募る不安-3.11から5周年に思う
- 2016年 3月 12日
- 交流の広場
- 山川哲
ドイツの新聞「DIE ZEIT」の電子版(3/11)のトップ記事の見出しはこうなっていた。
「福島では、実生活の全てが汚染されている。
今日、専門家たちには放射線がどれほど危険であるかについて未だはっきりした見解がない。
しかし、かつての住民たちにとっては、(どちらでも不安であることは)同じことだ。」
11日付の「東京新聞」の朝刊によれば、「復興埋まらぬ地域差 なお増え続ける汚染水」「危険な旧型タンク延命」という大きな見出しが躍る一方で、「政府方針 あと5年で『総仕上げ』」「高浜再稼働 変わらず」という安倍政権の無責任な強硬姿勢も紹介されていた。
例えば、自分自身か、あるいは家族の一人が癌に侵されているとする。担当の医者に「これが命取りの癌なのか、生存率が何年位なのか、その点ははっきりしないが、まあ確実に進行はしています」と告げられて、それで一安心する人がいるだろうか。
大震災の災害後処理も、福島原発事故処理も、まだまだ圧倒的に残されたままである。原発事故においては、処理どころか、表面上だけ隠したきり(除染)で、裏では汚染水などを垂れ流しているのが現状である。しかも、時々は、それ以上の内容の汚染問題(事故内容)が暴露されている。その中で、ひたすら「帰郷」だけが促されている。危険極まりない場所と化した故郷への帰郷である。これは癌に侵された人に、「もう少し進行状態を観察しましょう。その上で判断しましょう」と言うようなものではないのか。
「帰郷の奨励」は、政府、財界、官界、そして原子力関係者(すべてとは言わないが)など、その利益に与る者たちにとって、かつての「満州開拓」「ブラジル移民」奨励と同じ意味を持っているのではないだろうか。「国策」という美名(あるいは「醜名」)によって鼓舞しながら、多くの国民の犠牲の上に「国富」、その実は、国民にとっての豊かさではなく、一部大企業グループとそれに便乗する者たちの繁栄、を築こうとする謀略に他ならないのではないだろうか。
「DIE ZEIT」はこのように続けている。「誰も放射線がどれくらい危険なのか知らない。しかし、今日(放射線の測量機器は)およそ1000台配備されている。日本のみならず、アメリカにも、ドイツにも、そして1986年に事故を起こしたウクライナのチェルノブイリ原発でも、活動家たちが放射線を測定し、その結果を公表しているのである」
この結果が確実に分かるまでは、われわれに「安心」は来ないし、その「結果」が最悪な場合(つまり、どんな少量のものでも、放射線が人体に悪影響を及ぼすことになるという結果が出れば)、われわれの不安は一層募り、直ちに廃止せよということになるだろう。それらの結果が出るまでの間はどうすべきだろうか。結論はただ一つだ。「運転を停止せよ!危険を直視せよ!」
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