日
- 催し物案内
- 増田都子
●日時・場所:1月30日(火)14:00~件名講座を、おだわら国際交流ラウンジ(〒250-0011 小田原市栄町1-15-19 栄町駐車場3階 TEL・FAX:0465-24-7760)
で行います。当日はいろいろ有意義な集会等が計画されているようですが、小田原近辺の方でご都合のつく方は、どうぞ、ご参加を!
●内容
1945年の9月27日、昭和天皇はマッカーサーに「『私は、国民が戦争遂行にあたって、政治、軍事両面で行った全ての決定と行動に対する、全責任を負うものとして、私自身をあなたの代表する諸国の裁決にゆだねるためにおたずねした。』といった。」とマッカーサーが回想記に書いています。そして、歴史偽造主義・扶桑社歴史教科書は、これを「真実」として、教科書の最後のコラム1ページまるまる!? とりあげ、「一貫して国民とともに歩まれた生涯だった」と、昭和天皇がさも崇高な人格者であったかのごとき歴史偽造を「歴史教科書の最後の仕上げ」に行っています。
そして、現在の日本『国民』のたぶん99%!? …私の印象ですけど(笑)…は、これを「真実」と思い込んで(思い込まされて)いるのではないでしょうか?
小田原近現代史講座特別編の、これを最後の総仕上げ!? として、さまざまな資料=証拠物件を当りながら、なぜ、そのような『思い込み』が生まれたのか? (再生産され続けているのか?)考えていきたいと思います!
以下は、前回「戦争責任を考える…東京裁判を中心に…」についての参加者の感想です。
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<「戦争(侵略&植民地支配)責任を考える」感想・意見>
*「戦争責任」を裁いたニュルンベルグ裁判と東京裁判との違い、また、両国の戦後補償の違いを授業資料で比べると、あまりの落差にがく然とします。
第一次大戦でドイツ皇帝を裁くとし、初めて国家元首の戦争責任を問うたベルサイユ条約等は、亡命先のオランダが引き渡さなかったため、ただ理想を述べているだけの紙切れにすぎなくなってしまったのは、「理想と現実」の落差の見本のようで、悔しい思いです。
全て物事は「政治的=力関係」で動いていく、これは現実問題としては仕方がないこともあるかもしれませんが、でも、今の日本ではまだ真実を知ろうとすれば知ることができる可能性があるので、国民は知る努力を怠ってはいけないと思いました。
・増田から
確かに、ベルサイユ条約227条で、第一次世界大戦のドイツにおける最高責任者として「国際的道義および諸条約の崇高なる義務に最高度の侵害を犯したことにより前ドイツ皇帝ホーエンツォレルン家のウィルヘルム二世を公式に訴追する。」と規定されながら、これが実現しなかった事実はあります。
でも、それまでは「戦争は国際的紛争解決の手段として合法」であり「君主無答責」であったことからすれば、世界の歴史の中で戦争の違法化と…これが成文化されるのは1928年のパリ不戦条約ですが…「君主であっても責任は免れない」ということを明文化したものとして、大きな歴史的意義があると思います。
まして、この時、初めは「君主無答責」を主張していた大日本帝国が賛成に回り、五カ国の裁判官を出す国の一国になっていたことは、東京裁判において、昭和天皇を被告にしなかったことの「不公正」を際立たせる歴史的意義を持つものであると、私は考えます。
もちろん、マッカーサー(アメリカ政府)が「政治的=力関係」で動いていき、昭和天皇を被告どころか証人としてさえ出廷させられなかった、という重い歴史事実も作られてしまったわけですが…
*私は、右翼勢力が言うところの「東京裁判は公正でない」とは別の意味でも「東京裁判は公正でない」と思います。
その理由は、まず、アメリカなどの戦勝国の思惑があり、日本が被害を与えたアジアの国の人々への配慮がなされていないこと、そして、何より、最高戦争責任者である昭和天皇の責任を問えなかったことです。
しかも増田先生の授業資料にあるように、日本国憲法制定後も天皇がマッカーサーに対して、「統治者」としての立場から言葉を発し(「沖縄を占領し続けてくれ」など)、その通りになっていることを考えると、その後の罪も大きいのではないでしょうか?
*「戦争は犯罪である」ことに人類が気付くまで、あるいは、そう宣言するまで、それだけの時間を要したことか…。そして、気付いたにもかかわらず、たくさんの立派な宣言が出されたにもかかわらず、それが建前に終わっていることが、本音主義の私には不思議でたまりません。
戦争犯罪者たち、それを黙認する人たち、気付かぬ人たち、どれだけの欲を持って生きているのか…歴史の真実を見つめ直すとともに、「人間とは何か」を問い続ける事も続けていきたいです。
*マッカーサーがついた大きなウソ「昭和天皇は『私に全責任がある』と言った」ということが、今の教科書(扶桑社)にまで載っているとは知りませんでした。
私は中学校で歴史の授業に入るときに、社会科担当の先生が「何のために歴史を勉強するのか?」と私たちに聞きました。私は「歴史」と言うと、大昔の人たちが、何かを発見・発明していった様子をつづったもの、という勝手なイメージが有ったため、「昔の人たちの行いと照らし合わせて、これからの行いに生かす」というようなことを答えました。しかし、私の友達は「過去におかしたあやまちを、繰り返さないため」と言っていました。
私はこの友達の言葉には本当に感心しました。「過ち」というのは、日清戦争から太平洋戦争を行った人に対してはもちろんですが、そのもっと前から続く、争い、差別を含むもののことを指したんじゃないかなと私は思いました。
…となると、人間は何度あやまちをおかしたんだろう、数えきれないだろうな…と思うと、過去にあった事実を知ることによって、歴史を本当に理解することによって、あやまちをおかす回数を減らしていけるんじゃないか? と考えました。増田先生には「本当の歴史」を教えていただきました。 (※中学生の方です)
*第二次世界大戦の戦争裁判における日本とドイツの比較は参考になりました。また、戦後の国家の「民主主義」の在り方を巡っても、日・独の差は相当なものです。
日本が憲法第9条によって、「国家・人民」に戦争責任があるということを自覚させれられている…はずですが、その実態はいかがなものでしょうか?
過ちを繰り返さないためにも、今後、飽きることなく、この問題を追及していかなければならないと思います。
*「戦争は犯罪である」…この考え方が生まれたことは、本当に大切なことだと思う。しかしそれを「犯罪」として裁判することは、実に難しいものなのだと、今日の授業で実感した。
本来は、一国の政治的な事情に左右されることなく、法的な立場で「公正」に裁かれるべきであったことが、事実はそうならなかった…犠牲になった人々と、罪をすり抜けてのうのうと権力を持つ地位におさまっている人々の隔たりは、どんなに大きいものだろうか…。
日本の戦後政治もまた、そこから出発したことで、現在につながる大きな問題が残されたのだ、と再確認した。
*小田原近現代史講座24回の内、2~3回しか参加していないので、分からないことがいっぱいで…でも、資料のティム・ワイナーの本にあった「岸信介などがCIAからのお金で政治活動していた?」などとは、ビックリすることばかりです。頭の中が混乱しています。
それにしても、資料にたくさん出ていたベルサイユ条約や国際軍事裁判所憲章などの法律や条約の文章は理解しづらく、もっと優しい説明のついた本が出版されれば嬉しいです。増田先生、この近現代史講座のテキストの出版のご予定はありませんか? 日程的に合えば、次も参加させていただきます。
・増田から
今のところ、出版の予定はありません(笑)。
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