安倍晋三の愉快な毎日
- 2016年 3月 7日
- 交流の広場
- 狩野隼人
以下の「狩野隼人理論」にご意見をお願いしたい。
安倍の背景には経済成長のあとの社会があると思う。しかも彼はバブル期に波に乗った政治家だろう。
まず、日本の新興中間大衆の生活が「新しい中間層」といわれた時期に彼は学生をやっている。平等感の充満した社会は安倍には不埒な社会である。彼は生まれを尊重していた。その、彼が後にその著書で強調する「生まれ」の意味が失われ始めた時期でもある。
市民社会や新興の大衆・庶民の活躍が彼には気に入らない。だから麻生とは気が合う。その一方では「大衆文化」に乗ったいわゆる「大衆天皇制」も彼には左翼ともども気に入らない。
だから彼はアホでも馬鹿でもない。前世代の遺物であり、斜陽族の復活を目指しているだけだが、人物的には彼の祖父である安倍寛の気骨がなく周囲の馬鹿の顔を見ながらもっと過激に動き回った。その強引さは岸信介を継いでいる。NHKへの脅迫を麻生と行った時期である。
小泉という犯罪者に出会って、彼の反動的確信は財界にもつながりを得た。財界の言うなりになる能力(ネオリベラリズム!)は小泉時代に身に着けた。
介護保険や国民年金の危機は彼には飯よりもおいしい大衆どもの右往左往を呼んでいる。新聞社やメディアの連中が権力に追従する姿は、戦後の「市民主義」が幻想であったことを彼に印象付けている。
シールズが、戦争反対だけで動いているのも彼の自尊心を持ち上げる。俺のほうがビジョンを持っている、と。そして、戦争こそ大衆をもてあそぶ道具なのだ。そして、戦争のイメージは、ビジョンなき反戦を泳がせている。
野党共闘は、ムサシなどの選挙集計システムの企業を抑えている安倍には当面、考証の対象でしかない。これらの企業との談合の日取りは決まっているだろう。
彼には自分のうそに戸惑い、悲鳴を上げ、烏合を行う大衆の姿が楽しくて仕方ないのだ。
彼が恐れているのは、彼の軽蔑する「市民社会」という幻想の中から一人のリーダーシップが生まれることだ。
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