人にやさしいラーメン
- 2016年 4月 6日
- 評論・紹介・意見
- 藤澤豊
私はラーメンが好きだ。好きだというだけでラーメン通ではない。ラーメンの食べ歩きなど考えたこともないし、長い列に並んでまで食べようとは思わない。ただ単純にラーメンが好き。それだけのことなのだが、その好きなラーメンを食べられないというのか、食べるのを躊躇せざるを得ないのが情けないし、正直悔しい。
1951年(昭和二十六年)に東京荒川区町屋で生まれて育った。子供の頃、出前の「中華」がご馳走だった。あまりに昔の話で記憶が定かではないが、当時ラーメンという言葉を聞いた覚えがない。「中華」と言えば、「中華そば」のことで、出前を頼むときにいちいち「中華そば」とは言わなかった。当時の「中華そば」は、今でいうさっぱりした醤油系のラーメンで、スライスした焼き豚と鳴門巻、しなちく(最近はメンマ?)、ホウレン草を湯通ししたもの?に小さな焼き海苔と刻みネギが入っていた。
十代の後半だったと思うが、「中華」や「中華そば」からラーメンが一般的になっていった。そしてラーメンの進化というのか多様化というのか、「味噌ラーメン」や「塩バターラーメン」などが出てきた。そして「中華」とならんでシナそばの定番だった「たんめん」の陰が薄くなって、「坦々麺」が出てきた。さらに「博多ラーメン」や「熊本ラーメン」に「九州ラーメン」、「会津ラーメン」や「尾道ラーメン」などのご当地ラーメンが出てきて、あとはラーメン戦争などと言われる、ラーメンの開発競争とでもいうのか、新趣向の、まるで命がけで作り上げた、これでどうだと言わんばかりの創作ラーメンの時代になった。
そのどれもこれもが不味い訳がない。今日日ラーメンは日本が誇る食文化の一翼さえ担っている。ただ、惜しむらくは次の二点をなんとかしてもらえないかという、ラーメン通でもない者の、実に個人的な希望がある。
希望の根底には食べたいのに食べられない、つい敬遠せざるを得ない事情がある。そんなもの、創作ラーメンに一生を賭けている方々からすれば、聞く必要なしと一蹴されてしまいそうだが、ほんのちょっとでいいから聞き入れて欲しい。
「坦々麺」も含めてどの(創作)ラーメンも美味しい。美味しいのはいいのだが、カロリーが高すぎて、こってりし過ぎていて、脂肪肝と体内脂肪に糖尿の毛があって、その上に軽度肝機能障害を持った身には手を出しにくい。街を歩いていても、ショッピングセンターをうろちょろしていても美味しそうなラーメンがある。店に入りたいのだが、還暦過ぎの成人病を抱えたオヤジには軽い毒のような存在になってしまった。食べたいのだが食べられない。
ハンバーガーチェーンのいくつかが、カロリー摂取に敏感になった消費者の嗜好の変化に合わせるようにヘルシーメニューを出してきた。出さざるを得なかったのだろう。巷の多くの人たちが健康志向に傾いているなか、どういう訳かラーメンにはそれに応えようとする気配がない。巷の流れに疎くて知らないだけかもしれないが、街を歩いている限りでは、健康志向のラーメンなど見たことがない。
クッキーやケーキなどの洋菓子の類を自分で作ると分かるのだが、美味しいと思うものには、バターやクリームに砂糖や卵が、あげくが塩までがふんだんに使われている。自分で食べるのだからといって、レシピに従わないで使う量を減らしたりしようものなら、貧相な味にがっかりする。健康志向の人たちからは敬遠される、それらの材料を惜しみなく使うことによって、慣れ親しんだ美味しい洋菓子ができあがる。
健康志向ということでは、フランス料理でも似たようなことが言われている。パリの居酒屋で同僚のパリっ子に定番として勧められたサラダの夕飯を食べたことがあるが、それ以外ではバケットとサンドイッチくらいの記憶しかない。フランス料理に何を言える立場でもないが、さしものフランス料理でも高カロリーが健康志向の人たちから敬遠され始めていると聞いている。日本在住が長いあるフランス人女性の談では、日本人がイメージしている、あるいはさせられているフランス料理を指して「そんなもの毎日食べてたら死んじゃう、誰もそんなもの毎日たべちゃいない。。。」
世界文化遺産にまで登録された日本料理が、栄養のバランスもとれた逸品であるという主張というのかプロパガンダ?まである。そこで創作ラーメンの旗手の先生方にお願いしたい。高カロリーでない、糖尿の毛のあるものにもメタボの人でも、肝機能に多少の障害がある人でも、週に一度や二度、何も心配することもなく楽しめるラーメンを創ってもらえないだろうか?
そんなヤツはラーメンを食べる資格がない。ラーメンは基礎代謝も大きく、健康に心配などない人たちに供されるものだと言われるかもしれない。しかし市場の趨勢をみれば、その条件に合わない人たち-年配者が増えてゆくのは間違いないだろうし、一考の余地は残っていると思うのだが、いかがだろう。
最近牛丼屋の値上げが続いて、三百円、四百円では牛丼のセットを食べられなくなった。それでも五百円もあれば満足できる。ところが、五百円の予算でラーメンと思って探しても、なかなかない。五百円どころか八百円台ならまだしも千円近くのものまである。五百円の牛丼と八百円のラーメン。経済的にきつい人たちはラーメンを食べたくても、腹持ちのいい(?)牛丼を選ばざるを得ない。
ラーメンは、もともとは庶民の軽食ではないのか?立派な中華料理屋の汁そばとは似て非なるもののはずで、経済的に恵まれない人たちが、割高感から食べたくても食べられないラーメンってのはないだろう。味や食感。。。「質」を求めて、もともとは庶民の楽しみだったものが、デパ地下の「大学いも」じゃあるまいし、いつの間にやら、ワンコインランチが気になる人たちには手の届かないところにいってしまったのか?
工場で大量生産されている牛丼やスパゲッティと一緒にされてもらっちゃ困るとおしかりを頂戴しそうだが、決して健康とは言い難い人たちにも、経済的に恵まれていない人たちにもやさしいラーメンがラーメンの王道であって欲しい。
<現代史研究会ご出席の方々へ>
神保町「哲麺」
三省堂からちょっと書泉グランデの方に行くと、カウンターだけのラーメン屋「哲麺」があります。美味しいラーメンが五百円。替え玉は五十円。以前は替え玉もカレーライスも無料だったのですが、三月二十四日に確認に行ったら、一月末で止めたと張り紙がありました。七八百円のラーメンもありますが、一番安い五百円のラーメンがお勧めです。現代史研に出席する前にゆくので、行くのは決まって土曜日。そのせいか、列にならんだことはありません。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion6012:160406〕
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