密告は習性なのか ― 中国の大学において教育・研究の発展を阻むもの
- 2016年 4月 12日
- 評論・紹介・意見
- 中国密告阿部治平
――八ヶ岳山麓から(179)――
もう15年以上も前のこと、中国で日本語教師をやっていたとき、学生に「夏休みはどこへ行ったか」と聞かれて、「四川省甘孜チベット族自治州」と答えた。その日の夕方上司がおっとり刀でやってきて、「ダライ・ラマについてどう思うか。あなたはチベット独立を支持するか」とやつぎばやに聞いてきた。
なんでそんなことを聞かれるかわからなかったが、「ダライ・ラマは高位の坊さんだが、私は輪廻転生を信じない」「チベット問題は中国政府とダライ・ラマの亡命政府が考えること。中国には憲法の定めた高度自治の方法があるじゃないか」と答えた。学生が当局に私のチベット人地域旅行を告げ口したらしい。この問題はあとあとまで祟った。
中国では研究所と大学を4ヶ所ほど経験したが、どの「領導」教授からも「教室での発言に気をつけて下さい」という注意を受けた。さらに「当局は、あなたがほとんど定期的に日本に通信文を送っていることを知っています」といわれたときは、実に「いやな感じ」がした。監視されているのは承知していたが、Eメールまで調査しているのである。さらに背筋の寒くなるような経験もあったが、他人に迷惑をかけるので省略する。
最近の中国のブログ「新浪」に、学生による密告問題をとりあげた「天照」という人による記事があった。
天昭氏によると、上海の華東政法大学の楊師群先生は「古代漢語」講義のなかで、現今政府に対する批判をしたとして、上海市公安局と上海市教委に『反革命』と告発されたという。密告したのは楊先生のクラスの女学生2人である。当然大学当局は講義内容を調査した。この事実は楊先生自身が2008年11月末、ブログ(「博客」)で明らかにした。
天昭氏によると、この3年前、同じことが吉林芸術学院でもあった。演劇文学の盧雪松先生が学生から密告されたのである。2005年のあるとき、盧先生は授業中に冤罪で殺された林昭の話をした。「林昭の魂を訪ねて」という記録映画もみせた。思いがけないことに、学生の1人が学校側に「盧雪松は反動的内容の授業をやっている」と告発した。学校側はこっそり盧先生の授業をやめさせた。
林昭(1932~1968)は、1957年の毛沢東主導の反右派闘争を批判したために、「大逆不道」の言論とされて投獄された人物である。文化大革命が始まると迫害は一層ひどいものになり、最後に「現行反革命(中国では最も悪質な犯罪)」として銃殺された。文革が終わると彼女の主張は正しいものとして名誉を回復し、記念碑などが建てられた。
盧先生は授業をやめさせられてのち、密告学生に「あなたは私の学生の1人です」として、「私は教室において、学生が健全な精神の持主になるようことにすべての努力を傾けています」という、愛情と憐憫の情をこめた手紙を送ったという。
天昭氏は「挙報」は通常平民百姓が公務員(官僚)の職務上の犯罪に対してこれを告発する行為であり、「密告」は平民と知識人の言行に対するものである。前者は社会正義、後者は国家専制の産物だという。
楊・盧両先生の学生は実名で密告したらしい。自分の身を安全地帯において、匿名で他人をとやかく批判するよりはフェアだ。だがその精神は決して健全ではない。専制下の教育によって完全に病んでいる。
天昭氏はこれに対して「楊師群を市教委と公安局に告発した理由は『文化批判』『政府批判』である。だが教室の自由な討論は本来咎めるべきものではないし、また(学生が)教師の観点に反駁するのは教育の民主主義である。だが私が奇怪に思うのは告発者の思惑である。教委への告発は教師をクビにせよということであり、公安局への告発は楊師群を監獄に放り込めということじゃないか」と怒っている。
では、楊先生はどんなことを学生に語ったのか。天昭氏によると、彼は学生に中学高校と大学の学問の仕方の違いや、自我の確立や、批判精神を説いた。内容は日本の教授たちが学期初めに学生に話すこととそう違いはない。では密告した学生にとって何が「反革命」「反動的内容」だったのか。もっとも「危なそうなところ」を楊先生の発言から二、三ひろってみよう。
敢えて問題を提起する。中国古代社会はなぜ専制の政治体制だったか。(古代統一国家をつくった)秦始皇の評価はどのような歴史的経過をたどったか。国家の「統一」がすなわち「進歩」を代表するといえるのか(中国では統一国家をよしとする歴史観が一般的)。
なぜ中国伝統の文化に「人権」の概念がないか。あるいは権利意識が希薄なのか。
なぜ中国に数千年の歴史があるのに、近代にいたってかくのごとく愚昧後進に陥ったか。
アメリカはなぜ中国の人権問題を指摘するか。なぜ(中国では)彼らの問題提起を翻訳せず、人々にアメリカ帝国主義がいかに反中国的であるかを誇示するか。
「一切を疑う」というのはマルクス座右の銘である。ところが中国人は政治方面にはただ安定だけを求め、自己の権利のために戦わない。このため政府は安定を維持するだけで、民衆は政府の意志を自己のものとみなし、また政府を自己の利益代表とし痛痒を何ら感じないのである。
ヨーロッパではあのような平等の基礎の上に、個人や団体はそれぞれ自己の権利のために闘争する。一元的な権力構造が民衆の頭上にある文化を認めない。
中国人の人格構造は実用を主とし、実利を求め、重視するのは「食」である。中国数千年の文化の中でもっとも発達したのは実用の統治技術と生活技能であり、もっとも足りないのは現実を超越したところの理想の追求である。それがないために眼前の権力にひれ伏すのである。
中国では、知識人は権力の指揮下におかれて、自己の思惟を運用する。中国人はヨーロッパ人の「自由のためならば生命も愛情も捨ててもよい」という精神文化を理解できない。
孫隆基(台湾の歴史学者)は著書『中国文化の深層構造』の中でこういった。
中国人は地球上でもっとも団結に傾斜した民族である。政治闘争では、双方互いに自分を全体の利益の代表者として、相手方に「分裂」「団結破壊」などの罪名を張り付ける。また自分の同胞をひどい目にあわせる民族でもある。人々は大家族の嫁と姑のように互いに殴りあう。そして互いに虐待狂と被虐待狂に変る、と。
天昭氏によると、密告は中国伝統の習慣で明清期にも盛んに行われた。1949年の革命後から、密告の土壌は(以前の時代よりも)だんだんに深くなってきた。現代史上の(政治)運動・(階級)闘争で人々は毎回盛んに密告しあった。文革期にはインテリ階層だって自分の身を守るために、たいてい誰かを密告していた。
天昭氏は「この毒素はすでに現代中国の奇形的伝統となり、ずっと今日まで続いている。元来健全であるべき大学キャンパスのなかにもそれが存在する」という。――そのとおり。
かつて中国からの留学生は、日本で大学に奨学金を申請したとき、しばしば競争相手とみた同胞学生を貶める投書をして大学当局をあきれさせたことがあった。これは中国びいきの故菊地昌典東大教授から「実に落胆した」として、直接聞いた話だから間違いあるまい。菊地先生は「ほかの国の留学生にはこんなことはありません」と語った。
私は中国人学生の日本留学を支援した。そのとき中国人同士決してケンカをしてはならないと繰返し注意した。同胞だから助けあえというのではない。人によっては憎しみを持った相手を中国の公安当局に密告することを知っていたからである。とくにチベット・ウイグル・モンゴルなどの少数民族の場合、民族運動に関係しているといった誣告が行われれば、やられた方は致命的な傷を負い、帰るふるさとがなくなるのだ。
話をもとに戻そう。習近平政権下では言論統制は従前にまして強まるばかりである。たまらなくなったのか、中共機関紙人民日報系の環球時報編集長までがツイッター「微博」で「中国政府は非建設的な批判であっても一定程度まで容認すべきだ」「言論の自由は社会の活力と切り離せない関係にある」などと発言するに至った。
権力維持のために言論統制を強化すれば、密告の土壌は深まり拡大する。だが大学や研究所で、講義や研究さらには人格問題などで密告が行われれば、教育・研究の創造的発展はない。社会科学だけではない。科学・技術の分野でもこれでは定説を越えた新学説が生れにくい。伝統的芸術の革新もできない。実に中国にとって不幸な時代がやってきたといわなければならない。
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